2017/02/22

「ジュゴンの乱獲と絶滅の歴史」(当山昌直)

 当山正直は、『沖縄のジュゴン』(盛本勲)での沖縄、宮古・八重山の出土跡の分布状況について、骨製品の出土に注意を促している。

骨製品の場合は、出土したからといって必ずしもそこにジュゴンが生息していたという証拠にはならない。島内の、または離れた島との交易、またほかの島に住む人からのプレゼントされた骨製品の飾りということもありえるのである。

 また、「沖縄島の中部域や伊平屋島でも、ジュゴンを獲ると津波がやってくるという」とも書いている。

八重山では食の対象にもなっていたが、沖縄島の伝承などには食べたという事例があまり見られず、むしろ畏敬の念が強いように思われる。

 これを縄文期まで遡れば、要するに琉球弧全域で畏敬の念はあったということだ。

 

『島と海と森の環境史』


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2017/02/21

宮古島の霊魂観 2

 こんどは別様に考えてみる。刺青の文様をみれば、宮古島の霊魂は、霊力から独立した概念にはなっていないことに特徴がある。独立した概念の場合、霊魂の作用を受けて、霊力がもうひとつの霊魂と見なされるようになるが、宮古の場合、霊魂のほうがもうひとつの霊力と見なされているといった方が妥当なのだ。

 ここで、タマスにしてもマウ神にしても、「魂」や「守り」からきた新しい言葉だと見なして、これに頼らないことにする。

 もうひとつの霊力として立ち上がる霊魂とはどういうことを意味するだろうか。たとえば奄美諸島や沖縄諸島では、霊魂(マブイ)は、蝶としてイメージされた。これは、頭部の蝶形骨と蝶の類似(参照:「「蝶」が霊魂の化身である根拠」)と、死者に群がる蝶を根拠にしたと思える。とくに、死者に群がる蝶の場合、生者から死者への移行という一方向に進む時間の観念を媒介にしていることが重要だと思える。それは、トーテムとは別の系列の、時間概念を表象するものとして「蝶」が捉えられたことを意味している。

 一方、宮古島の場合、霊魂概念を導いたのは、ブー(苧麻)だったと考えられる。そしてブー(苧麻)はトーテムでもある。ここでどのようにして、霊魂、言い換えれば「人間の内部の人間」(フレイザー)はイメージされることになるのか。直接的な契機は、野生のブー(苧麻)を採取するときの麻酔いだったのではないだろうか。麻に酔い軽いトランス状態に陥ることが、人間と苧麻とのつながりを思考させる。

 ブー(苧麻)は、繊細な繊維で衣装になる。これは現代的な見方で、発生からいえば、ブー(苧麻)の繊維から人間はつくられているというのが発想の順番だったはずだ。ここで、ブー(苧麻)は、人間のトーテム(祖先)になる。そして同時に、人間の身体はブー(苧麻)でできていると考えられることになる。

 ブー(苧麻)は、身体を成り立たせているものとしてはトーテムだが、同時に身体内部に象徴された表象としては、霊魂だということになる。ここで霊力を指す言葉は、フーである。フーは自然に満ちていると同時に、呼気(フー)として、人間の身体にも宿っている。身体内部に象徴化されたフー(呼気)がブー(苧麻)なのだ。言い換えれば、フー(呼気)の変態した形がブー(苧麻)である。

 こうして捉えられた霊魂が、もうひとつの霊力としての霊魂の意味になる。そして、この霊魂は蝶形骨のように頭部では象徴されず、霊魂が抜けるのはツヅ(ツムジ)からではあっても、霊魂の座を象徴するのは身体(胴)なのだ。

 岡本恵昭は、『平良市史第7巻』のなかで、マウ神はフーの実体であり、タマの再生は個人の死で可能になるが、フーの外来魂は死とともに昇天すると書いている(「神がかりの諸形態-マウ神」)。

 これを手がかりにすれば、ブー(苧麻)として表象された身体内部の「もうひとつの霊力」である霊魂が「タマス」であり、外界ともつながりをもつもともとの霊力であるフー(呼気)が「マウ神」の祖型に当たることになる。

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 こう理解してみると、霊力はトーテムにつながるので、蛇、貝であるとともに、ブー(苧麻)も含んでいることになる。また、霊魂は、ブー(苧麻)であるといっても、それはトーテムでもあるから、蛇や貝を含むことになると思える。これは、宮古島の刺青で左右の尺骨頭部が同じ文様になることの根拠になる。

 ここで、「マウ神」とは、神化された霊力(フー)であり、神化を促した契機は、再生の断念であると考えられる。また、「タマス」の祖型はブー(苧麻)であると考えられる。それは、宮古の霊魂込め(マブイグミ)が、タマスウカビと呼ばれ、植物が使われることに符合する。

 ふたたび奄美諸島や沖縄諸島とのちがいを言えば、奄美や沖縄では霊魂の座が頭部であるのに対して、宮古では頭部が霊力を象徴する座になったことではないだろうか。

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2017/02/20

宮古島の霊魂観

 岡本恵昭の助けを借りて宮古島の霊魂観に接近してみたい。

 初源の霊魂はふたつが基本の数だ。ひとつは霊力であり、もうひとつがいわゆる霊魂である。霊力は「呼気」に象徴されるように内臓感覚をもとにしている。霊魂は、「影」に端を発するように目が捉えた知覚から始まり、「人間の内部の人間」(フレイザー)へと霊魂らしさを持つようになる。目の知覚からスタートしているので、人間のなかにいる小さな人間や、蝶への化身など、輪郭を持ちやすいのだと思える。

 このふたつの霊魂が、何の編集も受けずにいけば、やがて霊力としての霊魂は「その人が死ぬと無くなり」、他方の霊魂は「不滅」と言われることになる。

 この基本形を踏まると、宮古島の霊魂はどのように見えることになるのか。

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(岡本恵昭による図解「宮古郷土史研究会」No.28」1979)

 霊魂である「タマス」が、固有の輪郭を持つというより流動的に、つまり霊力的に捉えられているのは、幸地哲の「呪術と霊魂観」によっても捉えられていた。タマスウカビでカンカカリヤーが「同じ年生まれの大きな魂よ、大きな身体について下さい」と唱えることにもそれは表れている。「入る」ではなく「つける」というのは、霊力的な表現なのだ。

 岡本の解説のポイントを列記してみる(「宮古郷土史研究会」No.58」1989)。

・タマシは頭のツツ(ツムジ)から出入りする。
・タマシを動かす原動力は、その人の本有する、生まれスジ(系統)のツヅの神に依る。
・これをフーの主と呼ぶ。
・フーは運気でフーの主は運気を司る守護神と考えてよい。共同体の神々。
・生まれてのちダキマスを受けるころ、生まれ根であるウタキの神と、父方、母方のいずれかの守護神(マウヌカン)をうける。
・タマスの上にあるツヅの神が、人を再生させてくれるものである。

 また別のところでは、「頭上に存在するマウ神と身体(胴の部分)の守護するイキタマス、タマスーと運営を司るフーの主神がある」(「宮古郷土史研究会」No.27」)としている。

 あんまり単純化するのはよくないけれど、岡本の図解をアレンジしてみる。

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 まず、マウ神の「マウ」は、頭上に存在すること、守護神と呼ばれていることからもマブイ由来と考えてよいと思える(mabui>mauui>mau)。

 次に、ツヅの神は、セジ系(sezi-tidi-tudu)の言葉であり、「フー」と「呼気」に通じる言葉であることからも霊力を指している。タマスの動きを左右する運気もフーであり、タマスは霊力的に捉えられていることが、それを包むものによっても示されている。

 マウ神という守護神は、その人固有に、その一生にのみつくものだとも言われている。その意味では、呼称の由来はマブイ(霊魂)だとしても、その命運は霊力的である。

 しかし、この「マウ神」のあり方は、宮古島における再生の断念の歴史を背景に持っているのかもしれない。「マウ神」を、神化したマウ(マブイ、霊魂)と見なすのだ。そう捉えれば、マウ神は、かつではマウ(霊魂)として、死後はあの世へ帰ったあと、ふたたび生誕する運動を担っていたのではないだろうか。それは、マウ神が「御嶽、父方、母方のいずれか」に帰属を持つことからも考えられることだ。この運動性が、マウ(マブイ)という言葉には宿っているのかもしれない。

 宮古島の霊魂観には、霊魂初期のふたつの霊魂が変形されて保存されたと仮説してみる。マウ神は、マウとして霊魂としての霊魂であり、それは再生を担う運動性を持っていた。タマスは霊力としての霊魂を指す。タマスが身体(胴)、つまり内臓に宿ることも、それが霊力であることを示している。

 この霊魂観が豊かなのは、フー(運気)とフーの主という存在によって、霊力はもともと人間という境界を越えて自然とつながりあっていたという記憶を保存していることにあると思う。それが、「ツヅの神が、人を再生させてくれる」という思考を消していない力になっているようみえる。


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2017/02/19

「サンゴ礁の環境認識と資源利用」(渡久地健)

 渡久地健は、奄美大島大和村の貝捕獲について、潜水の必要なサンゴ礁外側斜面では男性が捕獲し、内側では女性が捕獲すると整理している。

 サンゴ礁の外側=礁斜面(ナダラ・スニウトゥシ) カインミャ・タカセ・カタンミャ-男性
 サンゴ礁の内側=礁原・岸辺(クィシィ・ヒジャ) カタンミャ・エガル・アナゴ-女性

 カタンミャはチュオセンサザエのこと。これは、礁の内側でも外側でも捕られているから、やはり貝の種類よりも、捕る場所が重視されているのが分かる。エガルはオオベッコウガサガイ、アナゴはマアナゴウ。

 エガルとアナゴはヒジャの岩と岩のあいだに潜む貝。

 ヤトゥは干瀬にある深い窪み。ヤトゥも、太陽系地名だと思われる。tida > datu > yatu。

 エラブチ、ヴダイは、青と赤で名称を変えている。オー(青)エラブチとハー(赤)エラブチ。前者が男性動物で後者が女性動物だ。クサビも、オークサビとハークサビに分けられている。

 タカセは、「殻に赤い模様がある」。


『島と海と森の環境史』


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2017/02/18

「ふたりの「狂うひと」-島尾敏雄とミホの闘い」(瀬戸内寂聴 梯久美子)

 一方は言いたいことを言い、他方は言われたいように言われている。無惨という思いを禁じ得ない。島尾敏雄とミホがそうなのではない。対談者の二人のことだ。

 ここでは島尾ミホは、魅力的だが不気味な存在として捉えられている。

梯 初対面の第一声が「あなた、ゆうべ私の夢に出てきましたよ」だったんです。「夢で見たお顔とおんなじ」って。本当だったのか、ある種の自己演出だったのか、今もわかりません。
瀬戸内 自己演出に決まってる。というより自分でそう思いこむんでしょうね。
瀬戸内 (前略)それにしてもあなた、ミホさんのような怖い人のところへ取材に通ったんですから、勇気がありましたね。
梯 ミホさんの書いたものを読んで、もうびっくりしたんですね。『死の棘』で狂乱する妻として描かれているあの人が、こんなにすごい作家だったなんて、と。それでどうしても会ってみたくて。(後略)(「新潮」2017.3)

 こういういい気なやりとりの後にこう続く。

梯 私はミホさんに、もう取材はしないで、書かないでと言われたのに書いてしまったことが心にかかっているんですが、書いてよかったんでしょうか。
瀬戸内 もちろん、よかったのよ。あなたはミホさんが好きで、ミホさんの人物と作品を知ってもらいたいと思って、時間と労力をかけて書いた。喜んでいるに決まってます。それに、あなたのこの本には、これまで世に出ていなかった資料がたくさん出てくるでしょう? これだけのものが集まってきたということ自体、あなたが書いてよかったということなのよ。
(中略)
瀬戸内 「ここで、こんな資料が欲しいな」と思ったら、向こうから来るの。あなたも覚えがあるでしょう?
梯 あります、はい。
瀬戸内 それはあなたが本当の書き手になったということなのよ。書かれる相手がどうぞ書いて、と思った時よ。
梯 今回の本は特にそうでした。
瀬戸内 そういう時って、その人の魂が「書いて」って言っている時だと思うの。私ね、やっぱり魂ってあるんじゃないかと思うの。

 呑気なものだ。瀬戸内は、ミホを思いこみの人に追い込みながら、自分も自身の思いこみを語ることになっている。

 梯は、本人に取材を断られながら、息子伸三の許諾に依存してしまったために、「書いてよかったんでしょうか」という問いを抱えざるを得なくなっている。そして聞く相手を間違えている。聞くべき相手は能天気な老作家でもなければ息子伸三でもなく、島尾ミホである。そして、本当に問われるべきことは、得られない許諾のもとに書いたことではない。にもかかわらず、書けていないことなのだ。

 梯は実のところ、敏雄にもミホにも向き合えていない。「二人のことを書いていた時、私も彼らの「狂い」に参加していたのかもしれません」と、梯は話しているが、これも呑気だとしか言いようがない。「狂い」が足りない。


 cf.『狂うひと ─「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子)


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2017/02/17

『神と自然の景観論』(野本寛一)

 野本寛一は、緒言で「聖なる一本の樹木の場合、依り代なのか神体なのか不明確なことが多い」と書いている。ここに二重性が認められる場合は、「神体」→「依り代」への転換を想定していいのだと思う。

 八重山の竹富島の西側の白砂の浜にあるニーラン石。神がとも綱をつける石。ニーランの神は、ニーランの国からの穀物の種子を小波本御嶽のなかにあるクスクバーの岡という小高い岡に登り、ハイクバリの神に命じて穀物の種子を八重山に配ったという。野本は、「ニーランの石は神の依り代である」としている。

 ニーランの石は、小浜島の大岳、西表島の古見岳が一直線上に連なっている。新城島上地では、一年のうちでもっとも聖なる時間に西表島の古見岳を遥拝する。

 これらはいくつかのことを示唆している。

・ニーランの石は、縄文期の「あの世」との境界部
・クスクバーの岡は、縄文期の「あの世」
・御嶽が縄文期の「あの世」にそのまま建てられることがある例
・竹富島も八重山の「あの世」の島のひとつ
・小浜島の大岳、西表島の古見岳は、竹富島にとっての遠隔化された「あの世」
・同じく、西表島の古見岳は、新城島の遠隔化された「あの世」

鳩間島は、島自体が聖地である。沖縄本島における久高島のごとく、八重山諸島において信仰の核となるような聖なる島なのであった。

 縄文期のあの世の島として典型的なのは、沖縄本島の久高島、宮古の大神島、八重山の竹富島、鳩間島ということになる。奄美は、奄美でその位置を持つのは喜界島なのではないだろうか。

 奄美大島大和村の立神について、野本は書いている。

ここで注目すべきは、オムケの願い口のなかで、立神は「立神ミカタの神様」と明確に神格化されているのに対して、伝承のなかでは、立神はテルコ神が碇をおろす場だと伝え、いわばテルコ神の依り代であることを説いていることである。

 これは、大和村の立神が、縄文期の「あの世」からナルコテルコへと他界が遠隔化したことを伝えるものだ。この場合、オムケの願い口の方が古層を保存したのだと言える。

海の彼方からやってくる神はまず押角・湾口等にある柱状岩島(立神・京)に依り着く。次にムラを中心とした神女集団が浜に出て、その柱状岩島を排しながらムラに神を迎える。

 野本はこれが「立神信仰の基本」だとしている。「立神のある風景は、日本人が内在させる海彼憧憬の思いを刺激してやまない」とも書く。しかし、見ようと思えば立神には、それ以前の縄文の「あの世」を見ることができるのだ。

 伊平屋島、宮崎県の青島、佐多岬のビロウ島、野間岬のビロウ島などもクバ島であり、「いずれも聖地性が強い」。

それは、クバすなわちビロウが神の依る植物と考えられていたからである。

 ぼくたちはこれを、蛇(と貝)の化身態だからと言い換えることができる。

 ここでは、山について触れなかったが、この本は縄文の「あの世」探究の適切なテキストになると思う。 
 


『神と自然の景観論 信仰環境を読む』

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2017/02/16

不死-蛇と再生-貝

 サンゴ礁期に入って、島人は貝-太陽-女性という同一視のトライアングルを見い出す。そして生と死は、不死から再生の段階に入る。

 不死-蛇
 再生-貝-太陽-女性

 と、ここまではいいはずだ。

 松井健の『自然認識の人類学』によると、来間島では、貝と植物は男性生き物の場合は、「ビキ」がつけられて、女性を表わす「ミー」は付かないことが多いとしている。これは、植物も女性生き物だったことを示している。それは、木の実が落ちるものであり、貝と同様、大地に根差しているところから来ていると思える。

 で、このとき、月が「もうひとつの太陽」と見なされたのは、貝から太陽が誕生することを受けて、そうなったと考えられる。そして、この段階で、性が表現になったとすれば、月は男性として見られた可能性がある。ただ、神扇の表は太陽、裏は月ということからすると、もうひとつの太陽も女性だったのかもしれない。

 問題は、「貝-太陽-女性」以前の段階で、蛇や月に性が与えられていたかどうかということだ。

 もし、サンゴ礁出現以前は、独神の段階であったら、蛇は男女の精霊ではなかったことになる。ただ、月はもともと女性との結びつきは強いので、女性的な存在として見なされていたとも考えられる。

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2017/02/15

月と太陽

 ニコライ・ネフスキーは書いている。

 宮古群島では、太陽と月は夫婦になっている。夫が片足を妻に投げたとき月食が起こり、妻が夫に媚びたときに日食が現われる。

 この説話では、すでに太陽は男になり、しかもふたりは夫婦になっている。これは男性が太陽化したことで、女性が月化したものだ。あるいは、月はその前から女性で、そのまま女性にとどまったのかもしれない。

 多良間島の伝説。昔、妻である月の光は、夫の日の光よりもはるかに強く明るかった。夫は羨望して分けてほしいと願ってみたが、妻は聞き入れなかった。そこで夫は妻を地上に突き落とした。妻は泥で汚れたが、通りかかった農夫が桶の水できれいに洗った。そして月は空に戻ったが、月は明るさを失ってしまった。月は農夫を招いた。そこで、満月の夜には二つの桶を天秤棒につけて運ぶ農夫の姿がいまでも見える。

 ここでも月は女性だ。ここでは男性は太陽であるばかりでなく、月に対する優位性を露わにしているので、王権以降の伝承だと考えられる。

 首里や那覇では、冴えた月夜に「アカナー」という赤い顔と髭を持つ童子のような生き物が月に見えるという。山間に生息する非常な酒豪と言われることもある。童謡では、あかなーは「月の弟」だ。

 赤い顔は貝で髭は蛇だとすれば、アカナーの原形は蛇と貝の子だ。それが、「月の弟」だということは、ここでは、月も蛇と貝の子という意味になる。すると、月も太陽の子とみなされることになる。

 月のアカリヤザガマの話。月と太陽が、下の島へ変若水と死水を持たせてアカリヤザガマを使いに出した。人間には変若水を浴びせて生き返るようにして、蛇は肝心を持ってないからには死水を浴びせよという言いつけだった。ところが、アカリヤザガマが疲れて休んだ時に、蛇が変若水を浴びてしまう。仕方なく、アカリヤザガマは人間に死水を浴びせる。太陽は怒って、アカリヤザガマは桶を持って月に立っていることになった。

 ここでも太陽は月に対して優位性を持つ存在になっているが、月は太陽とセットで登場している。

 かろうじて仮説が立てられそうなのは、月も貝が生み出しているのではないか、ということだ。月-不死は、太陽-再生の段階になって、もうひとつの太陽と見なされることになる。
 

『月と不死』


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2017/02/14

月は夜の太陽

 吉成直樹は、「おもろさうし」を引いて、月についてこう書いている。

一 阿嘉のお祝付きや
  饒波のお祝付きや
  月てだの様に
  照ゞ 輝ちよわれ
又 夜は 月 照る
  昼は てだ 照る
  月の様に
又 月や 隠し人
  てだは 世の主
  月てだ様に

一 あかのおゑつきや
  ねはのおゑつきや
  つきてたのやに
  てゝ かゝちよわれ
又 よるは つき てる
  ひるは てた てる
  つきのやに
又 つきや おさしきよ
  てたは よのぬし
  つきてたやに
  8-459(67)

 「夜は月が照り 昼は太陽が照る 月のように」。

月とはいわば、「夜の太陽」とも言うべきものと考えられていたことがわかる。したがって、「かなや」に月が結びついて表現されていたとしても何らおかしなことはない。

 これは重要な指摘だと思える。月がもうひとつの太陽なら、祝女の神扇の表に太陽、裏に月という意味も分かる。もうひとつの太陽なら、裏に描かれるのも不思議ではない。しかも、「夜は月が照り 昼は太陽が照る 月のように」は、「「昼は太陽が照り 夜は月が照る 太陽のように」と書くのがふつうだと感じるだろう。けれど、琉球弧の月の明るさを思えば、これも不思議ではない。しかも古代以前に月の存在の大きさを知れば、太陽よりも月を主体にした文言が残ったことには意味があるのかもしれない。

 ぼくは貝の精霊の殻が閉じることで太陽が死に移行し、殻を開けることで太陽がふたたび生まれると考えてきた。しかし、そうではなく、殻は閉じることなく、夜は月を生んでいるというのが正しいのだろうか。 
 

『琉球民俗の底流―古歌謡は何を語るか』


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2017/02/13

うるゆー(サンゴ世)

大波の去った夜、
イノーに月が映えて、干瀬があやしく輝いた。
月が姿を消すと、イノーからティダが生まれる。
浜辺のユウナは風浴びて、黄色の花びらをゆらめかす。
木陰で舌出す大トカゲ、ユナの渚を睨んでる。
おもむろに這い出すと、蟹は慌てて岩になる。
そ知らぬふりのトカゲは、カタカスになって泳ぐよ。
ウルユー。渚に生まれ、渚にかえる。

イラブチャーがつつく。
まばゆいスクの群れ、向こうでボラが空へはねる。
グーが背中を叩く。ヌーからグーザがやってくる。
ヤモリは海に出てフカになり、マングローブのシジミはギラになる。
ティダがイノーにかえる頃、赤く染まるユウナの花。
風に揺られて花びら、落ちて波にさらわれた。
ぶるっとふるえて花びらは、オレンジ魚になるよ。
ウルユー。渚に生まれ、渚にかえる。

海がかすんでる。
ヌーから入ってきた、あれは相方いとしのザン。
ザンが藻をはみ終える頃、渚に生まれる赤ん坊。
少女になればティダの印、ウマレバンがぽつんとつけられる。
綾文様で染められると、手から飛び立つ綾はびら。
アマンと貝も這い出して、ブーが長い糸を引く。
やがて指から蛇が抜け出て、空を舞い海に溶けるよ。
ウルユー。渚に生まれ、渚にかえる。

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2017/02/12

『吉本隆明 『言語にとって美とはなにか』の読み方』(宇田亮一)

 この本を読んで、『言語にとって美とはなにか』とぼくたちの問題意識の接点は何かを考えることになる。「文字」以降の表現を主に扱っているこの本に対して、ぼくたちは文字以前の思考を対象にしているのだから、接点を見つけること自体がテーマになる。

 サンゴ礁の思考を辿ると、「貝は女性器」という思考に出会う。これはふつう暗喩と呼ばれているものだ。しかし、サンゴ礁の夢の時間のなかにあってそれは、メタファーではなく、貝と女性器を等価なものとして見ていたのだ。それを同一視と言っては語弊があるなら、吉本の使ったように同致と言うべきなのかもしれない。

 これは順番からいえば、現在、メタファーと呼ばれているものは、この等価と見なす同致から始まってると考えられる。このことがひとつ。

 それからサンゴ礁の思考を辿ると、もうひとつ気になることが見えてくる。

 ユナ(砂洲)を起点におくと、これを元に、ユウナ(オオハマボウ)、イノー(礁池)、スニ、ウル(サンゴ)、イヤ(胞衣)などの言葉が生み出されたのが見えてくる。あるいはぼくはそう仮説した。

 この場合、ユナとユウナ、イノー、スニ、ウルはサンゴ礁内の自然物であり、胞衣は女性器である。サンゴ礁は貝ともみなされているから、貝は胞衣というのは、貝は女性器と同じと見なした視線と同等のものだ。

 そして、ユナとユウナ、イノー、スニ、ウルというサンゴ礁内にある自然物は、ひとつの言葉の変態によって生み出されている。ユナが変態することで、ユウナ、イノー、スニ、ウルは生まれていった。これは、ユナからイヤ(胞衣)が生まれたように、ユナとユウナも、ユナーとイノーも等価と見なされたことを示唆している。比喩の言い方をすれば、ユナ(砂洲)はユウナ(オオハマボウ)であり、ユナ(砂洲)はウル(サンゴ)なのだ。

 これを現在的に比喩と言わずに言語の発生の場所からみれば、ユウナ(オオハマボウ)はユナ(砂洲)の別の形と見なしたことになる。

 こういう言葉の変態(メタモルフォーゼ)による名づけという方法を、ありえたと考えさせるのは、サンゴ礁において、動植物が変態して別の動植物に化身するという思考に、すでに出会ってきているからだ。

 キシノウエトカゲはカタカスになり、ヤモリは鮫になる。この変態は、すべてサンゴ礁で起きる。これが妥当だと思えるのは、サンゴ礁は胞衣と見なされているからだ。

 ぼくたちはこうしたことを知るに至っている。しかし、それが何を意味するのか、よく分かっていない。

 ただ、比喩を使うと、ものごとがよく分かるというとき、その根底には、かつて等価として同致した思考の累積が、比喩によって得られる納得感には流れているのではないかということだ。

 宇田は吉本の考えを辿りながら、「喩はリズム(つなぐ、ながれる)の象徴的な表現」と書いている。ぼくたちが見ているものに引き寄せれば、リズムとは変態(メタモルフォーゼ)であり、そこに喩の原型があった、ということになる。 
 

『吉本隆明 『言語にとって美とはなにか』の読み方』


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2017/02/11

ミルヤからニルヤへ

 中本正智は、ミからニへは「音声変化」からも論証できるとしている(「ニライカナイの語源と原義」)。

 ミルヤ > ニルヤ.> ニラヤ > ニラヰ > ニライ

 と、こういう推移を想定しているわけだが、「ミルヤ > ニルヤ」のところがぼくにはいちばん分からない。この間の経緯はもっと複雑なのではないだろうか。

 「濁音の同一と等価」を参照すると、

 ミ > ジ > ヂ > ギ > ニ(の濁音)としてミからニに到達することはできる。そうすると、「琉球神道記」の「儀来河内」(ギライカナイ)という表記も、射程に入ってくることになる。ただ、感覚的にはこの経路は難しい。

 

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2017/02/10

宮古島の針突き文様

 市川重治の『南島針突紀行』から、宮古島の針突き文様について、もう少し示唆を受け取りたい。

 「・」ウマレバン。小さな点。「富貴の印であり、後生に行けば先祖や神様に見せなければならない文様」。
 「×」ガジル。結ぶこと。
 「類こ」フツンキヤ。人と人が対しあうこと、口むかうさま。
 「四個の点」インヌプサ(犬の足)。宮古上布にある文様。
 「=」オミス。箸。

 「五つの点」。イズクモズ。
 「工」カシギ。織物をするとき、糸を綛(かせ)にする原始的な工具。
 「六個の点。三個ずつ二列」。ニギリメシ(握飯)。
 「※」イズクモズ、イズポカザマーラ。(「星」を表わす。『南嶋入墨考』)「この感じを上布に織り出すことに大変苦労した)

 トウヌピサは、「ヤツカザマーラ」とも言う。
 トゲヤ(銛)、ツガとも呼ばれる。
 「〇に+」。タライ。
 「四角形に対角線」ツガ。枡(ます)。

 これらの証言からうっすら分かってくるのは、十字を基本にした文様が「太陽」を表わし、それを囲うようなデザインがあるとき「貝」モチーフが現われてくる。宮古の文様のモチーフは、「貝=太陽」を基本にしているのではないだろうか。

 
 

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2017/02/09

「とらさんながね節」

 宇検が本場だという「とらさんながね節」。

 とらさんながねなんて ふつもゆる煙 とくぬまごじょめが はゆる煙草
 とくぬ浜で ふつもゆる煙 牛焼きと思えば 塩屋ぬ煙
 浜ながし行くば しゅくぬ子ぬ寄より 網叉手や持たぬ 事ど欠きゅる
 網寄せて曳くば 又手寄せて曳くば 網やだます 叉手や叉手だます
 のろやのろだます ぎじやぐじだます たます打ち果てて 主やどまで
 (小川学夫『奄美の島唄』)

 これはスクの歌になっている。「しゅくぬ子」は、スクの子だから、ここでの「しゅく」はアイゴの成魚を指すことになるが、「しゅくぬ子」でそのまま「しゅく」のことなのかもしれない。

 面白いのは、「しゅくぬ子」という表現があるということだ。これはもとは、「しゅうぬ子」だったのかもしれない。スクが、「潮の子」であるという連想をさせてくれる詞だ。

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2017/02/08

『自然認識の人類学』(松井健)

 来間島では、サルカケミカンは「サルク」と呼ばれ、ナンテンカズラが「ビキ・サルク(雄のサルク)」と呼ばれる。サルカケミカンはミー・サルク(雌のサルク)だが、「ミー」は省略されることが多い。両者の共通点は、「鋭くて強い棘だけ」。つまり、サルクに関してはふつうは女性植物とみなされている。ススキは「カヤ」、あるいは「ミー・カヤ」で、イトススキが「ビキ・カヤ」。

 来間島における生物の命名法に特徴的な「ミー」と「ビキ」をつけて対をつくる例は、植物と貝の場合についてだけ見出される。

 採集は女性が行なうものであり、その意味で貝と植物は女性植物になっている。松井健は書いている。

「ミー」は、雌を示す。その一方で、一応その方名で呼ばれはするが、本来その名前で呼ばれるべき典型的なものではないとみなされている生物種は「ビキ・--」と呼ばれる。「ビキ」は雄を意味する。

 魚の命名では、「ミー」「ビキ」の対立がないのみだけではなく、その語彙を含む方名が皆無。

 ブダイは雌が「アカ・イラフツ」、雄が「アウ・イラフツ」。「雌雄が別々の魚であるかのように命名されている」。これはたまたま生物学的な雌雄と一致した例だ。松井も「島の人たちは同一種の雌雄の魚を、まったく別の種類と考えている」。

 ヤギの場合、かなりの頻度で出現する半陰陽の個体は「ミー・ビキ・ピンジャ」と呼ぶ。タカ(サシバ)のうち眼がアカ(オレンジ色に近い色)く、体色が濃い褐色のものを「ミー」とみなす。


 その他メモ。

 来間島では、スクはスフ。四月ころ、テラジャ(マガキガイ)は「浅いラグーンに集まってくる」。

 琉球列島で、タカラガイは「シビ」「スビ」と呼ばれる。この貝の名前は、「女性の性器」を指す隠語になっている。別の貝の場合もあるが、限られる。

 与論では、大きなシビを「ウマ・シビ」という。

 

『自然認識の人類学』


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