2017/07/23

産山柄杓田の縁起譚

 谷川健一は、阿蘇の産山(うぶやま)村にある柄杓田(ひしゃくだ)の縁起譚を紹介している。

 柄杓田には、柄杓田大明神が祀られている。『肥後国誌』補遺にはこうある。

 昔、阿蘇大神が羽衣をなくした天女と一緒に生活したが、天女は夕顔の種を植え、それが大きくなると、夕顔の蔓をよじのぼって天上に帰っていった。そこで阿蘇大神は天女を偲ぶ神社をたてた。それが今の柄杓田大明神である。柄杓田ではいまもひさごをつくらないのはそのためである。

 この縁起譚は、異類婚姻譚を彷彿とさせる。この祖形にはそれがあるのだろう。

 天女の祖型は地母神であり、その成れの果ての変形がひさごである。プロトひさごは、「産山」の地名を支える地母神の存在だった。それが、トーテム信仰の終焉とともに、あるいは異類婚姻の破綻とともに、産山に帰る。このとき、神化したことも考えられる。

 阿蘇大神の祖形は、異類婚姻譚のさい、去られたほうの男ではないだろうか。彼はその後、神化した地母神に代わって、土地を鎮める神となった。そういうことではないだろうか。

 
谷川健一著作集 9 民俗学篇 5 地名と風土

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2017/07/22

イナとしての胞衣

 にわか調べだが、胞衣を「イナ」と呼ぶのは、関東から東北に広がっている。南からいけば、イヤ、ヨナ、イナという分布になる。そして、イナの場合、エナとの通音は容易になるだろう。

 「ヨナとイヤの身体・地名分布」の続きでいえば、「地名ヨナのところでは、ヨナを地母神的に捉えたところでは、身体をイヤと呼び、米として捉えたところでは身体をエナあるいはイナと呼んだ」ということになるのかもしれない。


 神奈川県(「神奈川県史第5巻」)

 山梨県(上暮地「富士吉田市史 民俗編 第1巻」)

 群馬県(新田郡薮塚本町)(「医療人類学の研究(Ⅳ)」

 茨城県(「茨城県久慈郡里美村大字小菅民俗調查報告書」)

 山形県(「真室川の昔話」)

 秋田県(由利郡東由利村「橿原考古学研究所論集 第14巻」)

 青森県(「青森県五戶方言集」)

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2017/07/21

ヨナとイヤの身体・地名分布

 胞衣は、エナの他、ヨナ、イヤと呼ばれている。しかし、それらは地名としての胞衣でもある。この分布の仕方には意味があるのかもしれない。

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・身体ヨナ 福井県、愛知県、三重県、島根県、山口県
・地名ヨナ 熊本県、福岡県、山口県、広島県、島根県、兵庫県、愛知県、岐阜県、山梨県、千葉県、石川県、長野県、新潟県、茨城県、福島県、山形県、岩手県、秋田県、青森県

 これは手元にある資料からの抽出なので、厳密性はないが、ここから仮説を立ててみる。ぼんやり眺めて思うのは、「地名ヨナ、身体イヤ」という琉球弧型は九州でも弱くその傾向が続いている。対照的なのは、中四国や関西でみられる地名イヤのところでは、身体はヨナとなっているらしい。これを「地名イヤ、身体ヨナ」としてみる。

 これにかぶさるように、北九州から本州にかけて多いのは地名ヨナだ。ただ、この場合、身体はイヤではなく、エナになっていると考えられる。考えやすいのは、地名ヨナはすでに「米」の意味に転化しているところだ。

 「地名ヨナ、身体イヤ」と「地名イヤ、身体ヨナ」は反転形だから、考えやすい。

 これらを統合的に把握しようとすれば、どういえばいいだろうか。

 地名ヨナのところでは、ヨナを地母神的に捉えたところでは、身体をイヤと呼び、米として捉えたところでは身体をエナと呼んだ。もちろん、地母神が古層になる。これとは別に地名イヤ、身体ヨナと反転させて捉えたところもある。この場合の地名イヤは地母神的だ。

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2017/07/20

ふたつの産島(『不知火海と琉球弧』)

 天草の産島は、「海岸近くに産島八幡宮が鎮座し、天草の近郷の女性たちから安産の神様として今も尊崇を受けている」。

 その八幡宮の由来譚には、神功皇后が半島に出兵した際、産気づきここで出産したことにちなむとされている。

 ぼくたちはこれをもともとの島人の信仰に戻さななければならない。それをほぐすのは、産島八幡宮の祭礼だ。

 いま、海を渡る祭礼として知られる青島と比較してみる。

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 青島の場合、青島神社から神は神輿に乗り、対岸で巡幸し、ふたたび青島神社に戻る。単純化していえば、行路はそうなる。この祭礼の特徴は若者によって行われることだ。これはかつて、男子結社による青島というあの世を介した成人儀礼だったと考えられる。

 産島の海をわたる祭礼は、複雑になる。

 まず、人が産島へ向かい神を迎える(御下り)。そして神を担ぎ、対岸へで過ごし、御上りを行なうが、これは神のみの行為になる。しかしにもかかわらず、人は神を担ぎ、産島へ神を送る。

 産島の場合、神の迎えと送る行為を人が担うのだ。これは、縄文期のあの世の段階での生者と死者の交流の記憶を留めたものだと考えられる。そう見なすのがよいのではないだろうか。

 不知火海には、もうひとつの産島がある。八代の産島だ。江口司は書いている。

 そこは『肥後国誌』に記される「亀島、産島とも云う・八代より二里余・周廻一里余り」とはとても思えない光景を呈している。

 江口が「とても思えない」としているのは、いまはこんもり茂った樹木しか見えないので、「周廻一里余り」とは思えないことを指しているのだろう。ここはウガヤフキアエズノミコト誕生の伝承が残されている。

 江口はこう書いている。

あえて乱暴な私の考えを言えば、その海亀の子孫が不知火人であり、海亀をトーテムとして『肥後国誌』の云う「亀島・産島」と呼び、語り継いできたとも思えるのである。

 この推理は当たっていると思える。もうひとつ加えれば、ここはあの世の島でもあったのだ。
 


『不知火海と琉球弧』

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2017/07/19

『南島文学発生論』序

 谷川健一は書いている。

 日本から南下し沖縄島に渡来したアマミキヨと呼ばれる人びとも「古渡り」と「今来」の二種類があった。古渡りのアマミキヨは古代の海人文化をもたらした人びとであったが、今来のアマミキヨは鉄器をたずさえ、城郭の築造を指導し、鍛冶の技法を沖縄の島々にひとめた人たちであった。

 いまも分からないのは、この二分だ。アマミキヨの名称にこだわるなら、後者に収斂してしまうように思える。「古渡り」の渡来者もあったろうが、その段階では、まだアマミキヨの呼称は獲得していないはずだ。

 鉄器、文字歴、仏教などによって、社会を均質化し、自然力を克服した本土とちがい、

南島ではいつまでも圧倒的な強さで自然力が人間のまえに立ちふさがり、それに拮抗できるのは古来伝えられてきた言葉の呪力だけであった。

 これも、「拮抗」というよりは、それが自然と関係する入り方だったということだ。

 谷川は、「南島の呪謡を介して日本古代文学の黎明を類推する」というモチーフを持っている。これにぼくたちのモチーフを対応させれば、日本古代文学を参照しながら、南島の呪謡がその後、どこまで到達しているかを探る、ということになるだろう。

王府の任命による巫女組織が村々まで及んだ結果、ノロとユタの役割が分離したのである。

 分離の発生はもっと遡らなくてはならない。いつ、とは言えないが、それは根人と根神の発生時、つまり集団が一対の兄弟姉妹を象徴として立てざるを得なくなった段階であるはずだ。それは共同体の発生と言い換えてもいいかもしれない。

 

『谷川健一全集〈第5巻〉沖縄1―南島文学発生論』

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2017/07/18

「自己拡張動機と他者を自己に内包すること」

 翻訳が読みにくいのだが、ようやく「自己拡張理論」の提唱者の論考を読むことができた。

 自己拡張モデルが提案しているのは、「人間の中心的な動機づけは自己拡張であり、おのおのがパートナーを自己に内包している親密な関係を通して自己拡張は求められる」ということ。

 自己の重なりあい。内包した後に、「広がった自己は親密な関係の非常に利他的な特質を作り出している」。

 自己拡張のメタファーは、「他人を犠牲にして不足している資源を得ることを意味する」ようにも見える。他方、「自己拡張は広がったアイデンティティや意識を意味するので、拡張は実質的に無制限であるといえ、ふつう、より強い利他主義へと導く」。提唱者のふたりのアロンは、後者のメタファーが広がることを望んている。

 自己拡張は、個人のアイデンティティの喪失ではなく、むしろ豊富化。初期のカップルは、激しいやりとりのなかで急激に自己を拡張する。

一緒に自己拡張的な活動を行なうことに時間が費やされているならば、一緒に過ごす時間が増えたことは満足感を増やすことになるだろう。

 自己拡張的活動にあるのは、「新奇さと覚醒」。

 メルロ・ポンティは、「親密な関係を"二重存在(double being)"」と表現。

 ふたりは、「関係を発展させることは、他者を自己に内包することによって自己を拡張するということである」と書いている。

 図解も載っているので、挙げておく。

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 このモデルを提案しているアーサー・アロンとエレイナ・アロンもクリエイティブ・ペアのようだ。

 "Creating love in the lab: The 36 questions that spark intimacy"


『パーソナルな関係の社会心理学』

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2017/07/17

「境界紀行(四)宮古島・前編 たましいの行方をさがして」(谷川ゆに)

 御嶽はプロト神社とも言うべき場であり、聖域や禁忌といったイメージがつきまとう。とくに、御嶽(ウガン)が神社に合祀されて、知る人ぞ知るという場に過ぎなくなった与論生まれのぼくには、そうなってしまう。けれど、今回谷川ゆにが訪れた宮古島川満の御嶽はそういうイメージからはちょっと離れている。たとえば、祭りの日、神役の女性たちは、御嶽で料理を供えて神と共食する。

 小屋の隅には、直径が六十センチくらいある大きなクワズイモの葉の上に、やはりお供えの米、塩、煮干し、饅頭などが、一握りずつ、可愛らしく並べてあった。おそらく葉っぱは神さまのお皿なのであろう。お供えの台の下にも大きなのが数枚、何も乗せずにしかれている。その横に座り込んでテンプラを頬張る私たちは、まったく、精霊や神々と一緒におままごとかピクニックをしている幼児のようである。

 これは来訪神と対極的な高神の鎮座する御嶽とは位相を違えている。ここでの神は祖霊に近いと言ったほうがいい。あるいは、神事によって御嶽が位相を変化させている。その違いを、谷川は「特に今回のミイマ御嶽での祭りは、やはり産土神か氏神のような身近な神さまをもてなし感謝することで、この小さな集落を守護してもらうという意味合いが強いようであった」と書いている。

 原理的には、死者の場である「あの世」を放逐することで成立する御嶽が、むしろ祖霊との交流を感じさせるとしたら、それはプレ御嶽の感覚を失っていないことを意味するだろう。それは、「この世」と「あの世」の境界、である。

 谷川は、そこに老人と幼児が似た存在にみえる「現世から抜け落ちたようなイノセントな雰囲気」を見出している。

 つまり、時間を遡って子供に還る、ということは、古代的な感性からいえば、死者や神々のいる世界の側に限りなく近づいていることに他らなない。

 境界というのが、どういう場なのか。ここにひとつの回答があり、ぼくは、ふだん何気なくいう、子供に還るという言葉の奥行きを教えられるようだった。

 ところで谷川は、この項を、佐藤さとるの作品に出てくる「自分だけの秘密の遊び場所」の引用から書き起こしているが、それは子供にとっての「秘密基地」を思い出させる。秘密基地は秘密でなければ意味がない、安心と冒険心とが入り混じった何ともいえない魅力的な場所だ。子供はそこでは精霊的な存在になり、自分の固有の心を養いながら、「この世」へ出立することを繰り返す。「秘密基地」はたましいの養成所のような場なのだ。

 祖霊と交流し、集う人々が子供に還ってしまう宮古島の御嶽は、秘密基地のような胞衣的な雰囲気を失っていない場として、ぼくたちの前に現れる。


 「波 2017年7月号」

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2017/07/16

「ウクムーニーについて」(『やんばる学入門』)

 コラムで短く与論のことが出ているので、書いておく。

ウクムーニーは国頭の奥の言葉。

周辺の、宜名真・辺戸・楚州などと通じない部分があるが、その一方で、沖縄島の北方に浮かぶ与論島のことばとは共通する所が多くみられる。

 と奥の方からも近しさが確認された嬉しい報告だ。

 実は奥にはユンヌヤマという名の山がある。奥の地名を調べていくうちに、ユンヌヤマは楚州領域にあるものの、奥の人達が林産物を切り出していたこと、また与論町史に六〇〇年ほど前の伝説として、「ユンヌヤマ」の名の由来のことが紹介されていることも分かった。

 与論側からいえば、ユンヌヤマは大道那太(ウフドウナタ)が買ったとされている。伝説の真偽はともかく、与論は奥に木材を頼ったということだ。

 与論からは家畜、砂糖が持ちこまれる。「ニンブーと呼ばれるワラで作られたむしろ」、リュウキュウチクを使った「奥のアンヌミ(竹で編んだ網。猪垣や壁などに使用した)」が、与論から持ちこまれたものだという。

 これはとても意外だ。

 書き手は、宮城邦昌。感謝。
 

『やんばる学入門―沖縄島・森の生き物と人々の暮らし』

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2017/07/15

地名としての大神島

 「琉球國三十六島図」に、大神島は、「烏噶彌」となり、「宇加味」と添えられている。

 これで云えば、大神島の意味は、「拝み島」ということになる。あの世の島として拝むという意味に通じる。

 大神島は、地名として新しいと思わせるが、遡って「拝み島」まで辿っても、地勢や地形を示す本体へは至らない。

 結局これは、オーの島の系列と見なせるのではないだろうか。

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2017/07/14

ヨナとイヤの分布

 熊本県の美里町には、「いや川水源」がある。「いや」は胞衣のことだ(「いや川水源と御手洗水源」)。

いや川水源は、鳳林山の麓に湧出している。水温は年間を通して15℃ほどで一定している。干ばつのときも枯れたことはないそうだ。川底には カワベニマダラという紅苔が自生していることで知られる。最近はその数が減っているそうだが、昔は川底の石全体が紅く染まるほどたくさん自生していたという。
 いや川の名は、お産のときの「いや(胞衣)」を、この水源で洗い清めたことに由来するという。その血が石に付着して赤くなったという言い伝えがある。(「いや川水源(いやがわすいげん」)

 「400~500年前からあると推測されている水源」と言われているらしいが、もっと古いのではないだろうか。

 胞衣の呼び方を「ヨナ」「イヤ」で辿ってみる。

 ヨナ 福井県、愛知県、三重県、島根県、山口県
 イヤ 長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県(『日本産育習俗資料集成』より)

 こうしてみると、「ヨナ」の方が北へ延びている。
 

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2017/07/13

トーテムの系譜と島人の思考 9

 トーテムになった動植物に違いはなく、サンゴ礁が形成された時期も同じころであるなら、北琉球弧と南琉球弧のちがいは、「霊魂の発生」の段階の違いでつかむのが最も本質的だということになる。


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 それはつまり、「蝶」と「苧麻」を介して行われた。北では「蝶」に死者精霊を見るだけではなく、「霊魂」を見た。南では、「苧麻」を通じて植物身体を見るだけではなく、そこに「霊魂」を見た。

 北は、南に先行して「霊魂」を発生させたというだけではなく、飛翔するものに「霊魂」を見たというところに霊魂思考の進展を想定することができる。南は霊魂とはいえ、遠くへゆかない。かつ、死以外では抜け切ることはないと考えられていたのではないだろうか。

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2017/07/12

「自己拡張理論」メモ

 『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク)で、「自己拡張理論」を知って、吉本隆明の「対幻想」を思い出させる。というより、吉本の対幻想の議論は、アメリカでは90年代に出現したということだ。

 この「自己拡張理論」が面白いのは、ふたりの融合が高まるにつれ重なりも増えるが、同時に自己自体も拡大していることだ。重なりによって拡張するだけではなく、自己自体も拡張しているということ。

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 起点の円と終点の円の大きさを比べてみれば一目瞭然だ。

 これはこう解説されている。

個人がパートナーとの関係を説明する際に 1 人称複数形の“we”“us”を使用する頻度と、IOS 得点との間に正の相関が見られることが報告されている。これらの知見から、親密な関係では、親密さが増すほどに他者の資源を自己の資源として捉える自己拡張が生じ、同時に自己と他者をひとつの存在と見なすようになると考えられる。(中村祥子「対人関係におけるコミットメントに影響を及ぼす要因:研究ノート」)

 ぼくたちの視点からは、自己の「拡張」だけではなく、「変成」「変容」、つまりメタモルフォースという性格も入れたいところだ。

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2017/07/11

宮古島の霊魂観 4

 岡本恵昭(「神がかりの諸形態」『平良市史第7巻』)の記述をもう少ししつこく追ってみる。

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 こう整理してみると、「マウ(神)」と呼ばれるものが、フー(運気)と強いつながりを持つ、土地につながる「霊力」を根拠にしていることがよく分かる。個人の死により、マウ神も終わるのも、霊力の原型の意味を失っていない。

 この考え方に従うと、「マウ神」は「込める」ものではなく、「つける」ものだということになる。

 ぼくは、ブー(苧麻)を根拠に、タマス(霊魂)は思考されたと考えている。それは、宮古島の霊魂込めである「タマスウカビ」で植物片(カヤ)を使うのに矛盾していない。

 


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2017/07/10

宮古島の霊魂観 3

 宮古島のマウは、マブイ由来なのか、フー(運気、呼気)由来なのか。

 少なくとも、音韻の変化からはどちらとも決定できない(mabui>mauui>mau、huu>muu>mau)。

 しかし、ぼくたちはすでにマブイが、ハビラ(蝶)由来であるという仮説を立てている。宮古では、霊魂は「蝶」に由来していなから、この側面からいえば、マウ神の「マウ」は、「フー」由来だと見なせることになる。

 マウ神とタマスについて整理してみる。

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 この表だけみると、どちらも霊力的であり霊魂的でもあり、決定不能性に陥ってしまいそうだ。

 しかし、宮古島の霊魂は、もともと霊力的であり、ふたつ霊魂が、ともに霊力と霊魂の両方の要素を持つのは不思議ではない。

 何を根本的だと見なせばよいのか。

 ちがいとして明瞭なのは、マウ神が家族の系譜に連なるのに対して、タマスは共同体的であることだ。この意味では、マウ神はより霊力的であり、タマスは霊魂的である。マウ神が一代限りのものであることも霊力的だと言える。

 この場合、マウ神が「頭上に存在する」のが霊魂的のように見えるが、タマスがツヅから抜けることを思えば、振る舞いはタマスが霊魂的であると言える。

 こうしてみると、「宮古島の霊魂観 2」で見たように、マウ神が霊力的であり、タマスは霊魂的であると見なすのが妥当だと考えられる。両方ともアマルガムであることを前提にして。

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2017/07/09

『対人関係の心理学: 親密な関係の形成・発展・維持・崩壊』

 こんなことに頭を使うのもなんだかなだが、へーと思ったことがあった。

 友人関係や恋愛関係のケミストリーでは、「態度の類似性」が魅力を生み出す。態度が類似していると、「合意による妥当性確認」が得られ、「自分が大丈夫と安心したい欲求が満たされる」。

 ちょっと驚いたのはこれではなく、「自分の持っていない性質を持つ相手に魅力を感じる」という相補性仮説は恋愛関係では否定されていることだ。研究のうえでは、ということだが。

 ただし、

双方が関係の質の高さを同様に認知しているカップルに限り、一方が支配的でもう一方が従属的という、パーソナリティがもたらすカップルの役割分担が互いの魅力に影響を与えるというものである。

 つまり、クリエイティブ・ペアの場合がこの例ということになる(参照:『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク))。

 この解説も説得力がある。

相補性仮説と類似性
相補性仮説というのは、お互いに共有した価値観と満足度をベースにして初めて有効なものであるから、相補的な役割分担を重視する共通の価値観という類似性があってこそのものと考えておいた方がよいだろう。

 「愛の四天王」というのもある。それは、「熱愛」、「愛着の愛」、「慈愛」、「友愛」で、四者の関係は、(熱愛)⊃(愛着の愛)、(友愛)⊃(慈愛)。「慈愛」はここでは、「自分のパートナーを助けたい」という気持ちのこと。

 

『対人関係の心理学: 親密な関係の形成・発展・維持・崩壊』

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