2013年11月19日 (火)

2013年のポール・マッカートニー。ビートルズ遊戯。

 御年71歳。その上にその名も『NEW』というニュー・アルバムを引っ提げて、しかも披露した楽曲が過去のビートルズやソロ・ナンバーに引けを取らないのだから舌を巻く。これは、70代でも創造性を発揮するのは可能だという励みにもなれば、70代になっても休むことは許されないのかという、やれやれ感も同時に伴う。しかし、ちょっと考えると、それは少し違う。ポールが築いた資産は、もう充分すぎるほどで、引退して余生を楽しんだとしても差し支えない。彼は強いられて、あるいは使命感に燃えて、何かに背を押されるように立たされて、音楽活動を続けるのではない。してもしなくてもいいという自由を、彼は手にしたうえで、したいからしているのだ。その自由さが生きていた。

 ビートルズと、それだけでなく、解散後の楽曲も、ジョンとポールの相聞歌として聴いたきた耳には、今回の「OUT THERE JAPAN」のセットリストのなかで、最も意味を持って響いた曲は、ほぼ、ジョンの手になる「Being for the Benefit of Mr. Kite!」だった。ジョン色の濃い作品ということでいえば、2009年頃からだろうか、「A Day In The Life」を歌っている。けれど、この曲にはポールの手になるパートも入っていて、ほぼジョン・レノンとは言えない。また、ジョンを失って十年、ポールがやっとそのことを受容した頃の1990年、故郷リバプールで、特別に「Strawberry Fields Forever/Help!/Give Peace A Chance」と、ジョンの手になる、ジョンの代表曲と言っていい作品をメドレーにしたことはあった。

 が、この時の三作品は、音楽機械としてのレノンを完全に脱色して、音楽機械のマッカートニーとして歌っていた。メドレーにしたこと自体がそうであるように、ジョンの作品をポールの曲としてアレンジしてみせるというのが、この時のポールの構えに他ならなかった(cf.「59.アフター・ザ・ビートルズ」)。けれど、今回は違う。2013年の「Being for the Benefit of Mr. Kite!」は、音楽機械としてのレノンの作品を、それとして歌っていたのだ。

 相聞歌の視点からみれば、2002年の「DRIVING JAPAN」の白眉は、ジョンとの共作になる「We Can Work It Out」を歌ったことだった(cf.「センチメンタルな横断」)。歌う歌わないということは簡単なことではない。ことここに至るまでに、ポールは、80年代、スティービー・ワンダーやマイケル・ジャクソンと言ったビッグ・ネームと共演することを通じて、ジョンというカウンター・パートはもういないということをやっと受け入れることができた。ついで、90年代の後半を通じて敢行された『THE BEATLESアンソロジー』 のプロジェクトを通じて、ポールはビートルズを受け入れられるようになったのだ。それまで、「Yesterday」、「Let It Be」と言ったいかにもポールという曲以外は、人前で披露することのなかった彼が、ビートルズ作品をわだかまりなく歌えるようになったのはそう遠い日のことではない。

 2002年に、曲「We Can Work It Out」を歌うには、ジョンの死と巨大なビートルズの受容することが必要だったのであり、その道のりを経た後で実現したものであればこそ、ぼくたちはその時、それを歌うポールに心動かされたのだった。しかも、その曲が、「ぼくたちやっていけるよ」とジョンを励ますものであれば、なおさら(cf.「21.器を大きくする」)。

 その少し前、アルバム『FLAMING PIE』では、ポールの作品が、はじめて重さを抱えるようになる。それは、「軽快なロック」と「快美なバラード」を持ち味とする、それまでの彼の音楽機械にはなかった表情だった(cf.「6.マッカートニー図形」)。そしてこの作品を最後に、彼の音楽機械は、「軽快なロック」と「快美なバラード」の拡張を止めてしまったように見える。実は、2002年の「DRIVING JAPAN」の華々しさとは裏腹に、その前年のアルバム『DRIVING RAIN』も決して明るい作品ではなかった。なにしろ、どしゃぶり雨(Driving Rain)、さびしい路(Lonely Road)というのだから(cf.「118.ガイドのいないどしゃぶりの路」)。思えば、ポールは、1998年に最愛のパートナー、リンダをなくし、2001年のアルバム『DRIVING RAIN』の製作過程では、ジョージの死期の近いことを受け止めなければならなかった。ジョンの死を、ビートルズを、やっと受容できたのも束の間、こんどは最愛のパートナーとビートルズのもうひとりのパートナーをなくし、見送る役を強いられたのだった。落ち込むなというほうが無理な話だ。

 1997年のアルバム『FLAMING PIE』ではメランコリックな響きが滲みだし、2001年のアルバム『DRIVING RAIN』では、くすんだ色調が現れだしていた。その時、ぼくは60代を前にした音楽機械としてのマッカートニーの「枯れ」を感じた。言い換えれば、年齢という壁を。

 そこで、2002年の「DRIVING JAPAN」では、自らを鼓舞するように、曲「We Can Work It Out」を歌うが、ジョンを、リンダを、そしてジョージを振り返るコンサート内容は、「Hello Goodbye」に始まる楽しさとは別に、センチメンタルなものだった。少なくとも、ぼくの耳にはそう届いたのだった(cf.「センチメンタルな横断」)。ぼくはさびしい。みんなだってそうでしょう? ポールはそう言っているように聞こえた。

 もはやジョン・レノンとの対話を自己問答で繰り返す他、無くなっているのだけれど、でも、自己問答だからといって、堂々巡りに終わるわけではない。そこには、深みが生まれているからだ。2001年のアルバム『DRIVING RAIN』のあとになる2005年の『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』は、1997年のアルバム『FLAMING PIE』から生まれた、ある重さは、作品の質としても引き継がれていた。そして、ジョンとの相聞歌の進み行きとしては、ジョンを内面化したのだと思える。

 それまで、彼がジョンに対して呼びかける声は、「きみのところへ導いて」(The Long And Winding Road)というものだったが、「ついておいで」(Follow Me)と、これはジョンに向けて言っているのではないにしても、ジョンを自分の元を去り、どこかへ行ってしまうというイメージから、自分のもとにいるイメージへと転換がなされたように感じられたのが、アルバム『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』の味わいだった。それはジョンになる、ということではない。たとえば、同アルバムには、「Friends To Go」という曲があるけれど、これなど、ジョージになりきって、あたかもジョージが描きそうな曲をしつらえたもので、ポールの得意芸に属する。でも、ジョンの内面化というのは、ジョンになりきることができるというのではない。そうするには、音楽機械としてのレノンもマッカートニーも違いを際立たせている一方で、分かち難くつながりあっているものでもあるからだ。おいそれと、なりきって作品を作るということはできない。ポールは、80年代を通じてジョンの死を受け入れたけれど、2005年の頃になって、ようやくジョン・レノン自身を受け入れることができたのではないだろうか(cf.「121.ジョンの内面化」)。

 そして、2007年のアルバム『MEMORY ALMOST FULL』では、彼の音楽機械の本領である、軽快さと快美さが戻ってくる。順調な結婚生活ではなかったことが想像されるヘザーとの別れを経たのも彼の吹っ切りを後押ししているのだろうが、この作品では、ぼくたちはある意味で1997年以降に途絶えていた、本領を取り戻した手応えを感じることができる。しかし、ここでの軽快さと快美さは、彼の音楽機械の領域を拡張させるというのではない。言い換えれば、70年代から80年代のポールの作品につきまとった、軽快さや快美さに流れ過ぎるという、あの食傷感が無くなっている。あくまで、いままでのポールの軽快さと快美さの枠内に収まっている、らしい作品たちだった。けれどもまたそれは物足りなくなるということを意味していない。そこには、大切な人々との別れを通じて、身体化したメロウな要素が、スパイスのように効いて、いくぶんかの重さが味わいをもたらしくれるのだ。そこに身体や創造性の衰えという年齢の影響を加えることもできるだろう。しかし、枯れてもポール。いぶし銀は似合わないし、またいぶし銀とは似ていない。音楽機械としてのマッカートニーは厚みを加えたのだ。

 2012年のアルバム 『KISSES ON THE BOTTOM』では、スタンダードなジャズに依りながら、メロディの快美さに溺れるのではない、芳醇なメロウを味わせてくれ、音楽機械のマッカートニーの新しい領域、ではなく、質を伝えてよこしたのだった。

 そして、2013年のアルバム『NEW』。これは、作品の色合いとしても、2007年の『MEMORY ALMOST FULL』の後継に当たるものだが、メロウなたたずまいを加えた音楽機械としてのマッカートニーの新しい達成を告知するものにもなっていて、ぼくたちを驚かせる。

 こうしてようやく、ぼくたちは、2013年「OUT THERE JAPAN」のポール・マッカートニーに辿りつくことができる。ほぼジョン・レノン作の「Being for the Benefit of Mr. Kite!」を歌う場所に。

 これはポールがジョン・レノンを受け入れればこそ歌えた曲なのだ。受け入れる、ということはそれまで拒んでいたというのではない。しかし、分かちがたくつながっていた両音楽機械であれば、そこに確執はいつでも内包されていた。それが解けたというほどの意味だ。

 この作品は、音楽機械のレノンの幻想的なバラードの系譜に属していて(cf.「5.レノン図形」)、音楽機械のマッカートニーからは遠い曲だ。その曲をアレンジも原作に忠実に演奏し、1990年の「Strawberry Fields Forever/Help!/Give Peace A Chance」のように、音楽機械のマッカートニーへ、そうしようと思えばできるのに、変換していなかった。歌も、ジョンになり切って歌うというのではない、あくまでポールとして歌っていた。そうすると、欲張りなぼくたちは、どうしても、ジョンのあの、けだるい声を聴きたくなる。曲「Lovely Rita」でも、後半演奏部分のジョンの合いの手の声を聴きたくなる。もっと言えば、冒頭の「Eight Days A Week」だって、ジョンにハモってほしくなる。

 けれどもそれが不満というのではない。それができないことであることくらい、ポール自身が痛いほど知っている。でも、そこにある一抹の寂しさを漂わせて終わるわけではない。ポールは、あの異質なもの同士の見事なブレンドの相手を、ジョンの代わりに、聴衆に求めているかのようだった。もう、お馴染みになった、「Hey Jude」で、後半のコーラスを、男女それぞれの聴衆に託した後、再び一緒に歌わせるという演出だけでなく、「Ob-La-Di, Ob-La-Da」では、一緒に歌おうよ、と日本語で呼びかけ、呪文を唱えるくだりを聴衆に託してもいた。「All Together Now」を選曲するのも、みんなで歌えるものを重視したように思えた。

 そう、今回は、2002年の「DRIVING JAPAN」に比べても、日本語を使う場面が多く、「ありがとう」の他にも、「日本語、がんばります」、「一緒に歌おうよ」、「最高!」、「もっと聞きたいですか?」など、たどたどしくも喋ってくれた。11年前、曲「Michelle」の前の、「フランスに行こう」という頓珍漢なひと言とは違って、より聴衆に近づこうとしていた。あの時のように、寂しさがにじみ出し、寂しさを訴えるということももう要らない。だから、そこにセンチメンタルな情感が過ってしまうことも、余計にはなかったのだ。

 2013年のポール・マッカートニーの場所に照準されていることは、その選曲にも現れている。冒頭の「Hello Goodbye」は、「Eight Days A Week」に置き換えられ、「Here, There And Everywhere 」は歌わないという選択がなされた。つまり、音楽機械としてのマッカートニーの軽快さと快美さの極点にあるものは控えられたということだ。for Linda として歌ったのが、「My Love」ではなく、「Maybe I'm amazed」だったことも。

 ちょっと切ない「Another Day」、重さのある「And I Love Her」も、この視野のなかに浮かびあがってくる曲たちだ。つまり、軽快さと快美さを抑えた場所に見えてくるもの、それは、音楽機械としてのマッカートニーに加わった、メロウな味わいだ。それが、どこかで音楽機械としてのレノンの味わいに似たものとして、ぼくたちに届けられる。そうであればこそ、「Let Me Roll It」も重量感を増して響くのだし、ジョンへの「Here Today」もオリジナルを凌駕する抒情を湛えていた。

 ライティングも映像も音響も、11年分の蓄積があって、クリアな映像と音響は、さながら映画を観るようだった。けれど、鑑賞しているのはもちろん映画ではない。大勢の聴衆がそばにいて、曲「Live And Let Die」の爆破演出の熱も伝わってくる、そして、いくつかの曲では演奏の一部に聴衆も加わる一体感を目指した演出もあった。聴衆なしには、完結しない場がそこにはあった。それはポール・マッカートニーが、ジョン・レノンを受容したことで生まれた遊戯、ビートルズをともに楽しむという自由だ。もうそれは、ポール・マッカートニーにしか実現できないことだ。

 もちろん、ポールはきわめて率直なソング・ライターだから、寂寥の底に沈んでいることもある。その声は、『MEMORY ALMOST FULL』からも、『NEW』からも聞きとることができる。けれど、それは控えめでさりげない。まして、聴衆を前にした時、感じさせることはなかった。

 そう言えば、ビートルズ時代、コンサートの進行をポールが担当し、そこに茶々を入れたりおどけたりして見せるのがジョンの役目だったが、ゆうべのポールは、茶々やおどけの役も引き受けていたっけ。そこにいたのは、あの軽薄で能天気な彼ではなかった。


2013年11月18日のセットリスト

・Eight Days A Week
・Save us
・All My Loving
・Listen To What The Man Said
・Let Me Roll It/Foxy Lady (instrumental)
・Paperback Writer
・My Valentine
・1985
・The Long And Winding Road
・Maybe I'm Amazed
・I've Just Seen A Face
・We Can Work It Out
・Another Day
・And I Love Her
・Blackbird
・Here Today
・NEW
・Queenie Eye
・Lady Madonna
・All Together Now
・Lovely Rita
・Everybody Out There
・Eleanor Rigby
・Being for the Benefit of Mr. Kite!
・Something
・Ob-La-Di, Ob-La-Da
・Band on the Run
・Back in the U.S.S.R.
・Let It Be
・Live And Let Die
・Hey Jude

・Day Tripper
・Hi, Hi, Hi
・Get Back

・Yesterday
・Helter Skelter
・Golden Slumbers / Carry That Weight / The End

 

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2012年2月 5日 (日)

「Kisses on the Bottom」(『キス・オン・ザ・ボトム』)

 まず、これを書いているのはアルバムの発売前であることにぼく自身ですら驚く。音楽関係者でない一個人でもそれができるのは、全曲を視聴できるサイトがあるからだ。

 First Listen: Paul McCartney, 'Kisses On The Bottom'
 Exclusive Songs and Timeless Melodies

 これらのサイトも特定のファン向けに限定されたものではなく万人に公開されている。ぼく自身もこれらのサイトの存在をソーシャルメディアで教えてもらったのだが、有料の前に共有されるのがソーシャル的で新鮮だ。これが嚆矢なのかぼくは知らないし、Lady Gagaは既にやっているのかもしれないけれど、評価が経済に先立つ時代の波頭にこれは位置するのではないだろうか。

 ただ、ここに収められた14曲は、2曲の新譜を除き、スタンダード・ナンバーのカバーだ。古い曲を新しい装いのもとリリースしたということだ。けれど、ただみんなに知られた曲をカバーしたというのとは少し違っている。選曲に当たってポールは、完全に分かりやすい曲は避けたり、あまり知られていない少し変わった曲も入れたりしたという。それはよく知られた曲にしてもその扱い方の中にも表れている。

 たとえば、ぼくでも知っている「It's Only a Paper Moon」、「Bye Bye Blackbird」でも、出だしはそれとは分からないけれど曲が始まってみると、それと分かる、そうしたアレンジを施している。それがここでの温故知新の中身に当たっている。

 ポール・マッカートニーはこのアルバムのモチーフをどこに取っているのか。「僕の親の世代が正月に歌っていたような古い曲を以前からずっとやりたくてね」と、と彼は語っている。

僕ら子供たちが到着し、絨毯は丸めて片付けられ、女性たちがラムやジンの入ったカクテルあらベビーチャムやらを座って飲むなか、誰かがピアノを弾くんだ。大抵は父さんだった。で、みんなで"赤い駒鳥がやってくる"や"キャロライナの月"なんかの古い曲を一晩中歌うのさ。僕はそれを全て吸収した。そのうち、『これをやらないとダメだ。じゃないとこのアイデアを捨てることになって、自分を責めることになるだろう』(「ロッキング・オン」MARCH2012)

 そう思った、というのだ。もう自分のオリジナリティばかりに頼るわけにもいかない年齢になった時、自分たちの母胎に養分を求めるのはまっとうな方向性だと思う。もっとも、ポールは新曲だけのアルバムを今年中にリリースすると予告しているのだから、これは創造性が枯渇した結果なのではない。また、このアルバムでも、ジョンの思い出は欠かせない。ポールがジョンと初めて会った時、ジョンが好きだと言った曲のなかには、ここに収められた時代のスタンダード・ナンバーがあり、「それで彼に惹かれたんだ」。変わらないポールの率直な述懐から、ぼくたちはロックン・ロールではないもうひとつのビートルズの淵源を見るのだ。

 実際、これはいいアルバムだ。リンダを失った失意の最中にロックのスタンダードを中心に編まれた「Run Devil Run」よりはるかに心に響いてくる。ロックン・ロールはポールに向いていないということではない。ヨーコとの別居中、荒れて酒にまみれた中で製作されたジョンのアルバム「ROCK 'N' ROLL」は、自意識をまるまるロックのスタンダード・ナンバーの海に溶解させようとした迫真が、無意識の荒れの解放にまで手を届かせていて聴く者をぞくっとさせるのだが、「Run Devil Run」はそこまで行くことはなかった。もっともポールはジョンほどの荒れを抱え込んでいるわけではないから、そこまで行く必然性がないと言ったらいいのかもしれない。ポールはやはり肯定感を表現する方に本領を持っている。

僕はこれをリラックスするアルバムとして楽しんでいるよ。仕事先から家に帰って、靴を脱いで、ホット・ココアでもワインでも紅茶でもいいけど、お気に入りの飲み物を飲んで、くつろぐのが想像できる。そういうアルバムなんだ。素敵なムードだよ。それが押し寄せてくるのを受け入れるんだ。(「ロッキング・オン」MARCH2012)

 暖炉の前で聴くという素敵な評をした方がいるけれど、その通りのアルバムだと思う。聴く多くの人がそう感じるだろうけれど、ポールは今、幸せなのだと思う。それが最初の印象としてやってくる。エリック・クラプトンがアコースティック・ギターを聴かせてくれる「My Valentine」は、現在の妻であるナンシーとモロッコで休暇を過ごしたバレンタインの日にできたのだという。もちろん、その幸福感はポールひとりのものではなく、こうしてアルバムとして編まれて世に放たれることで、ぼくたちの手元に届けられる。人には幸せな瞬間があっていいし、それが訪れたらいつくしむように抱きしめればいい。このアルバムからぼくに響いてくるのはそんなメッセージだ。

 ポールはスタンダード・ナンバーもオリジナル曲もゆっくり歌っている。ツイッターで散見するように「疲れた」「眠い」などの身体性ですら言葉に記すことを、ぼくたちは覚えた。時間は小刻みに刻まれる。それは進化なのか分からない。でも一方、時間の高速化に身体を馴染ませながら、ぼくたちは深い思考、長い文章の読み書きなど、いわば深呼吸ができなくなっている。あるいはその時間を奪われている。そこに少し速度を落とした声が響いてくると、いまのぼくたちに必要とされている贈り物のように思えてくる。地面が揺れ、骨まで貫通する線が降っていても何食わぬ顔で日常をやり過ごしている極東の島国ではより一層、これは切実であるかもしれない。

 アルバムの最後は、オリジナル曲「Only Our Hearts」だ。ナット・キング・コールにモチーフを採ったような出だしから、途中ハーモニカが入り、スティービー・ワンダーみたいだと思ったら実際にそうで驚いた。またぞろ、スティービー・ワンダーに曲を渡して、間奏と終わりにハーモニカを入れといてと気楽に頼んだのではないかと思ったが、それは邪推というもので、メイキング映像ではちゃんと二人が並んで映っていた。曲「Isn't she lovely」もそうだけれど、彼は昂揚する切なさをハーモニカに乗せるのがうまい。ジョン・レノンならどう奏でただろうとぼくは思う。あるいはポールもそう思う瞬間があったのではないかと。

 スタンダード・ナンバーと並べてもオリジナルの曲の方がいいでしょう?というポールの声が聞こえるかのような力の入ったいい作品が最後に届けられて、ぼくたちは幸福な余韻に浸ることができる。このアルバムで何かが更新される。少なくとも、ぼくも三年ぶりにこのブログを更新する気になった(笑)。


1."I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter"  
2."Home (When Shadows Fall)"  
3."It's Only a Paper Moon"  
4."More I Cannot Wish You"  
5."The Glory of Love"  
6."We Three (My Echo, My Shadow and Me)"  
7."Ac-Cent-Tchu-Ate the Positive"  
8."My Valentine"  
9."Always"  
10."My Very Good Friend the Milkman"  
11."Bye Bye Blackbird"  
12."Get Yourself Another Fool"  
13."The Inch Worm"  
14."Only Our Hearts" 



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2009年4月14日 (火)

「僕らはリハーサルなんか一度もしなかった。」

 「BIG ISSUE」(116号)でポール・マッカートニー語る。

実際のところ、僕らはリハーサルなんか一度もしなかった。それはほんとにものすごいことだよ。その事実には今でもびっくりするね。僕らは本当にラッキーだったんだよ。

 これ、誇張にも虚偽にも聞こえない。それも、すごい。ですね。


Mccartneyissue_2

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2009年2月24日 (火)

Revolution 1, Take 20

 なんと、Revolution 1 の take 20。11分弱のバージョン。

 Unreleased Beatles material surfaces online

また冒頭には、ジョン・レノンがふざけて“お前のニッカーを脱いで、さあ行こうぜ”なんて言っている声が入っていたり、演奏が終わった後には「レヴォリューション9」(同じく『ホワイト・アルバム』収録)と同じようなテープ・コラージュ風が挿入されるなど、演奏以外での部分でも興味深いものといえそう。NMEではこれを“「レヴォリューション1」と「レヴォリューション9」のギャップを埋めるもの”として位置付けている。

 確かに、1と9のブリッジになる曲だ。

 なんと嬉しいこと。確かに新曲を聞いている気分。好きな感じ。ジョンがシングルでリリースしたかったというのはこんな感じだったんだろう。

 途中の効果音は、どこかで聞いたことがあると思ったら、『LOVE』のどこかで使っているエコーに似てないかい?


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2009年2月 1日 (日)

ジュリアン&ショーン

 ジュリアンとショーンが共演する可能性があるそうな。この二人、ここ12年は口をきいてなかったそうな。最近、和解したそうな。

 ジョン・レノンの残した息子二人、国連コンサートで夢の共演が実現か。

 ジョン・レノンの2人の息子、2月26日に共演か

 うん。二人はケンカしちゃいかん。仲良くしなきゃ。

 でもって、二人のデュエットの声、たまらなく聞きたい。そう思いません?



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2009年1月16日 (金)

「都会は夢をつかむにはたやすい場所だが、愛をつかむには極めて難しい場所だ。」

都会は夢をつかむにはたやすい場所だが、愛をつかむには極めて難しい場所だ。

 読み終わってしばらくたって、じわじわと効いてくるリリー・フランキーの台詞。

  『ビートルズへの旅』

Beatlesinengland_2












 散文のなかから、ここだけ詩として抜き出したくなる一節。
 ほんとは、都会で夢をつかむのはたやすくはなく、愛をつかむのもそんなに難しいわけじゃない。ほんとうはそうなのかもしれない。最初、読んだときはそう感じて、素通りした。

 けれど、時間が経つにつれ、寒波と一緒に、身につまされる気がしてきた。

◇◆◇

 29年前の今日、ポールが成田で逮捕されている。

 ポール・マッカートニーが大麻所持で逮捕

 高校生だったぼくは、馬鹿だなあと落胆した。どうして、そうなることが分かることをするんだろう、と。ポールは後年、「自分でも分からない」と言ってたけど(苦笑)。

 でも、当日の写真を見ると、まだまだ色んな経験を積みたまえ、と言いたくなる顔をしていると思いませんか?(苦笑)


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2009年1月14日 (水)

「ポールは音楽を変え、ジョンは世界を変えた。」

ポールは音楽を変え、ジョンは世界を変えた。

 リリー・フランキーの、もっとも印象に残ったフレーズ。

  『ビートルズへの旅』

Beatlesinengland_2












 もっと前から引いてみると、

「僕はビートルズをやっている間も、ずっとジョン・レンというスーパースターの存在に怯えていた」
 ビートルズへの音楽的な貢献度がジョン・レノンより上とされているポールの口から、その言葉が出るのは、40年間のジョンの生涯を振返ってみるところの言葉だと思う。
 ポールは音楽を変え、ジョンは世界を変えた。

 レノン-マッカートニーの魅力の核心に触れているのが、この本のいちばんの魅力だと思った。愛おしい一冊だ。


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2008年12月16日 (火)

口禍な人

 口禍って言葉は実際はないと思うけど、思わず、口禍な人と思ってしまった。

 ビートルズ秘話?明かす 反戦姿勢は「ポール主導」

 記者の編集かもしれないけど、「レノンさんにベトナム戦争に反対するよう説得した」なんてとても不自然です。

 ジョージが「商売」といい、ジョンが「PRマン」と揶揄したのはこれか、と。もちょっと、ジョージやジョンがいても言えることを言うという抑制があればいいのに。

 郷ひろみの「君ってまったく」の歌詞を思い出しました(苦笑)。



 

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2008年12月 8日 (月)

生まれたてのほやほやのように

 「イマジン」を作ったら本当に戦争が終わると思っていたミスター・レノンへ。
 それが人の性だとでもいうように戦争は世界から無くなっていませんが、あなたの言葉は生まれたてのほやほやのように、新鮮です。ストレンジ・デイズも相変わらずです。いや、いよいよ一層です。

 【20世紀のきょう】ジョン・レノン射殺(1980・12・8)


 安らかに。


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2008年11月18日 (火)

「Carnival Of Light」

 これは、聞きたい。ですよねえ。

 ポール・マッカートニー、前衛すぎてボツとなったビートルズ曲を公開?

 「Carnival Of Light」。1967年にレコーディングされたというから、サージェント・ペパーの頃ですね。

 「僕は気に入ってる。ビートルズっぽくなく、コースを外れたものだからね」と、ポールは、ビートルズっぽくないところを気に入っているよう。「Revolution #9」の呼び水か、ポール版の「You Know My Name」か。聞いてみたい。


 同様の記事です。オンライン配信の可能性あり、と。
 ビートルズの未発表曲、ポールが発売の意向--オンライン配信の可能性も

 もうひとつ。上記記事と同じ内容。
 PAUL McCARTNEYがTHE BEATLESの未発表曲“Carnival Of Light”をリリースする意向を明らかに

 さらにもうひとつ。関係者の画像つき。
 ビートルズの未発表曲、40年ぶりに配信か?

 さらにさらに。
 ビートルズの「幻の曲」をリリースへ=マッカートニー語る

マッカートニーは、この曲のマスターテープを持っているとして、やっと世に出す時がやって来たと話した。この曲をリリースすることによって、ビートルズは一般的なポップスのほかに真に前衛的な曲もやっていたことが分かるだろうと語っている。

 こういう発言を見ると、ポールはポール版の「Revolution#9」を出したい、と聞こえてきます(苦笑)。

 やたら話題が続きます。今日(11/19)も。
 ビートルズ“幻の実験ソング”リリースへ

マッカートニーはアビー・ロード・スタジオでのレコーディング中、「そこらじゅうを歩き回って何か叩いたり、叫んだりしながら演奏したよ。意味なんかなくていい」とメンバーに話したという。同曲のマスター・テープを所持していることも明らかにし、「ついにこの時が来たんだ」と語っている。

 なんかこういうのを見ると、「また商売しやがって」というジョージ・ハリスンの声が聞こえてきそうです(苦笑)。


◇◆◇


 『レコーディング・セッション』をみると、Penny Lane のレコーディング途中に作られています。ときは、1967年1月5日。

 前夜録音したものに代わるマッカートニーの新しいヴォーカルを“PennyLane〝にオーバーダブ。続いてこの口のセッションの本題に移る--同月中にロンドンの《ラウンドハウス・シアター3》で開催されるイベントくCARNIVAL OF LIGIIT〉で使うサウンド・エフェクト・テープの制作だ。この任務はポールを中心に進められ、ループやディストーションの奇妙なコレクションをテープに収める。プレスは当時これをF電子ノイズものテープと書いた。
 これはビートルズにとって、他に例を見ない作品だった。もっとも、彼らは後に同様のレコーディングを繰り返すことになる。1968年の2枚組アルバム『THEBEATLES』収録の"Revolution9"がその代表格だ。とまれ、この日に録音された作品は13分48秒の長さ。独立した1曲としては、ビートルズの全レコーディング中もっとも長く、ベーシック・トラックに無数のオーバーダブを加えたものである。
 テープのトラック1には、ディストーションを効かせた単調なドラムスとオルガン、トラック2には、やはりディストーションをかけたリード・ギター、トラック3には教会のオルガン、数種のエフェクト(水でうがいをする音など)と声、そしてトラック4には、大量のテープ・エコーをかけた、言(第1テイクより)語に絶するさまざまなサウンド・エフェクトと、騒々しいタンバリンが録音されている。
 しかし、中でも強烈なのは、トラック3で聴かれるものすごい声じジョンとボールが狂ったようにわめき、Are you alright?(大丈夫かい?)」とか「Barcelona!(バルセロナ!)」といった文句を、思いつくままにどなる。
 コントロール・ルームに向かって「プレイバックしてくれる?」と叫ぶポールの声と共に、14分近いこの曲は幕を閉じ る。彼らはテープを聴き返し、早速ラフ・モノ・リミックスを作った。くCARNIVAL OF LIGHT〉の主催者にテープを漉したボールは、ビートルズがこのようにアヴァンギャルドな作品を生み出したことを、明らかに喜んでいた。



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2008年11月 6日 (木)

『A Hard Day's Night』、冒頭コードの解明!?

 これはすごいニュースです。
 『A Hard Day's Night』の冒頭のあの音のコードが解明されたというのだ。しかも、解明したのは数学者。

 論文名は、「数学と物理とア・ハード・デイズ・ナイト」。
 pdfでも見れるって素敵じゃないですか。
 「Mathematics, Physics and A Hard Day’s Night」

 「It was forty years ago」ではじめたり、「The End」で締めくくる当たり、ビートルズとシンクロしながら論文を書いているが、ブラウン教授もビートルズが好きなんだろう、きっと。でなきゃ、この解明に半年は費やせないよね。

 「ビートルズ名曲冒頭の音の謎」を数学者が解明

ギタリストたちはこの数十年間、このコードがどのように演奏されたのかと頭を悩ませてきた。このコードには、ビートルズにいた2人のギタリストと1人のベーシストが1度の録音では出せないような音が含まれているにもかかわらず、専門家が同曲のこのパートでは多重録音は行なわれていないと断定しているからだ。
解析の結果、このコードには、プロデューサーのジョージ・マーティンが演奏したと思われる5つのピアノ音が含まれていることが判明した。

 ん~、これは唸ります。

◇◆◇

 そしてほどなくして、こんどは教授の解明は不正解という記事があがりした。

 「ビートルズ名曲の謎を数学者が解明」:ナイストライだが、たぶん不正解

 これまたすごい。いったいなんてスピードなんだ!



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2008年11月 5日 (水)

2分間で65万円

 ビートルズのアメリカ初ツアーの映像が、発掘された。

 ビートルズの希少なコンサート映像、65万円で落札

 たった2分間で65万円。しかも、予定外のコンサート。

1964年9月の同コンサートに行った米国人男性が所有していた2分間のカラーの無声8ミリ映像で、両親の家を掃除していたときにその存在を思い出したという。

 この発見のされ方、面白いですね。でも古い文書やテープが発見されるときって、こんな感じなのかもしれないですね。まぐれも実力のうちっていう言葉がありますが、こんな弾みで思い出されるのも実力のうち、です。




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2008年11月 3日 (月)

『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』

 ビートルズとは、強力な磁場の恋愛空間のことではないか。『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』はそう思わせる作品だ。

  『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』
Jeff

 ビートルズのレコーディングの圏内に入ると、レノン-マッカートニーの、恋愛とまがう強力なパートナーシップを前に、誰もが恋に落ちてしまうのではないだろうか。

 『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』も、その恋の告白のようなものなのだが、ここで恋に落ちているのは、他でもない書き手のジェフ・エメリックだった。

 ジェフは、エンジニアとしてジョージ・マーティンと口を言葉を交わさなくても、ジョージのやりたいことがわかってしまう。しかし、ジェフが恋したのはジョージ・マーティンではない。ポール・マッカートニーだった。

 今にして思うと、エンジニアの交代は、あらかじめ、ポールから暗黙の了解を取りつけた上でおこなわれたんじゃないかという気がしてくる。いや、そもそも彼がいいだしたことだったのかもしれない。こんなにも重要な決定を、ジョージ・マーティンがメンバーとの話し合いぬきに↑すというのは、普通に考えるとありえない話だし、いつもスタジオでの音決めにいちばんのこだわりを見せていたポールが、メンバーのなかではもっともジョージと関係が探そうだったからだ。
 ポールとぼくは、いっしょに仕事をしたごく初期の時代から友情を育んでいた。ぼくとしては、彼がぼくのことを気に入ってくれたからだと思いたいのだが、もしかしたら彼は最初から、ノーマンの後釜候補のつもりで、ぼくに日をかけていたのかもしれない。

 妄想と見まがうほどの関係察知が発動されている。自分がエンジニアに推されたのはポールが根回ししてくれてかたではないのか。ジェフはポールに恋してしまったのだ。

 でもポールの眼中にあるのはジョンだから、この恋は必然的に片思いにならざるをえない。ただ、ジェフにとっては、ポールと無言の意思疎通ができたと思える瞬間はいくつかあった。その分、ジェフのこの本は、ポールから見たらビートルズやその周辺の人物たちはどう見えたのか、幾分か代弁している。でもジェフの人を見る目からして、ポールのみた世界に比べてはるかに浅薄にならざるをえなかった。

◇◆◇

 それはこんな風に書かれる。

 ジョージ・マーティンはドライなウィットと、すばらしいユーモア感覚の持ち主だった。いつも服装に気を遣い、礼儀を重んじていた彼は、どこかうるさ型の教師を思わせ、本人もそうした役柄を楽しげに演じていた--ちょうどビートルズの四人が、いたずら好きな学童の役を楽しんでいたように。
 彼はまた、迷いを感じさせない、いい意味での自信家だった。彼を見ていると、自分の求めるものをいつも正確に把糎しているという印象を受けた。育ちも教育もスタンスも、まるでちがっていたけれど、彼とぼくはごく早い時期から、とてもうまくコミュニケーションが取れた。たぶん、彼が最初にぼくのことを気に入ったのは、おとなしくて、自分の考えを口に出すタイプではなかったからだろう。
 彼の立場からすると、コントロール・ルームにおしゃべりで、自己主張の強い人間がいるぐらい始末の悪いことはない。バランス・エンジニアに昇格したあとも、ジョージとぼくはさほど話をしなかった。時がたつにつれて、言葉など必要のない域に達していたのだ。ほとんど、おたがいの心が読めるような感じだった。
 でも、ジェフが恋しているのはポールだった。
 そして、ポールがジョンを第一に尊重している度合いに応じるかのように、ジェフはジョージやリンゴを軽視する。

 最初に出会ったときから、ポールは温かみのある誠実な男だった。偉ぶるようなことはなかったけれど、自分の求めるものをしっかり把握し、しかもさらに重要なことに、無理強いをするのではなく、外交的な手腕を使って、自分のやり方を適す方法を知っていた。

 そうした点から考えると、世間の見方とは異なり、彼こそがビートルズのリーダーだったように思えてくる。演奏や歌に不満があるとき、ほかのメンバーのお尻を叩いていたのは、いつだってポールだったし、ジョージ・マーティンがトークバックでもう1テイク錬ろうと告げたときも、たいていは彼が、「やろうぜ、全力を出しきろうじゃないか」とほかのメンバーにはっばをかけていた。

 ビートルズのなかで「真の」 ミュージシャンといえるのは、ポールだけだった。さまざまな楽器をこなし、音楽をプレイしていないときも、いつもその筋をしていた。その結果、彼とノーマン・スミスの関係は、ことのほか強固なものになる。ノーマンはいつも、ポールの音楽的な意図を敏感に察していた。きっとポールはかなり早いうちに、コントロール・ルームでいちばん頼りになるのは、ジョージではなくノーマンだと気づいていたにちがいない。

 四人のなかでいちばん複雑な人間だったのは、いうまでもなくジョンだ。彼ほどの知的好奇心はなかったかもしれないが、ほかの三人のビートルズは概して安定し、首尾一貫したパーソナリティの持ち主だった。
 機嫌がいいときのジョン ー たいていはそうだったIは優しく、チャーミングで、思いやりがあり、信じられないほどおかしかった。けれども彼は気分屋で、虫の居所がよくないと、おそろしく辛辣で嫌なやつ顔中にはっきり「怒」と書いてある~になった。

 問題は、どっちのジョンと出くわすか、まるで予想がつかなかったことだ。それくらい彼は急に機嫌が悪くなった。さいわい、機嫌がよくなるのも同じくらい早かったので、ご機嫌ななめだと思ったときは、しばらく近づかないようにして、風向きがよくなるのを待つのが最善の策だった。

 ジェフはポールに恋している。だからポールは最高に見える。ポールがジョンを尊重している度合いに応じて、ジョンも尊重する。けれど、それはポールを介したジョンだから、後年、ジェフは後悔することになる。

 ビートルズとすごした日々について思うとき、ぼくの数少ない心残りのひとつが、ジョンの崩壊した家庭環境と、子ども時代に経験したトラウマのことを、なにひとつ知らなかったことだ。たぶん当時はジョージ・マーティンも、知らなかったのではないかと思う。もし知っていたらもう少しジョンを理解できただろうし、ぼくらの関係ももっと探まっていただろう。返す返すも残念でならない。

 こうした思い方もポールっぽいものだった。ジェフがポールの目を通すので、彼の目に映る他のメンバーはポールを代弁するようなところがある。しかしポールへの憑依が不足している分、その代弁は愛情薄弱で浅薄になっている。

 現にポールはときどき、ジョージの音楽的な限界にいらだちを見せた。少なくとも、哀れなジョージがソロやリード・パートに苦労するのを見て、あきれたような表情をしていたのは紛れもない事実だ。そんな時のポールは、自分ならもっと早く、もっとうまくできるのに、とさぞかしじれったい思いをさせられていたにちがいない。

 公平にいって、レノン&マッカートニーという圧倒的な才能を相手取らなければならないジョージは、かなり不利な闘いを強いられていた。まず彼はグループの最年少メンバーで、そのためしばしば弟あつかいを受け、真剣に取り合ってもらえなかった。さらに彼にはアイデアをぶつけ合うことのできる、曲づくりのパートナーがいなかった。たぶんかなり早い段階に、自分がレノンにもマッカートニーにもなれないことを悟ったのだろう。そう考えればジョージがインド音楽に傾倒した理由も説明がつく - それはほかのメンバーとはいっさい関係がない、彼だけの表現方法だったのだ。時にはジョンが歌詞づくりやコード進行に手を貸すこともあったけれど、たいていはすぐほかのことに気を取られるか、飽きてしまうのがオチだった。

 ちなみにポールがそうやって、ジョージに手をさしのべる場面は一度も目にしたことがない。年下のバンド仲間に対する彼の姿勢は、ひとことでいうとこうだった - 「ぼくに助けを求めるなんてとんでもない。自分のことは自分でやれ」。もしかするとこのふたりのあいだの緊張 - クリエイティヴな面と人間的な面の両方で - が原因で、ジョージがぼくから距離を置いていた可能性もある。ぼくがポールといちばん近しいのは、だれの日にも明らかだったからだ。

 おそらくぼくにとって、ジョージ・ハリスンのいちばん好きになれないところは、彼がいつも嫌味ばかりいっていたことだろう!それもぼく個人にかぎらず、世界全般について。

 リンゴにそういった問題はなかった。いや、むしろ彼はどんなことについても、ほとんどいいたいことがないらしかった。もの静かというだけではまだ足りない。何年もいっしょに仕事をしたけれど、正直いってぼくは、二度もリンゴと実のある会話をした記憶がないのだ。彼は外向的なタイプではなく、それはぼくも同様だったので、けっきょくおたがいのことを深く知り合えないままで終わってしまった。

 しかし、その場に居合わせただけあるジェフならではの観察もある。

 けっきょくリンゴは、ポールの当意即妙の才にも少なからず助けられて、力強い演奏を披露した。バンドのなかではポールがつねに、いちばん安定したタイム感の持ち主だったし、リンゴも必要とあれば彼の助けを受け入れる謙虚さを持ち合わせていた。それでもこのレコードを開くと、彼らの気が散っていて、自分たちのしていることに、本気で集中できていないのがわかるだろう。〈アイ・アム・ザ・ウォルラス〉の演奏中、メンバー全員の顔に浮かんでいたうつろな表情は、今もはっきり覚えている。ビートルズとすごした時間のなかで、いちばん悲しい思い出のひとつだ。
 ぼくはジョン・レノンがヴォーカルをいじくったり、ナンセンスな言葉遊びにふけったりするのは、自分の不安感を隠すためではないかとつねづね思っていた。今回彼は、自分の声を月から聞こえてくるような感じにしてほしい、とリクエストした。月にいる人間がどういう声を出すのか- いや、それ以前にジョンが頭のなかで、どういう声を思い描いているのかもーぼくにはさっぱりわからなかったけれど、彼といくら話してみても、いつものように、ほとんどラチがあかなかった。

 メンバー全員でが「うつろな表情」でレコーディングした「アイ・アム・ザ・ウォルラス」。それは、「ビートルズとすごした時間のなかで、いちばん悲しい思い出のひとつ」という感慨は、解体期にかかったビートルズの姿を正確に捉えていた。

 驚いたことに彼らは、ごく簡単にリハーサルを済ませると、このソロを最初のテイクでものにしてしまった。終わっても、おたがいの背中を叩いたり、抱き合ったりするようなことはなかったが-ビートルズはめったに、身体を使った感情表現をしなかった~全員、満面に笑みをたたえていた。
 なんとも心温まる瞬間で~この裏はここ何か月か、めったに使う機会がなかった-三人がコントロール・ルームに戻ってくると、ぼくはひとりひとりにおめでとうをいった。とりわけジョージのプレイに圧倒されたので、彼がドアから入ってきたとき、「今のはほんとにすごかったですよ」と声をかけた。ジョージはちょっと驚いたような顔になり、けれどもぼくにうなずきかけて、「ありがとう」といってくれた。個人的なレヴエルで彼と心が通ったと実感できた、数少ない瞬間のひとつだ。
 もしかしたらソロを弾いていたとき、いっしょにプレイするのはこれが最後になると彼らにはわかっていたのかもしれない。もしかしたらあれが、辛い別れの瞬間だったのかもしれない。

 これもそう。最後の輝きの瞬間だ。

◇◆◇

 「ビートルズ相聞歌」にとっても重要なコメントがいくつもあった。

・「ヘイ・ブルドッグ」をレコーディングした後、ジョンは、これをレディ・マドンナに代わってシングルのA面にしようと主張するが、ジョージ・マーティンの「もう間に合わない」という声で却下された。

・「レボリューション1」の次に持ってきたポールの作品は、「ブラック・バード」だった。

 ジョンの気分がよくなっても、明らかに緊張は潜んでいたし、古傷も癒えていなかった。ホワイト・アルバム》セッションのときのように、バンドはちょっと気を抜くと、すぐにとりとめのないジャム・セッションをはじめてしまったし、ポールに対するジョンの態度も、かなりぶしっけだった~〈カム・トウゲザー〉の大きな特徴となるエレクトリック・ピアノのリフと、急降下するベース・ラインを考えだしたのは、彼だったにもかかわらず。しかもジョンはそのピアノを、自分で弾くといって開かなかった。ポールの肩越しにのぞきこんで、彼のパートを覚えてしまったのだ。
 昔なら、絶対にこんなことはありえなかっただろう。ふたりとも、ピアノならポールのほうが上手いと知っていたし、たとえジョンの曲であっても、通常はポールがキーボードを受け持っていたからだ。
 ジョンは(カム・トウゲザ↓のリード・ヴォーカルだけでなく、パッキング・ヴォーカルも全部ひとりでうたった。ポールやジョージに助けを求めることはなく、彼らも自分からは申し出なかった。ジョージはどうでもいいという態度だったが、ポールはかなり頭に来ていたらしく、とうとう「ジョン、ぼくはこの曲でなにをすればいいんだ?」となかば怒ったような口調で問いただした。
 気圧されたジョンは、「心配するな、あとでオーヴァーダビングする」と答えた。
 ポールは少し傷ついた顔になり、次いで怒りをあらわにした。
 一瞬、ぼくは彼が感情を爆発させるのではないかと思った。だが彼は目刺し、肩をすくめると、そのままスタジオを出ていった - 彼がセッションを早退したのは、このときをふくめてごく数回しかない。きっと、侮辱されたように感じていたのだろう。だが口論やケンカをはじめる代わりに、彼は黙って立ち去るほうを選んだ。翌日には戻ってきたが、この件に関しては、それっきり、なんの話も出なかった。

 ここは、「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」でポールがこう語っていた個所で印象深い。

「ビートルズには最高の状態で、以前と同じように創作活動を続けて欲しかったけど、状況は変わってしまった。今では単なる個人の集まりになっている。『アビイ・ロード』の僕らは、もう以前のようにハーモニーしていない。悲しいことだ。〝カム・トウゲザー″で供はジョンとハモって歌いたかったし、ジョンも僕にハモって欲しかったと思うけど、僕はジョンに尋ねる勇気がなかった。あの状況で僕は自分の能力を最大に発揮したとは言えない」。

 さて、最後に付された日本人同士の座談会はこう締めくくられる。

それと、文中の記述に一部、マーク・ルイソンの『レコーディング・セッション』などの資料と食い違うところがありますが、この本は「記憶」であって「記録」ではないということで、ご理解いただきたいと思います。

 同じように言えば、この作品に書かれているのは、「事実」ではなく、ジェフ・エメリックにとっての「真実」だ。そういう意味で、邦題の「最後の真実」は的を射たものだ。

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 この感想を書いてから、日増しに印象深くなってきたことがある。「シー・ラブズ・ユー」のレコーディングのこと。「シー・ラブズ・ユー」のレコーディングのとき、ファンの子たちが警備をかいくぐりEMIのスタジオに大挙して乱入した。ひとりは確か、彼らのスタジオにも突入している。

 印象深いのはこのシーン自体ではなく、ジェフは「抱きしめたい」を聞いたとき、ビートルズは少し疲れているんじゃないかと感じるのだが、その理由について、「抱きしめたい」のときは、「シー・ラブズ・ユー」のときのように、女の子たちの乱入と絶叫がなかったからかもしれない、とそんな意味のことを書く。

 そうかもしれない。日を追うごとにそんな気がしてくる。じわじわくる説得力だ。



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2008年10月15日 (水)

ハミルトンが世界文化賞

 ハミルトン、と書きながら、ぼくも誰か分からない。
 でも、ビートルズのホワイト・アルバムのジャケットをデザインした人といえば、俄然興味が湧くというもの。

画廊のオーナーの推薦で同氏を知ったポール・マッカートニーから依頼の電話が来た。「わたしは開口一番、『君がやったらいいじゃないか』と言ったんだ。だって、ポールは美術学校を出ているんだからね」。ポールはその話に「できそうもない」と答えたという。その後打ち合わせで30分も待たされ、「怒りがこみ上げてきた」同氏だが、「親切で、ナイスな人」とポールの人柄に好意を持ち、「何もない真っ白なアルバムにしたらどうか」と提案した。

 さしものポールもアルバム・ジャケットをデザインしようとは思わなかった。

同じ英国のポップアーティスト、ピーター・ブレイクが作った前作「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットは、モンローやチャプリンら沢山の人をコラージュした「にぎやかな」作品。「全く逆にしたらどうかと思ったんだ」と振り返った。

 逆張りの「白」は、「サージェント・ペパーズ」の続きとしてこの上ないインパクトをもたらしたが、あのジャケットの芸術性の本質は、当時のビートルズのニヒリズムを象徴したことにあると思う。

「ホワイトアルバム」と呼ばれるこのアルバムの成功を受け、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーからも依頼があったが、同氏は断り、そのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」(1971年)はアンディ・ウォーホルが制作した。

 ビートルズおっかけのストーンズらしいエピソード。でも断られたのが功を奏している。


 ※「ホワイトアルバムのデザイナーに世界文化賞」



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2008年10月 9日 (木)

乱舞する幻想性と不在の詩的精神

 ジョン・レノンの不在は、詩的精神の不在だ。彼の言葉は過ぎてゆかない。ぼくたちはいまでも、

こんな日々があろうなんて誰も教えてくれなかった
まったく奇妙な日々だ
『ジョン・レノン詩集』

 この通りの日常を送っているではないか。
 こればっかりはポール・マッカートニーにはできない。いや、そう言うのはポールに酷というもので、余人をもって代えがたいのだ。

 でも、詩的精神は不在でも、ジョン・レノンが彼の作品について、その幻想性が開花するのを渇望してやまなかったが、彼の不在を生きるぼくたちは今、ジョンに喜んでもらえる材料を持っている。

 ビートルズ版の「フリー・アズ・ア・バード」や「リアル・ラブ」、アルバム『レット・イット・ビー・ネイキッド』の「アクロス・ザ・ユニバース」、アルバム『ラブ』の「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」がそうだ。そうそう、映画『アクロス・ザ・ユニバース』は、幻想に包まれていて、ジョンの喜ぶ貌が目に浮かぶ。これらの作品のおかげで、ぼくたちはジョンの不満げな表情を思い浮かべずに済んでいる。

 ぼくたちはいま、乱舞する幻想性に慰められ励まされながら、詩的精神が発するべき言葉を探しているのだ。


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