2017/09/21

土器の「貝」と「蝶」

 貝塚(琉球縄文)前4期の土器を琉球刺青と対応させてみると、土器本体は「貝」を表現しているとするなら、側面のデザインは、「蝶」をモチーフにしているのは最もシンプルな理解の仕方になる。

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(伊藤慎二「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」「縄文の力」(別冊太陽 2013)

 ぼくたちは、刺青の尺骨頭部を「貝」と「蝶」とみなしているのだから。 

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(伊平屋島)

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2017/09/20

「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」(伊藤慎二)

 伊藤慎二は、「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」(「縄文の力」(別冊太陽 2013)で、石板と土器のデザインを比較していた(参照:「土器口縁部の文様(伊藤慎二)」)。

 伊藤は、土器の似た文様を挙げながら、前4期の点刻線文系土器の文様を基本に、「同時期の別の伝統文様か奄美諸島の土器文様を組み合わせて新たに創出したのであろう」としている。

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 ぼくたちにはここにも「蝶」の表現を見ている。

 この土器や石板に見られる鋸歯状の文様は、たとえば祝女の衣装の袖口にその後継の姿を見ることができるのではないだろうか。

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(鋸歯紋縫い)

下野敏見『奄美・吐カ喇の伝統文化―祭りとノロ、生活』


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2017/09/19

「いわゆる「獣形貝製品」について」(島袋春美)

 島袋春美は、従来の研究について、「「獣形貝製品」の系譜は「蝶形骨製品」の退化したものといわれ、単なる装飾品ではなく、呪術的な意義を持つものとされてきたが、具体的な研究ない」と書いている(「いわゆる「獣形貝製品」について」「南島考古」第28号、2009年5月)。

 これが、「獣形貝製品」が「蝶形骨製品」の退化形を意味しているのか、よく分からない。

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 しかし、結論の箇所で島袋は、

 ・蝶形石製品→蝶形骨製品
 ・勾玉状石製品→獣形貝製品

 2つの系統があるとしている。で、獣形貝製品と蝶形骨製品との関連には触れられなかったとしている。

 また、蝶形骨製品は荻堂式土器、獣形貝製品は伊波式土器を主体とする遺跡に出土する傾向がみられると指摘している。

 ぼくたちは、これをいずれも「蝶」モチーフと捉えるが、そのことにこれ以上接近することができるだろうか。

 


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2017/09/18

「サメ歯状貝製品」と琉球刺青

 「サメ歯状貝製品」について、もう一度見てみる。

 これは「シャコガイ科を中心に、イモガイ科やタカラガイ科などが用いられる。獣形貝製品と並んで、この時期の琉球弧の特徴的な貝製品。

 包含層からの一括出土が多いが、「具志川島遺跡群や具志川グスクがけ下埋葬址、摩文仁ハンタ原遺跡などでは二次葬に伴って出土する」。

 シヌグ堂遺跡からは、6点出土していて、「連結して装飾品として用いた可能性がある」。

サメ歯状貝製品
・サメの歯を模した左右対称のもの

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(山野ケン陽次郎「琉球列島における縄文時代後晩期の貝製品と製作技術」)

 「サメ歯状貝製品」が、連結して用いられたのであれば、その参照先は、徳之島の刺青の、手の甲、尺骨頭部、手首内側を見るのがいい(参照:「徳之島流刺青」)。

 あるいは、祝女の胴衣や髪飾りだ。

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(左:祝女の胴衣、右:髪飾り・ハベラザバネ)

 ここには、蝶を媒介した霊魂の象徴として三角形が宿っている。
 

『奄美・吐カ喇の伝統文化―祭りとノロ、生活』

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2017/09/17

「琉球における空間認識に関する言語文化論 -「青」の世界と「イノー」の思考 」(橋尾直和)

 橋尾直和は、他界をめぐる色として語られる「青」と、言語学で「淡」「中空」を語源とする「青」とをつなぐ理論は存在しない、として書いている(「琉球における空間認識に関する言語文化論 -「青」の世界と「イノー」の思考 」(「高知県立大学紀要文化学部編」2017.3)。

そこで、筆者はこの「青の世界」について考察を進め、語源未詳とされてきた、琉球弧で礁池をさす「イノー」の語源こそが、両者のつながりを紐解く存在であることを突き止めた。「イノー」とは、島と海との間、「あの世とこの世との間」を表す「境域」であり、「中間の世界」と解釈するに至った。この解釈は、「ニライ・カナイ」の他界観にもつながる。

 そして、古代沖縄人が想定していた「青の世界」と「ニライ・カナイ」の他界観が、琉球弧で礁池を表す「イノー」の語源を紐解く際の空間認識につながり、その思考こそが「イノーの思考」とも言える「中間の世界」観である、と。

 橋尾は、これまでの「奥武島」の「奥武」(オー)の語源に関する言説を検討したうえで、書いている。

 これらのことから、「青の世界」が、奥武という島の現実の世界とニライ・カナイという概念の世界とが渾然一体となった「あの世とこの世との間」「境域」「中間の世界」を指すことを意味しており、その境にある中間の世界を「青」という色彩語で言い表したと考えられる。

 これまで何度も触れてきているので、詳細は省くけれど、「オー」は、崎山理が言う「青」の「中空」の意味を語源として、「地先の島」をはじめ、中空にある身近な場につけられた地名である。そして他界の発生にともなって「地先の島」があの世として考えられるようになったことで、「オー」と呼ばれるなかには、「あの世」である島も出てきた。したがって色彩とは関係がない、とぼくたちは考えている。

 ところで、橋尾はここから「オー」を「イノー」と結びつけている。万葉集の「飫宇の海」(をふの海)と通じる「あふの海」の逆語序である「海のあふ」の「の」を省略した「海あふ」こそが、イノーの語源ではないか、と。

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 そしてここから、ぼくが『珊瑚礁の思考』で、「イノー」を「この世」と「あの世」の境域であるとしているのを、橋尾の意見と一致するとしながら、こう続ける。

しかし、珊瑚礁が拡張された境界と解釈されていることには賛同できない。境界はむしろ、イノーの方で、海の幸をもたらしてくれる源が珊瑚礁である。

 そのうえで、「珊瑚礁の思考」は「イノーの思考」へと書き換えられるべきであるとして、下図が提示されている。

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 ぼくが挙げた図とのちがいは、ぼくの場合、上図の「イノー」が、「珊瑚礁」となっていることだ。

 ここで、橋尾が「珊瑚礁」ではなく、「イノー」とするのは、「イノー」と「干瀬」とを区別したうえで、「イノー」が、「オー」を語源とすると考えたことからやってきているように見える。

 橋尾は自らの考えを整理している。

 <色彩概念>

 中間の色 → 中間の世界 → あの世(「青」(奥武))
 
 ↓派生

 中間の位置 → 中間の世界 → この世とあの世の間(「イノー」(海淡))

 書き換えられるべきだとされているが、ここに対置するかたちでぼくの考えを示しにくい。ぼくたちは、もともと「オー」と「あの世」とは、語源的に直接のつながりはないとみなしていて、橋尾の議論も別の場所で考えているのだ。

 対置できることがあるとしたら、「イノー」の語源がまっさきに挙げられるだろう。ぼくたちは、「イノー」を、これも崎山理が提示している「砂洲」を表す「ユニ・ユナ」に由来すると捉えている。

 yuna > iuna > inau > ino:

 ここでは、二項と三項では、u音とna音が倒位するという仮定を置いている。ユナ・ユニはトーテムが信じられていたころ、人間と自然をメタモルフォースでひとつながりに捉えようとした野生の思考をよく体現している言葉で、イノー(礁池)だけではなく、ユウナ(オオハマボウ)という言葉も生み出していると思える。それだけではなく、もっとも重要なのは、琉球弧や九州で、「イナ」と呼ばれる「胞衣」の語源にもなることだ。

 yuna > iuna > ina

 「イノー」とはもともと「胞衣」を意味していた。しかも人間の胞衣というより、地母神と称されている、生命の源泉としての自然の胞衣である。

 さらに言えば、この自然の「胞衣」は、干瀬や陸側の辺端(へた)を含んだサンゴ礁を、「貝」と見なす視線からやってきている。イノーを「胞衣」とする思考は、「貝」をトーテムとした段階で生み出されたものだ。もっと具体的にいえば、その「貝」はシャコ貝をもとにしていたと考えられる。

 これらの思考は、「海の彼方」へと他界が遠隔化される以前のものだ。ぼくは、『珊瑚礁の思考』で、遠隔化された他界に対する島人の思考から、「珊瑚礁の思考」を導き、橋尾は、身近な他界から遠隔化された他界まで通底するものとして「イノーの思考」を抽出していると思えるが、イノー(礁池)を胞衣とした、もともとのサンゴ礁の思考は、まだ語られるべきことを多く残している。

 琉球弧の歌謡では、「イノー」と「ヒシ(干瀬)」が少なくないと言われる。イノーは生命の源泉としての胞衣なのだから、自然なことだ。そして、「ヒシ(干瀬)」が独立して詞のなかに選ばれるのは、島人がシャコ貝の口を縁取る外套膜にひときわ目を奪われたことを思わせる。サンゴ礁を巨大なシャコ貝とみなせば、外套膜は干瀬と辺端(へた)に当たるからだ。

 しかし、それ以上に重要なのは、大潮の際に、豊かな生命を現出させるのが干瀬という場だからではないだろうか。遠隔化される以前の身近な他界からの贈り物が、このとき浮上するように「この世」に現れるのである。だから、身近な他界は、しばしば「オー」の島と名づけられることが多いにしても、その島の手前には、生命の源泉としての胞衣(イノー)、つまりサンゴ礁があることにも注目しなければならない。それが、他界が遠隔化される以前の本来のサンゴ礁の思考である。

 ともあれ、『珊瑚礁の思考』を取り上げてくれたことについて、橋尾に感謝したい。


『珊瑚礁の思考 〔琉球弧から太平洋へ〕』


 
 


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2017/09/16

蝶形骨器と土器

 伊藤慎二は、蝶・獣形製品と土器とを関連づけている(「琉球貝塚文化における社会的・宗教的象徴性」『祭祀儀礼と景観の考古学』)。

 蝶形製品は、前4期の点刻線文系土器群古~中段階(伊波・荻堂式)に発達し、点刻線文系土器群新段階(大山式)・肥厚口縁系土器群古段階(室川式)頃まで継続する。

 獣形製品は、前4期の点刻線文系土器群古~中段階(伊波・荻堂式)~前5期の肥厚口縁系土器群新段階(宇佐浜式)などに伴う。

 どちらも前4期を中心に盛んに製作された。

 伊藤はここで、蝶・獣形製品の複雑な意匠を生み出す「祖形」が存在したに違いないと考えている。

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蝶形製品の特に上縁部の形態に着目すると、左右対称の波状に角ばった突起部分が連なることが特徴的である。これは、前Ⅳ期の器物と比較すると、明らかに土器の口縁部に酷似する特徴である。(中略)土器口縁部の山形突起(波状口縁)のみでなく、土器口縁文様帯の縦位区画文とその左右上下を画する横位区画文に対応する刻線までも蝶形製品の中に見出すことができる。

 山形突起は、前Ⅱ期の条痕文系土器に初めて出現するが、その後もあまり明瞭でない時期が続く。しかし、前4期に市来式土器の影響で、北琉球の在地土器文化に長期にわたっておもに4単位の山形突起が定着する。

蝶形製品もこの同時期に、土器口縁部突起とその直下の口縁部文様帯の意匠を祖形に創出された可能性が極めて高い。

 つまり伊藤は、土器の形態が蝶形製品の意匠に取り入れられたと考えている。しかし、蝶形製品が蝶を模したものであれば、この順序は逆でなければならない。蝶形製品が、もっと言えば「蝶」が、土器口縁部の文様に反映されたのだ。

 また、獣形製品はイモガイを素材とするものが多い。本来は複数の獣形製品を組み合せて一つの完全な形をなしていたのではないかと考えられている。伊藤は、「蝶形製品の複数の部分製品を組み合せる例との共通性について充分検討の余地がある」と書いている。両者は、「同時代の遺物の中でも格段に入念に製作された製品であることは明白」。

 ぼくたちはここでも大きな示唆を得る。獣形製品は、貝で作られている。しかし、形態は蝶である。これは、貝と蝶の組みあわせを志向する琉球文身の思考と同じだ(参照:「刺青にみるトーテムと霊魂のアマルガム(徳之島と宮古島」)。しかも、素材となるアンボンクロザメやクロフモドキなどのイモガイは男性貝でもあり、ここに「蛇」も宿ることになる。

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2017/09/15

貝塚(琉球縄文)時代の土器変遷 2

 伊藤慎二によれば、北琉球弧の在地系土器は、おおよそ9様式がある(『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)。

前1期 爪形文系

・ヤブチ式、東原式
 
・明確な文様帯がなく、器面全体に隈なく施文を行なうのが特徴。
・口縁部に平行して数条の横位横列の爪形文を施文する一群が存在するが、それが接続する「条痕文系」の横位文様帯の成立にかかわる。

前2期 条痕文系

・曽畑式、室川下層式、神野A式

・口縁部と胴部に2帯の横位文様帯を持つものと、口縁部に横位・胴部に縦位あるいは斜位の文様を構成する一群が見られる。
・後者が接続する様式を規定した。

前3期 隆帯文系

・神野B式、面縄Ⅰ~Ⅴ式

・著しく収束した頚部と外反した口縁部の出現。大きな変化。
・「神野B式」には、「M字状の隆帯や貝殻腹縁状の圧痕文が見られる」。

前4期 沈線文系・籠目文系・点刻線文系

・沈線文系 仲泊式
・籠目文系 面縄東洞式、嘉徳Ⅰ・Ⅱ式
・点刻線文系 神野D・E式、伊波・荻堂式、大山式

・「沈線文系」は現在まで(2000年)のところ、沖縄諸島以北での分布が見られない。
・胴部の縦位文様は「隆帯文系」から衰退。後続する「籠目文系」「点刻線文系」に見られる鋸歯(きょし)状および菱形状の横位文様を施す胴上部の文様帯の成立に関連することが予想される。
・北琉球弧が二つの土器様式圏に分かれる唯一の時期。

・「点刻線文系」は横位文様帯が細分、重層化して発達することが特徴。後続する「肥厚口縁系」で衰退。

前5期 肥厚口縁系 

・室川式、室川上層式、宇佐浜式、面縄西洞式、犬田布式、喜念Ⅰ式、宇宿上層式

後1期 無文尖底系、沈線文脚台系

・仲原式

・初期の段階では、南九州の縄文晩期土器の影響がうかがわれるが、徐々に消化して独自の展開を遂げる。

後2期 くびれ平底系

・フェンサ下層式、兼久式
・かなり短時間のうちに断絶的に終焉を迎えたと考えられる。


 伊藤の観点は、土器変遷に連続性を見る点が分かりやすい。別のところ(「先史琉球社会の段階的展開とその要因」)で伊藤は、「爪形文系」から「条痕文系」の変遷をより微分している。

爪形文系古段階
・施文具の形態を直接的に反映した文様が器面全体に展開

爪形文系新段階
・施文具の動作によって線的に連続した文様が加わる。

条痕文系新段階
・それらの文様が主体化して胴上半部に施文域が集約する。

 「爪形文系古段階」は点を、「爪形文系新段階」は線をイメージさせる。


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2017/09/14

土器とトーテム

 貝塚(琉球縄文)時代の土器変遷と島人のトーテム変遷について、「時期」を軸に対応させてみる。

 これらのトーテム動植物と土器デザインはどこかがで対応しているはずである。より接近した言い方をすれば、島人の神話世界がトーテム動植物に象徴される度合いに応じて、土器デザインには反映されている個所があるはずだ。その仮定のもと、考えていきたい。


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2017/09/13

貝塚(琉球縄文)時代の土器変遷

 貝塚(琉球縄文)時代の各時期に対応する土器を挙げてみる。こうしたところで、すんなり頭に入ってくるわけではないのだが、ぼくたちが「貝」の時代の始まりと捉えている前4期に類型が増えるのに目が行く。


前1期 爪形文系

・ヤブチ式、東原式

前2期 条痕文系

・条痕文、曽畑式、室川下層式、神野A式

前3期 隆帯文系

・神野B式、面縄Ⅰ~Ⅴ式

前4期 沈線文系・籠目文系・点刻線文系

・沈線文系 仲泊式
・籠目文系 面縄東洞式、嘉徳Ⅰ・Ⅱ式
・点刻線文系 神野D・E式、伊波・荻堂式、大山式

前5期 肥厚口縁系 

・室川式、室川上層式、宇佐浜式、面縄西洞式、犬田布式、喜念Ⅰ式、宇宿上層式

後1期 無文尖底系、沈線文脚台系

・仲原式

後2期 くびれ平底系

・フェンサ下層式、兼久式

 伊藤慎二(『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)から作成。

『琉球縄文文化の基礎的研究 (未完成考古学叢書 (2))』


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2017/09/12

琉球弧、貝塚時代の編年 2

 貝塚(琉球縄文)時代の編年に土器様式を加える。そもそも時期区分が「土器」様式を元にしているのだった。

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 しかし、この区分とサンゴ礁時代の島人の思考は対応している手応えがある。ということは、思考の変化は一定程度、土器に反映されていると見なすことができるはずだ。

 それにしても、土器様式名を言われても何ら思い浮かばないので、イメージ画像を添える。

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(伊藤慎二『琉球縄文文化の基礎的研究』2000/12)

 参照:「琉球弧、貝塚時代の編年」
 

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2017/09/11

「蝶形骨製品の模型による原形復原の試み」(金子浩昌)

 金子浩昌が、ジュゴンの骨模型から「蝶形骨器」の復原を試みている(「蝶形骨製品の模型による原形復原の試み」「Museum」2016.2)。

 実際のジュゴンではないものの、精確な模型からの復原には迫真性がある。

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(ギガ浜貝塚出土品のジュゴンの肋骨模型からの復原)

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(ギガ浜貝塚出土品復原模型完成品)

 この復原によって、「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」での復原図に修正も加えられている。

 ギガ浜の場合、「前稿の復原図よりも後ろばねの開きが大きいのは、結合部のほぼ溝とほぞをきっちり合わせたためである」。

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(室川貝塚出土品のジュゴンの肋骨模型からの復原)

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(室川貝塚出土品復原模型完成品)

 この復原図の更新は、

島袋春美氏の復原図では単一式のように中室がコの字状になっているが、結合式であるので逆L字状にした。

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(室川貝塚出土品復原模型完成品)

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(吹出原遺跡からの復原模型完成品)

 アゲハチョウ類の後ろばねの形を直線と曲線を組み合わせて強調した表現である。

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(吹出原遺跡からの復原模型完成品)

 これらの復原から金子が挙げている気づきの一部を抜いてみる。

・ジュゴンの肋骨の湾曲を利用してチョウの飛翔を表現している。

・はねの文様は、一定の規則に従って彫刻されたものが多いと考えられる。中室がかならず彫られ、はねの端の波紋、尾状突起が意図的に表現された。

 この復原が興味深いのは、形態だけではなく「穿孔」も忠実に復原することで、結合の仕方が考えられていることだ。

 蝶形骨器は「垂下して使用された」と考えられているが、

結合式蝶形骨器には垂下のためとは明らかに異なる穿孔があり、その穿孔を前ばねと後ろばねを結合するための紐通しの孔と考え、実際に紐を通して組み立てることも試みた。

 蝶形骨器の穿孔は径6ミリ前後の細いものと径10ミリ前後の太いものがある。

細い穿孔は前ばねと後ろばねを結合する役割があると考え、太い穿孔は前ばねと後ろばねの結合と垂下の二つの役割があると考えた。


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(ギガ浜貝塚出土品の結合例)

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(室川貝塚出土品の結合例)

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(室川貝塚出土品の結合例)

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(吹出原遺跡出土品の結合例)

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(吹出原遺跡出土品の結合例)

 金子は、穿孔の径は小さく紐を通す回数は限られるから、「強靭な繊維が必要とされたであろう」と推測している。

また、穿孔が前面の尖頭のわきにあけられていて紐を固定することができ、蝶形骨製品の表面がみえるように人の背や腕、差物に裏面をつけて固定したのであろう。その場合、前ばねは固定されるが後ろばねは動かすことが可能になる。

 この辺りから、現物を見れないので、具体的に分からなくなる。

 ぼくたちは、蝶形骨器を憑依型シャーマンが装着したものと考えている。付けたのは、後頭部だ。これが継承された姿は、シャーマン後継の一類型である祝女の後頭部の髪飾り、たとえばナナハベラに見ることができる。

 こう考える者にとって、復原したいのは、

 ・上ばねと後ろばねの結合の他に、

 ・後頭部への装着。そして、穿孔を使って、長い紐を垂らす。

 ということだ。この問題意識から復原を試みられないだろうか。

 参照:「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌)

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2017/09/10

「情動の文化理論にむけて-「感情」のコミュニケーションデザイン入門」(池田光穂)

 情動のコミュニケーションは、「どうやら身体を介したコミュニケーションと深い関連性を持つ」。「情動は身体経験と切ってもきれない関係にある」(池田光穂「情動の文化理論にむけて-「感情」のコミュニケーションデザイン入門」(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター,2013.3)。

 「だ・である」調と「です・ます」調は、常体、敬体と呼ばれることを初めて知ったが、論考が敬体で書かれていることについて、著者は書いている。

・この論考に違和感を感じる人がいるとしたら、論文は常体で書かれるべきだし、感情(情動)は、抑制すべきと考えているのではないか。
・しかし、講演では敬体も多い。口頭では常体だとトゲのある表現だと思われることもある。
・「なるほど」「嘘っ?」「すばらしい」という感想を抱くとき、正邪を含む情動判断が働いている。それは思考を邪魔することはない。

 この論考は入門だからか、触れられることはないが、ぼくも感情のコミュニケーションデザインという視点には関心がある。というか、思考を喚起されるキーワードだ。


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2017/09/09

「琉球列島における貝殻施文土器の研究」(横尾昌樹)

 「室川下層式」は、出土遺跡も多く、種子島まで北上した「土器形式」だ(横尾昌樹「琉球列島における貝殻施文土器の研究」「鹿児島考古」2017.7)。

 横尾は室川下層式の施文には、カワラガイが用いられたのを確めている。カワラガイは、殻表面の横方面に「赤色の微隆起が走る」のが特徴だ。

 室川下層式が出土する遺跡のうち、久里原貝塚と伊礼原遺跡では、カワラガイに孔を穿った製品が出土している。これは貝錘(かいすい)、装飾品などが考えられている。

 室川下層式の出土遺跡は、「海岸に隣接する砂丘低地に立地が主体」。前期の曽畑式の遺跡に比べ、「台地上や岩陰、洞窟に立地」し、立地環境の多様化が確認できる。

 海退による砂丘堆積期は寒冷期に相当するから、寒冷化による気候変更から「生活する場所が多様化したことが想像できる」。

しかし、寒冷化という背景のもと、温暖地域特有のカワラガイを用いた施文の室川下層式の人々が何を目的として海を北上したのかは、総合的な分析が必要である。

 考えなければならないことはたくさんあるが、カワラガイの「赤」はひときわ意味を持って響いてくる。


 

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2017/09/08

「貝塚時代前4期沖縄諸島の土器様相」(亀島慎吾)

 まったくと言っていいほど、用語とイメージが結びつかないひとつが土器なので、亀島慎吾の論考(「貝塚時代前4期沖縄諸島の土器様相」「鹿児島考古」2017.7)を頼りに、画像と対応させてみる。

 貝塚時代前4期に位置づけられるのは、仲泊式、面縄東洞式、嘉徳Ⅰ式、嘉徳Ⅱ式、伊波式、荻堂式、大山式、室川式が編年体系に組み込まれる。


1.仲泊式土器

・口縁部は平口縁と波状口縁で肥厚する。胴部が張り、尖底器形。
・文様は口縁部肥厚部と胴上部。口縁部肥厚帯の文様は貝殻文もしくは斜沈線文。胴上部はは斜沈線文。

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2.伊波式土器

・口縁部は波状口縁、胴部がわずかに張り、底部の形態は平底。
・口縁部径が胴部径より大きくなる特徴
・口縁部にさまざまな文様

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3.荻堂式土器

・口縁部は波状口縁、山形突起の部分に瘤のあるものがある。胴部が張り、底部形態は平底。
・胴部径が口縁部径を上回る傾向。

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4.大山式土器

・口縁部は平口縁が主体。胴部がわずかに貼るが、口縁部径と胴部径が同じであることが多い。
・底部形態は平底。
・口縁部に押捺刻文。

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5.カヤウチバンタ式土器

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6.室川式土器

・2cmの幅広い口縁部、底系3~5cmの平底で明るい色調。
・主体が平底・平口縁の深鉢形、若干の壺形。


 亀島は、「伊波式大山式への変遷」は共通理解になっていると指摘している。

 
 貝塚時代前4期は、トーテムと島人の思考からいえば、「貝」トーテムの段階に入る。土器に反映される可能性があるのは、貝と蝶だ。

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2017/09/07

『プロカウンセラーの共感の技術』(杉原保史)2

 「分からない」ことをありのままに感じるのは、すでに共感である。それは「相手とつながろうとする姿勢の表れだから」と、杉原は書いている。それは相手の求めているものを手探りで探っていこうとする作業のスタートラインであり、むしろすぐに分かろうとしないほうがいい。

「分からない」と分かったこと、「ギャップがある」と分かったこと、それがすでに接近の動きを作り出しています。だから、関心を持ってそこに注目するだけでいいのです。

 また、「淋しいね」とコメントすることについて。

 淋しいという言葉を身につけるためには、「その人が淋しいと感じている場面でぴったりと「淋しいね」とコメントされることが必要なのです。

 だから、著者がカウンセラーとして、「淋しいね」とコメントするのは、相手が淋しいという感情に触れるのを促進したいからだ。そこに行きたいのじゃないかと思う場合。

 「心の深い層」の内容は、本人にとっても非常にあいまい。それは、

話を聴いている人の反応によってもかなりの部分が形成されていくような類のものなのです。

 それはだから、「話し手と聴き手との共同作品と言ってもいいほどのもの」だ。

 「共感」はときに闘い。それが避けられないときはそうする。「穏やかに、落ち着いて、力強く、そして、温かく」。

 共感は相手を信じる行為を含んでいる。

相手が自分の言うことをきっと受けとめてくれると信じて、ジャンプするのです。

 その人を信じてジャンプして怪我をすることになってもいい。それでもいい。「そう思えることが共感なのです」。
 
 
『プロカウンセラーの共感の技術』

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