2017/03/28

「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」(鶴岡真弓)

 なんといっても鶴岡真弓の「「女神土偶」と生成のコスモゴニー」が生き生きとしている。サンゴ礁の思考にとっても刺激的だった。

 まずぼくたちのこだわりどころから入っていこう。

 古代中国の漢字の解字からいえば、「文様」の「文」は「×」のしるしのことだ。「「いれずみ」を「刺青」や「入墨」ではなく「文身」と書くとき、まさにその意味が明示される」。

 それは、「「よいもの」を留める、「よき封じ」のしるしである」。

この古代からの象形と漢字の解字が伝える「文 ×」の機能は、それより前の先史時代の恣意や信仰を継承しちる可能性が高い。

 鶴岡によれば、「+」は「×」で「回転させて、最初の動力を入れる」形であり、渦巻きを生成させる。

 また鶴岡は、「×=アヤ=文=文様は、災いのストッパーとしてのしるしでもあった」と書くが、「でもあった」というように、それだけではない意味も見い出している。日本で続いてきた、生まれた赤ちゃんの額に描く「×(文(あや)っこ」は、「祝いの文様」なのだ。

 ここでぼくたちも言うことができる。琉球文身の「+」「×」は、「魔除け」の記号と解されることが多い。しかし、初発の意味はそうではない。それは、豊かな霊力の場そのものを意味し、とりわけその境界の意味を持った。境界だから、封じるという機能も生じたのである。人間が自然に対して優位性を発揮するようになると、やがてそれは「魔除け」とも解されるようになった、ということだ。

 もうひとつ言うべきことがある。鶴岡は縄文土偶の女神について書いている。

 では何を指して、「女神」と呼ばれるのか。
 縄文社会、共同体あげての「生命産出」と「生成持続」への願いは、特殊なものではない。「いのち」「生成」という普遍的な経験と観念は、私たち今を生きる人間にも同じように思惟の要にある。しかし先史、新石器時代人の造形の強度と豊穣は、現代人の力をはるかに超えているといわねばならない。「女神」や「母神」とおぼしき像は、その後の人類芸術史には競うものがないほど豊かな「生命/生成のデザイン」を追究した。
 なぜなら結論めくが、それらは、近現代人が考えるような「あらかじめいる神の描写」をしたのではなかったからだ。存在が、創造的・想像的に繰り出す、徹底した「生命/生成イメ―ジ」の表象だからだ。

 その表象を牽引するのが「渦巻き」文様である。

 さて、琉球弧では「土偶」は出土していない。島人は土偶をつくることはなかった。これは、島人が自分を客体視した身体像を持たなかったことに対応していると思える。島人はまだ自然のなかに溶け込んでいた。しかし、それは女神の不在を意味していない。

 琉球弧においては、女神とは出現するものだった。それこそ女性身体として。女性たちは、女神本体の一部だった。そして、その本体とはサンゴ礁に他ならない。それは、「地母神(アース・マザー)」、「ゴッデス(女神)」と呼ばれるものの琉球弧バージョンであり、サンゴ礁母神ともいうべき存在だ。しかし、繰り返すが琉球弧では、サンゴ礁母神を造形したのではない。それを女性たちは生きたのである。

 琉球弧では、女神像からその思考にアプローチすることはできない。けれども、それによらずとも女神のあり方を生き生きと伝えて寄越す。それが先史琉球弧の魅力だと言ってもいい。そして、その女神のあり方を今日まで伝えたのが、琉球文身であることは言うまでもない。

 

『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』

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2017/03/27

食物連鎖とトーテミズム

 「食」が人間の表現の主題だった段階では、人間と自然の関係は、「食うー食われる」と表現できる。ふつうには食物連鎖と言われているものだ。

 この「食うー食われる」は、トーテムとも関係している。琉球弧で、「蛇」の次の段階で「トカゲ」がトーテムに選ばれたということには、蛇がトカゲを食べることが重視された。それが理由のすべてではないが、蛇がトカゲを食うことが、トカゲをトーテムとする重要な契機のひとつになっていると考えられる。

 ここで、食物連鎖としてみれば、人間と自然の関係は「食うー食われる」になるけれど、トーテミズムの視点からみれば、「食われる」ということは、そのものに「なる」ことを意味している。実際に捕食はそのように見える。これは逆にいえば、「食う」とはそのものを「取り込む」ということになる。「食われる」ものを「食う」ものの一部にするということだ。

 この連鎖のなかでは、トカゲの「祖先」は蛇になるし、蛇はトカゲを生み出すことができることになる。

 また、トカゲの祖先が蛇だという場合、部分が全体のなかに取り込まれることであり、蛇がトカゲを生み出すとは、全体から部分が生まれると言うこともできる。ここに、部分と全体が一致するという思考を見ることができる。

 一方、「仮面」の装着によってそのものになるという行為もある。この場合、「仮面」という部分を、そのものという全体に一致させている。

 前者は、霊魂発生の前から存在できるのに対して、後者は霊魂の発生を必要としている。こう考えると、部分と全体の一致という思考は、霊魂の発生によって表現方法を増やした、あるいは変えたと見なせる。

 これはボディペイントと刺青の差としても言うことができるのではないだろうか。

Photo_2


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2017/03/26

「ひざら貝になった男」(沖永良部島)

 沖永良部島の龍宮譚では、「ニラの島」での別れの際、求められて、「蒔かずに作られる作物の種が欲しい」と所望すると、「クヂマ(ひざら貝)」をもらう。

 男は「海へ行って楽にして食べよう」と思って、「舟の上でクヂマ貝の背中の殻を取り外したら、笛吹松自分がクヂマになった」。

 これは男がトーテムである「ひざら貝」に戻ったことを意味している。

 この場合、持参した「ひざら貝」とは別に、男の化身態である「ひざら貝」がもうひとつできたのではなく、持参した「ひざら貝」になった、あるいはそのなかに取り込まれたと考えるべきなのだと思える。

 このシーンは、「ひらぶ貝」に挟まれるサルタヒコの最期の場面を思い出させる。

 サルタヒコ ひらぶ貝にはさまれる
 笛吹松   ひざら貝の殻を取り外したら、ひざら貝になる

 これは同じことを意味しているのではないだろうか。サルタヒコはそれが最期の場面であることによって、トーテミズムの終わりも鮮明に印象づける。笛吹松の場合、そうは書かれていないが最期であるにはちがいない。だから、これもトーテミズムの終わりを示しているのだろう。

 劇的ではない、このなし崩しにも見える顛末は、琉球弧らしい気がする。宮古島の「山立御嶽」の由来譚で、異類婚姻をしたふたりが最後、スズという大魚になって海へ帰るのとも似ている。(参照:「山立御嶽」(『宮古史伝』)

 トーテミズムの終焉というより、みずからひとまず閉じたとでもいうような感触だ。

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2017/03/25

言葉の変態と動植物の変態

 言葉の変態による命名の系列をサンゴ礁から採ってみる。

 ユナ(砂洲)-イノー(礁池)-スニ-ヌー(澪)-ウル(サンゴ)

 これは地名の系列だ。これには植物を加えることができる。

 ユウナ(オオハマボウ)-ユナ(砂洲)

 これは発生の順番からいえば、ユナ(砂洲あるいはサンゴ礁)の変態としてユウナは生まれた。

 同様に人間の考えられる。

 イヤ(胞衣)-ユナ(砂洲)

 これは、ユナ(砂洲あるいはサンゴ礁)が変態してイヤ(胞衣)は生まれた。

 動物の系列には、ザン(ジュゴン)が挙げられる。

 ザン(ジュゴン)-ユナ(砂洲)

 ユナ(砂洲あるいはサンゴ礁)が変態してザン(ジュゴン)は生まれた。ザンについては別の言い方もできて、ユナの霊が化身したものがザンである。

 ここで動物相互の変態も挙げてみる。

 バカギサ(キシノウエトカゲ)-カタカス(オジサン)

 これは順番から言うと、バカギサがカタカスに変態する。ユナ系列の言葉のできた方からいえば、変態が考えられるところでは、言葉もそれに対応していると見なせるから、バカギサ、カタカスがともに古名であるなら、バカギサの音韻変化からカタカスができることになる。これは音韻変化だけでみればできないことはないが、両者が古名であるかどうかが分からない。

 フダチミ(ヤモリ)-フカ(鮫)についても同様のことは言える。

 こうしてみると、古名が分かれば、伝承に残されていない動植物間のメタモルフォーゼを知る手がかりになりうるということだ。

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2017/03/24

頭をはずして漁をする(『「物言う魚」たち』)

 後藤明は、ニューギニアの海岸からビスマルク諸島にかけて分布する、漁をするときに頭を外していたという「奇妙」な話を紹介している。

 トカナオは村一番の漁師だった。彼は他の漁師のように夜ではなく昼に漁をした。

トカナオは不思議なことに漁の道具を持っていなかった。(中略)トカナオは両手で首をつかみ頭をねじって胴からはずした。彼はその状態で水中に入り、水面から見えなくなった。彼が戻ると、首の穴があいている場所からたくさんの魚が出てきた。

 トカナオは意地悪をされて頭をなくしてしまい、海に入る。何年かしてトカナオが頭をなくした場所から木が生えている。その木から落ちた実をみると、頭に似ていて、目、鼻、口そっくりの跡がある。割ると美味しい汁が出る。村人たちはすばらしい漁師だったトカナオの思い出にこの木の実を"ココ椰子"と名づけた。

 後藤は、これを首狩りの説話の流れのなかで紹介しているが、もちろんこれは首狩りとは関係ない。

 首のない胴体は、首の座る前の乳児を思い出させる。胞衣をかぶった子供は不思議の技をなすという文脈からいえば、首をはずすという行為は胞衣になるということを意味するのではないだろうか。胞衣になるということは、この世とあの世を往還する状態に入るということだ。海中というこの世とあの世の境界領域では、胞衣は生命を育む容器になる。だから、戻ったとき、胴体から、つまり胞衣からたくさんの魚たちが出てくる、生まれ出てくることになるのではないだろうか。

 この説話の段階は、人間と植物との同一視の段階にある。そこで、頭をなくした胴体である胞衣は、人間ではなく植物として生まれたということだ。

 これは試論に過ぎないので、他の例に当たったときに再び考えてみることにする。
 


『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』


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2017/03/23

琉球語の音韻グラフ

 試行の域を出ないけれど、「濁音の同一と等価」を更新してみる。これは、もともと吉本隆明の「表音転位論」や「起源論」で行っていた訛音と必然的な転位の区別のモチーフを引き継いだものだ。

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 ここで吉本が「濁音等価」のなかに挙げなかったのは、「タ行-ラ行」と「マ行-ナ行」になる。前者は、柳田國男も通音を指摘していたものだが、与論語でも頻繁に聞かれる。後者は、「ミルヤカナヤ」と「ニライカナイ」の例から、そう見なした。というより、こう見なすとひとつながりになるのに背中を押されて線を結んだと言ったほうがいい。

 「清音転訛」で結んだ点線は、他にももっと引ける。しかしそれらを全部、引くことはしないで他の音に行くための最小限の線でとどめようとしている。

 こう線で結ぶと結局、ある音にはどの音からも到達できて、任意の海に解体してしまうように見えるが、実際には、ある語は、線で結ばれた両隣りの音か、二音先に限定される例にしか出会っていないので、余分な線は描く必要はないことになる。

 しかし、濁音等価ですべての音を結ぼうとしているわけだから、ここで「清音転訛」と呼ぶものは本当は無意味かもしれない。不思議なのは、清音転訛で結んだ両音は、少なくとも、「タ行-カ行」、「ハ行-カ行」に象徴させると、もっとも知られた転訛の例であることだ。濁音等価のラインからは越境してショートカットされたものが「清音転訛」ということになる。けれどそれは何を意味するのだろうか。ほんとうは濁音等価しかないということだろうか。

 もともと吉本は、通音に転訛を濁音等価に必然的な転移を見出そうとしていた。ここではその問題意識はいったん解いている。まだ手に余るからだ。吉本は途中、「ほんとうは、わたしたちはここで表音の空間的な転移(方言のナマリ)と時間的な転移(音韻の歴史的な変化)とは等価だということにぶつかっているのではないか?」と書いていた。ここで試みているのもそういうことかもしれない。

 必然的な転移があるとすれば、上記の等価線に沿った例のうち、転移のベクトルが分かるものたちが一方向を持つ場合のみ、それは必然的だということになる。そしてキシノウエトカゲはカタカスに化身してもその逆はないように、それはあり得ると仮定することはできそうに思える。(参照:「「井戸ヌパタヌ子蛙誦言」の化身の法則」

 ともかく、この図はすべては濁音等価と言っているようでもあるが、ある語が別の行の音に転移するのは2音の選択肢しかないことを踏まえると、清音転訛の系列はまったく別のものだということになる。

 ここで清音転訛と濁音等価のちがいを言ってみれば、ユウナの花が日中の黄色から夕方にはオレンジ色になるのが可視的であるのに対して、その花びらが海に散ると美しい熱帯魚になるのは幻視であることに似ているのかもしれない。

 

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2017/03/22

『初期心的現象の世界』(村瀬学) 双葉ことば

 もうひとつ村瀬の言うことに立ち止まりたいのは、「双葉ことば」と彼が名づけたもののことだ。

 「ワンワン」、「ブーブー」は文としての性格を持った「一語文」という理解に対して、村瀬は批判している。

 それは文に行く手前で、「<指示決定-自己確定>の二重性を踏えた表現の形態であると考える」。「共同で指示決定した解釈を、〈自己〉が又決定し直す」ことである。

 村瀬はそこで、それは「一語文」というより、強いていうなら、「ひとつの表出形態=芽が双葉のように二義の内容をもつ形で意識され表出されるという意味で」、「双葉ことば」と呼んでいる。

 これは優しい命名だ。ところで、ぼくはここで、「双葉ことば」にしばしば畳語の形をとることに着目したい。「霊魂」を調べているときに強い印象を残すのは、「ヌアヌア」、「ガラガラ」、「ルモルモ」など、チャーミングに聞こえる畳語の形態を取ることだ(cf.「霊魂協奏曲」)。

 これも「双葉ことば」の系列にあると捉えていいのではないだろうか。「ルモ」と支持されたものは、「ルモ」であるという「「<指示決定-自己確定>」である。

 この「双葉ことば」は、ひとつのものの別名という形を取ることもある。想定しているのは、「ニライ・カナイ」という表現や三内丸山などの地名である。それは、「ユンヌ-エラブ」という地名の連称にも通じている。もっといえば、それが枕詞の元でもあるのではないだろうか。

 ともあれ、霊魂名や「ニライカナイ」の他界名には、「双葉ことば」の用法が息づいているわけだ。

 

『初期心的現象の世界―理解のおくれの本質を考える』


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2017/03/21

『初期心的現象の世界』(村瀬学) 三つの同じ

 もっとも印象鮮やかだったのは、村瀬にとって「初期」とは、時間的なはじめのことだけを意味しているのではないことだった。

 つまり<初期>とは私たちにとって決して発達段階のはじめとして、とっくの昔に過ぎてしまった現象なのではない。今もなお私たちが接しうるものとしての、心的現象としての<初期>という意味をもつのでなければならない。既に心的現象は変容と発達の統一構造として存在していた。とするなら心的な<初期>とは、発達の上での初期であるだけではなく、変容にとっての初期でもなければならない。つまり心的現象総体にとっての<始まり>の問題が問われなければならないのである。

 もう少し引き寄せれば、「<初期>とは、まさに私たちがそこで立ち直れるような視座を手にするところであってほしいと思う」ということだ。村瀬にとって「初期」とは、文字なき時代の「神話」のようなものとして掴まれている。

 この村瀬の問題意識は、サンゴ礁の思考の態様を追うわたしたちにとっても近しく感じられるものだ。ぼくが理解したいと思っていたのは、違うものに似たものを見出す霊力思考と、霊力思考とともに霊魂思考を働かせて、同じものの別の形という小さな分節化を果たしていくことを、どう捉えたらいいのかということだった。

 村瀬は、幼児が「おんなじ」「いっしょ」というとき、三つの事態が区別される必要があるとしている。

 1.ふたつの現象が似ているという事態への着目(類似同定)
 2.ふたつの現象が規範=約定として同一であるという事態への着目(指示同一)
 3.ふたつの現象が構成として同一であるという事態への着目(構成同一=変形同一)

 村瀬の言葉では、ちがうものに似たものを見出すのは「類似同定」だ。ここで想定できるのは、「サンゴ礁は貝」、「女性器は貝」と見なすことだ。ここで、イノー(礁池)の場所はちがっても、そこにあるのはウル(サンゴ)として同一であると捉えるのは「指示同一」ということになる。

 しかし、先に同じものの別の形として小さな分節化を行うのは、この3つの範疇では捉えられない。というか、「類似同定」を別の視点から捉えたものと言ったほうがいいかもしれない。

 「サンゴ礁は貝だ」というとき、サンゴ礁と貝が似ていることへ着目しているので、それは「類似同定」と言うことができる。一方で、サンゴ礁は、貝の別の形という場合は、貝をサンゴ礁の変容と見なしているので、それは「変容同定」とでも言えばいいのかもしれない。

 違うものに似たものを見出す「類似道程」で、ふたつのものが結び付けられる。次に、それを一方から一方への変容として同じと見なすのが「変容同定」だ。

 図示してみる。

Photo_2

 サンゴ礁と貝との類似そのものへの着目は、「類似同定」。貝をサンゴ礁の変容態とみるのは「変容同定」。友利のサンゴ礁も平良のサンゴ礁も、サンゴ礁としては同じとするのは「指示同一」。

 ここから、さまざまな貝のなかから、たとえばシャコ貝を抽出し、それを円に十字で象徴させたとしたら、それが「構成同一」になる。そこで刺青の文様が生まれることになる。

 村瀬は「類似同定」の例として、イナイイナイバーを挙げている。横着をして画像引用しみてる。

Photo_3

 違うもの同士を似たものとして同定することには「飛躍」がある。そして、その同定を「支持」することには、「対称が興味あるものになりおもしろみを帯びることになる」。それはとっても面白いのだ。

 この意味では、サンゴ礁の神話空間は、幼児(初期)の観方による世界認識だとも言える。
 

『初期心的現象の世界―理解のおくれの本質を考える』


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2017/03/20

「峯間(んにま)御嶽」『宮古史伝』

 慶世村恒任の『宮古史伝』を続ける。峯間(んにま)御嶽。

 友利村のアマリ山の下にわずかな村。津波により洗い去られる。アマリ山大ツカサは、アマリ山の嶺の上に草庵を結び一人住いし、「一匹の犬を愛養して」暮らしていた。

 倭人(やまとびと)が平安名の宮湊浜に漂着。蛮人島か無人島かとと上陸してみると、「犬の足跡」が見える。人里の証拠と足跡をたどってアマリ山に行って、アマリ大司と夫婦になり、子孫繁昌した。アマリ邑はいまはないが、嶺間山は夫婦の根所だとして、御嶽を立てた。

 慶世村は、ここから「宮古の人は犬の子」という「侮蔑の言」の話題に移っているが、もちろんことはそういうことではない。

 ここで「犬」と人は、隠喩的な関係ではなくて、人との近さという換喩的な関係で捉えられている。だから、犬祖伝承にはなっても、トーテムではない。むしろ、「犬」とは人との近さから換喩的に置き換えられたトーテムではないだろうか。

 この伝承も逆戻ししてみれば、嶺間から出現した兄妹始祖の神話だったと考えられる。そしてもうひとつ、無人島かと思ったら人里だったというくだりは、ヤドカリを放ってみたら繁殖していたので人が住めると判断したという与那国島の伝承を思い出させる。

 ここで、この女性の名であるアマリは、アマムの置き換えだと想定してみる。つまり、アマム(ヤドカリ)がまず嶺間に出現して次に兄妹が現れた、という神話だった。アマムやトーテムが否定された段階で、トーテムは女性の名となり、婚姻するために男は来訪者となり、海岸添いに住む島人の近くにいるアマムは、「近さ」から「犬」に置き換えられた。そう捉えると、この伝承の変形の構造が見えてくる。

 F(トーテム(アマム)):F(始まりの存在(女))=F(始まりの存在(神):F((アマム)-1(神の使い))

 そして、アマムが、「神の使い」の同位相として「犬」に置換されたとみなすのだ。

 

『新版 宮古史伝』

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2017/03/19

「山立御嶽」(『宮古史伝』)

 慶世村恒任の『宮古史伝』。「天太の世以前」の「山立御嶽」。

 押しかけ女房としてやってきた「仙女」と「仮寝」すると、一夜で家が建ち、仙女が持参した「小さな布袋」は一生食べても尽きない「米」を提供する。この「布袋」は胞衣のことだ。

 そしてふたりは、「スズという大魚」になって布袋を持って、ミナコザの沖へ飛び込み失せる。異類婚姻譚としてみると、この結末はとても面白い。ふたりとも動物に返るのだから。

 スズとはどんな魚だろう。高橋そよの「魚名の命名法とその特徴について-波照間島、鳩間島、佐良浜の事例から-」によれば、佐良浜では、マトウトビウオを「スズー」と呼んでいる。トビウオは、海面を突き破って空中へと出る魚で、精霊の由来からは蛇魚という聖なる魚だから、これが「スズという大魚」のことであっても不思議はない。

 ふたりの子の「おたはる」が女神として山立御嶽に祀られる。トーテミズムの後の神という順番が踏まえられている。

 

『新版 宮古史伝』


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2017/03/18

「子方母天太」と「船立の神」(『宮古史伝』)

 慶世村恒任の『宮古史伝』から、「天太の世以前」を読む。

 「子方母天太と大主兄弟の神々」を神話として見て、これを逆戻しにしてみる。

 女が入る「原の小森」は、身近になった「あの世」のことだ。夜中に鳴る「雷」のような「異様な物音」は蛇の精霊の行為であり、翌朝訪れる「赤い鳥」は蛇の変形である。ここでも、蛇は鳥に変形されることがわかる。「赤」の色には貝も示唆されている。

 原型を求めれば、「原の小森」で蛇と貝の霊を受けた女が卵から子を産んだという筋が考えられる。そして、女は太陽も生むのだ。

 (蛇と貝の精霊)と(その子)という神話は、天や神の出現によって、「子方母天太(ねのほうまてだ)」として崇拝される存在に変形される。崇拝されてはいるが、これは零落形に他ならない。

 問題は、女が一人で卵なり子を産むことだ。兄妹として現われているわけではない。すると、この神話は、母系以前の痕跡をとどめているのではないだろうか。

 それでは「をなり神」不在と言われる宮古島は母系社会を通過しなかったのか。それはそうではないと思えるのが、「船立の神」の由来譚だ。

 ここで久米島と言われているのは、宮古島にとっての遠隔化されたあの世のことだ。そこから、兄妹が漲水に流れついて、「朝夕里人に使われ水を汲み薪を拾いなどして細い煙を立てていた」と書かれるように細々と生きる。

 やがて誤解が解け、ふたりは「鍛冶の神、農耕の恩人」として崇められることになるが、これも零落の姿である。

 伝承の原形は、兄妹からこの世が始まったという始祖神話だったろう。それが、他界の遠隔化以降、零落した姿でしか登場できなくなったことを示している。「船立の神」の由来譚は、宮古島も母系社会を通過したことを暗示するものだ。


『新版 宮古史伝』


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2017/03/17

「ジュゴンの乱獲と絶滅の歴史」(当山昌直)

 当山は、ジュゴンの骨製品について、

骨製品の場合は、出土しtからといって必ずしもそこにジュゴンが生息していたという証拠にはならない。島内の、または離れた島との交易、またはかの島に住む人からのプレゼントされた骨製品の飾り、ということもありえるのである。

 と書いている。

 蝶形骨器は、津堅島からもっとも多く出土していた。これは島のサイズからすれば不自然で、津堅島は蝶形骨器の製造所だっと考えるのが妥当だと思う。

 ここで想像をたくましくすると、他の島や沖縄島で捕獲されたジュゴンが津堅島に持ち込まれる。津堅島の島人は、その返礼として蝶形骨器を作ってプレゼントしたことも考えられる。それは外からみれば交易だろうが、内側からみれば、贈与と返礼ということになる。

 また、八重山と沖縄でのジュゴンに対する態度について、当山はこう書いている。

八重山では食の対象にもなっていたが、沖縄島の伝承などには食べたという事例があまり見られず、むしろ畏敬の念が強いように思われる。このような意味で、沖縄島と八重山でとでは、ジュゴンに対する接し方が若干異なっていると考えられる。

 その食の対象になった八重山では、先史時代のジュゴンの骨はあまり出土しておらず、沖縄諸島で多く出土している。八重山で食すようになってもその伝承や歌謡には禁忌感がつきまとっているから、食の伝承は、タブーが解けていった後のものだと見なすのがいいのではないだろうか。沖縄島では禁忌感のある伝承がそのまま残ったと見なすのだ。

 

『島と海と森の環境史』

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2017/03/16

「貝塚時代前Ⅳ期における南西諸島と南九州のインタラクション」(平良理揮)

 平良理揮の「貝塚時代前Ⅳ期における南西諸島と南九州のインタラクション-縄文的イデオロギーの転換・維持・変容」(『日本情報考古学会講演論文集』)から。

 貝塚時代前Ⅳ期には。「尖底から平底様式への画期的な転換」が見られる。「貝塚文化独自の尖底様式から縄文的な平底様式へと大きく変化する時期」。

 貝塚時代前期を通して「南九州と最も頻繁かつ密接なインタラクションが存在していた」。しかし、「在地様式と南九州とでは共有する属性は少ない」。「市来式の影響」について、影響は確かに受けているものの、「市来式の特徴的な口縁部や文様などは模倣する程度にとどまり、在地的な特徴としては取り込んでいない」。「自然に模倣してしまうほどの密接な接触ではなかったとも考えられる」。

 「南西諸島は深鉢形を模倣して変容し、南九州側は壺を採用して独自の装飾を施す」。

 この時期は「蝶形骨器」の出現の時代でもある。

 さらに、集落構造の変化と定住化の促進、島への適応、墓の出現、生業の変化など様々な変化が貝塚前Ⅳ期にみられる。特に、南西諸島では産出しない黒曜石やヒスイ製品などが流入するようになることは、遠隔地との交易を行い、縄文文化のネットワークに参加するプロセスと考えうる。

 サンゴ礁を背景にした「蝶形骨器」の時代は、やっぱり画期なのだと思う。この論考は、一方的な被影響だけではなく、影響を与えたことへの視点が新鮮だった。


 

 

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2017/03/15

池間島のアオヤッダ

 市川重治は『南島針突紀行』で、池間島の左手尺骨頭部の文様について、郷土史家の前泊徳正から文様アオヤッダ(アオヒトデ)について聞いてる。

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このアオヤッダは、深い海に棲息していて猛毒をもち、これを乾燥させて鼠の出入口などにおけば、その効果は抜群とのことであった。そうした猛毒を一つの効力とみなし、文様化して魔除け、厄除けの象徴としたのである。

 この記述からすれば、アオヤッダがサンゴ礁の外部礁斜面にいる。色と毒性からしても、男性動物だ。女性の針突きの左手尺骨頭部にこの文様があるのは、すでにトーテムの意味を逸脱している。トーテム性は保持していたとすれば、「太陽の妻」として女性を位置づけていたのではないだろうか。


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2017/03/14

ヤドカリ占い(沢木耕太郎『オン・ザ・ボーダー』)

 面白い記述を教えてもらった。米軍統治下の与那国島で夫が航海に出ているあいだのこと。

 よく海岸に行ってヤドカリを探してきたものさ。これは私の旦那、あれはあなたの御主人、こっちは誰々と、ヤドカリに名前を決めておいて、お膳の端に並べるの。そして「いま船はどこにいるの」と訊ねると、無事に航海している時は、ヤドカリがみんな揃ってまっすぐ進む。何かマチガイがある時は、みんなが-ヤドカリよ-まぜこぜになってゴチャゴチャになる。本当にヤドカリの占いは、当たったわよ。

 これは素晴らしい。間接的ではあるが、ヤドカリ・トーテムを示唆してあまりある。思うに、生児がトーテムと対面する儀礼があったのではないだろうか。

 

『沢木耕太郎ノンフィクション 4』

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