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著書(ビジネス書・2007~)

Ktgold

□書 名:『なぜ、キリン・ザ・ゴールドは求められるのか?』
□編 著:喜山 荘一
□定 価:1500円
□出版社: ドゥ・ハウス
□発売日: 2007/12/15
□ISBN-13:978-4903649016
□概要:
ヒット商品の「なぜ」を消費者の生の声で「解く」というコンセプトでつくりました。テーマ商品は、キリン・ザ・ゴールドです。キリン・ザ・ゴールドの魅力を消費者の生の声で紐解き、新商品開発のアイデアを抽出しています。


Bmr

□書 名:『10年商品をつくるBMR』
□編 著:ドゥ・ハウス/喜山荘一、監修:山中正彦
□定 価:1600円
□出版社: ドゥ・ハウス
□発売日: 2007/5/14
□ISBN-13: 978-4903649009
□概要:
日本発のマーケティング・モデルBMRをやさしく解説しました。BMRは、Basic Marekting Relations の略称で、監修の山中正彦さんが、味の素時代に、実際に新製品開発に携わりながら作った、現場で生まれたマーケティング・モデルで、新製品アイデアを発想するときだけでなく、マーケティング実務を進める上でも役に立ちます。汎用性が高いので、広くビジネスマンに使っていただきたいと思っています。


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「件名」がない

 「eメールの書き方」について、テキストを書いているのですが、このテーマ、3年くらい前から伝えることが変わったと感じています。

 それまでは、eメールは、「貴社ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」と書き起こす必要はありません、「こんにちは」からはじめてください。そう言うのが、伝えるべきことでした。つまり、書き言葉に対して、話し言葉に近づけていいということです。

 ところが、3年前、新入社員の研修で、アポイントを依頼するお題に対して、「よろしくお願いします☆」という件名が登場してびっくりしたことがありました。そこが伝えるべきことの折れ曲がりの時期だったと思っています。むしろ、話し言葉の延長にある「☆」を使わないこと、といわなければならなくなったのです。

 それまでは、文書文化にあったビジネスマンに、文書文化を必要以上に持ち込む必要はない、と、eメールコミュニケーションの話し言葉のよさを生かそうとしてきました。ところが、これからは、必要以上に携帯の話し言葉文化を持ち込まないようにといわなくてはならなくなったのです。

 今日は、そのことにもうひとつの気づきがありました。
 eメールコミュニケーションの研修の打ち合わせをしていて、「件名を書かない新入社員に必要です」と言われたのでした。ああ、と思いました。これは、あの、「よろしく☆」と同じ文化圏の現象です。

 そういえば、ぼくも子どもも携帯のやりとりをするときは、彼に倣って、件名なしのままやりとりしているのを思い出しました。

 かくて、「件名を入れようね」。これも、ビジネスeメールで伝えるべきことになったのでした。

 追記  
 「結論は先に」といつも言っているのに、最後の「結」と相成ってしまいました。



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漢字・ひらがな・カタカナ

 eメールの書き方について、よく、「漢字は3割以内」と言います。
 電子の画面は黒っぽいと、とても読みにくくなるため、そんなガイドラインを設けているのですが、eメールに限らず、ぼくたちが読みやすいとしている文章の「漢字比率」はどうなっているだろう。

 そう考えて、手元にあるいくつかの小説を引っ張り出してみました。どうせだから、夏目漱石からよしもとばななまで、一世紀の時系列もたどってみたい。

 とはいえ、作品全体の文字を調べるのは大掛かりなので、任意の2ページについて、出してみる。


■『坊ちゃん』夏目漱石 1906年
・漢字      33%
・ひらがな    60%
・カタカナ    0%
・アルファベット 0%
・数値      0%
・その他     9%

■『人間失格』太宰治 1948年
・漢字      21%
・ひらがな    61%
・カタカナ    2%
・アルファベット 0%
・数値      0%
・その他     16%

■『ノルウェイの森』村上春樹 1987年
・漢字      20%
・ひらがな    67%
・カタカナ    2%
・アルファベット 0%
・数値      0%
・その他     10%

■『海のふた』よしもとばなな 2006年(文庫)
・漢字      19%
・ひらがな    65%
・カタカナ    2%
・アルファベット 0%
・数値      0%
・その他     13%

 これを見ると、漢字が3割を超えるのは、夏目漱石の『坊ちゃん』ですが、『坊ちゃん』どまりで、サンプルの作品のなかでは、これより後には、漢字3割を超える作品は絶えます。少なくとも小説作品に関して言えば、漢字3割というのは、相当な量だということであり、ひょっとしたら、eメールの「漢字3割以内」は、適正な値ではないのかもしれません。

 また、ひらがな比率において、夏目漱石の『坊ちゃん』と太宰治の『人間失格』は、約6割と変わりありませんが、漢字の比率において、『人間失格』は、『坊ちゃん』より10%以上低くしているのが分かります。この、太宰の漢字の率を落として、ひらがなの率を上げる方法は、その後も保たれます。

 1987年の村上春樹の『ノルウェイの森』では、漢字比率は、『人間失格』とほど同等ですが、ひらがな比率は、『人間失格』より高く、67%にまでなっています。ひらがな比率を高めることが作品の流れだったのでしょうか。

 そして、『坊ちゃん』から一世紀、よしもとばななの『海のふた』を見ると、漢字は2割を切り、19%となり、ひらがなは、『ノルウェイの森』より少し低いですが、65%を維持しています。

 他の例を調べていないので、断言はできませんが、

・夏目漱石    漢字30%超 ひらがな60%
・よしもとばなな 漢字20%弱 ひらがな65%

と、漢字を落とすというだけでなく、ひらがなを上げるというのが、この例にみる、一世紀の文字表現の進展です。

 これは、文字表現からみた近代以降の急激な社会の膨張を示していると思われますが、ここを見る限り、読みやすい文章の現在は、漢字2割というラインを示しているかもしれません。




 

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研ぎ澄まされるウォンツ

 加藤典洋が、「物欲-購買欲-購買行為」をテーマに、面白い議論を展開しています。

 ※ Q106 「物欲」は所有欲か、排泄欲か。

 購買行為の第一段階。

まず、原初的な購買の基本形。 僕は、おなかがすく。それで、部屋でものを探す。食べるものがないので、米を買おうと思って、店に行って買う。この場合には、この購買行為は、物欲がまだ、発現していません。あるいは、発現していても原初的な形にとどまっています。物欲と言うよりは、必要によって、購買行為が成り立っています。店に行く前に、お米を買いたい、という志向性が、情報によって促されている以前に、空腹という自前の「必要」によって駆動されています。 「必要-購買行為」という形。

 これを、マーケティングの言葉に置き換えれば、ニーズを満たすことが購買であった段階。
 続いて、購買行為の第二段階。

漠然とAという商品を買いたいと思って行ったのだが、その行った先が、いわば「よりどりみどり」の物欲にとっての 酒池肉林の場なので、そこで、物欲は、第二次的に駆動されてしまい、物欲にターボがかかる、という段階です。 これが、店というものの、購買行為における本質でしょう。店とはつまり、第一次的物欲を現物の「よりどりみどり」状態化を通じて、第二次物欲へと更新させる装置なのです。そこで、Aを買うつもりで店に行ったのだが、ついAのかわりに、Aダッシュを、買ってしまった、とか、Aのほかにも、BとCまで買ってしまった、などということが起こる。その場合、店は、たとえば、靴店の一軒家であるよりも、靴店と文具店と、アウトドア専門店と、洋菓子屋が、一角に集合した商店街であるほうが、その本質に叶います。ですから、店は、その本性から、集合状態をめざす。商店街が生まれ、モール、プラザ、百貨店、六本木ヒルズ、というように、集合化・重層化・巨大化していくでしょう。

 ここでは、「購買欲-物欲-購買行為」という形になります。
 これも、マーケティングの言葉に置き換えれば、購買がウォンツを満たす段階にあることを示しています。

 さらに、購買行為の第三段階。

しかし、その次の段階というものが考えられます。それは、巨大化の果てにくる、縮合化です。つまり、カタログショッピング、カタログ雑誌、というもの。それは、巨大な商店街、プラザ、ヒルズを用意して、そこに購買者を誘い、「物欲」の酒池肉林化を発現させる代わりに、メディアの形で、商品の「あれかこれか」という最終段階――上記の第二段階――での個別商品を前にしての「あれかこれか」の物欲発現を促すのです。『カタログハウス』という雑誌がありますが、あれは意外に高度な仕掛けなのですね。この段階までくると、中毒行為が生じてきます。個別の「商品」に対する「あれかこれか」の物欲がまず、喚起され、その物欲に駆動されて、それが、「購買欲」へと仕立て上げられるという逆転が、ここに新たに、生じているのです。
 これは、「物欲-購買欲-購買行為」という形になります。

 同じように、マーケティングの言葉に置き換えれば、これは、ウォンツの独立化のように見えます。モノに対する欲求が、店頭という商品集積の場での比較から離れ、個別のモノへと純化されていくのです。これは、ウォンツの純化であり、ウォンツが研ぎ澄まされることを指しています。

 言い換えてみると、モノ-モノの連鎖でウォンツが発生するのではなく、ウォンツ自体が、モノの購買へと駆動するのです。ウォンツが購買を喚起するのであり、ここへくると、購買は限りなく自己表現に近づくのでしょう。

 ぼくたちはここで、1988年の糸井重里のコピー、「ほしいものが、ほしいわ。」を思い出してもいい。




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