"HAJICHI" Metamorphosis into butterfly-person

1. What does the tattoo pattern mean?

 Whether you have tattoos or not, you've probably been fascinated by the beautiful designs of "tribal tattoos". And even if you didn't care about the meaning of the pattern, you've probably wondered what it means.

2. Revealing the pattern of the Ryukyu islands' tribal tattoo,  “Hajichi”

 This book unravels the meaning of the Hajichi pattern, one of the tribal tattoos. At least until the end of the 20th century, there were women with tattoos on the islands of the Ryukyu. The patterns vary so much that it is said that you can identify an island by looking at the Hajichi.This book reveals the significance of almost all of the recorded patterns.

3. Why it can be revealed.

 I am from Yoron Island in the Ryukyu Archipelago and have been exploring the prehistoric spiritual history of these islands. The results of this research are included in “Coral reef wild thinking” (『珊瑚礁の思考』2015, Fujiwara Shoten). The Ryukyu Islands are rich in myths, rituals, and customs, and have remained a fascinating fieldwork site for folklore and anthropology.( Levi Strauss also makes a small reference at the beginning of "Wild Thinking") Just as it was the Ainu in the north and the Ryukyu Islands in the south that left behind tribal tattoos in the Japanese archipelago, the Ryukyu Islands leave clues to explore the minds and thoughts of prehistoric times.

 In this exploration, I noticed that totems, spoken of in myth and folklore or preserved as the names of patterns, were represented in shell mounds and ruins. I have confirmed this in the Ryukyu Islands.

 I must emphasize that this is very different from what we have been taught, but a shell mound is not a dump site(or kitchen midden). Rather, shell mounds and ruins were sanctuaries to connect with totems.

4. Metamorphosis into butterfly-person

 If we can decipher the shell mounds, we can find the totems. Totems have changed over time, as they have been updated by prehistoric human's changing views of life. Thus, from the deciphering of the shell mounds, we can create a totemic timeline. Surprisingly, it corresponds exactly to the pottery timeline.

 In this totem timeline, the Hajichi was born when the "Spirit soul" concept arose late in the plant totem stage.At the plant totem stage, the human body is thought to have metamorphosed from a particular plant . Therefore, the human body is a plant body. And just as butterflies are born from plants, butterflies were carved into the bodies of plants. That is the "Hajjichi". The spirit was thought through the medium of a butterfly!(you may recall " psyche").

 If you read this book, you will understand the meaning of the patterns of the Hajichi.

 You will see not only the meaning of the pattern, but also the world that was with Hajichi. That is to say, we get a glimpse into the minds and thoughts of the prehistoric people at that stage in their lives.

5. Some examples

 Let me give you an example. The pattern marked on the ulnar stapes on the right hand is a peculiar design that is often similar in the islands, but this represents a butterfly (called a "five-star" on the Okinawa island).

 The pattern on the wrist at Tokunoshima island is also easy to recognize. This represents their spirit butterfly, “Ishigake-cho(Cyrestis thyodamas)”.

 If we shift our view outside of Hajichi, the artifacts unearthed from shell mounds and ruins at this stage are eloquent. The artifacts that have been called "butterfly-shaped bone object" represent butterflies. This is from the Murokawa shell mound, and the spirit butterfly is thought to be a “Namiageha”(Papilio xuthus).

6. Entrance to the world of the prehistoric mind

 This book is focused on the Hajichi, so you can certainly get to the meaning of the pattern. However, the number of pages is limited, so the details of the decipherment have to be given away separately. I will eventually develop this as a "totem-metamorphosis hypothesis".But you can stand on the threshold of the world of the prehistoric minds that were thinking in totems and metamorphoses.

7.It's in Japanese but full of illustrations

 It will disappoint you, but this book is written in Japanese. As you can see from the poor English in this "introduction", I am much better at writing in Japanese.

 But in this book of about 100 pages, the right page is the text, but the left page consists of illustrations of “Hajichi” hands, plants, butterflies, larvae, pupae, shells and archeological relics. So, at least the plants and butterflies that the pattern represents can be understood without having to read the text.

 I would be very happy if you could find out the origin of the Hajichi design along with these illustrations! And I would be even happier if you got to know the Ryukyu Islands as more than just a beautiful coral reef resort.

 

 

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2021/05/09

『土偶を読む』(竹倉史人)

 「土偶」という縄文時代の遺物の由来を自然のなかに求める点で、著者のアプローチには親近感を持った。

 ここでは、「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」という竹倉の仮説に、わたしの仮説を対置させておきたい。

 「土偶」は生命の源泉としてのトーテムと人を同時に表す「トーテム-人」像である。「土偶」だけでなく、土器も石器も、加工された貝も自然貝も「トーテム-人」像である。さらに、遺跡や貝塚も「トーテム-人」像である。

 ここからみると、土偶が「食用植物」であることは、植物がトーテムである段階に相当する。ただし、「食用」か否かではなく、先史人が「生命の源泉」として捉えたかどうかが問われる。同様に、土偶が「貝類」になるのは、貝がトーテムである段階になる。それは、竹倉が挙げている土偶と植物や貝と必ずしも一致するわけではない。時代がくだるにつれて「トーテム」と「人」のあいだの観念は複合的になるから、「植物」や「貝」などの他の動植物や自然物が「トーテムー人」像に溶かし込まれることはある。それが、土偶や土器、遺構の形態を複雑にする一因になるが、そのなかには竹倉が退けている「地母神」や「精霊」のイメージも入ることになる。

 縄文時代の痕跡が示すのは「トーテム-人」像として一貫しているから、「土偶」の出土しない琉球弧を主に見ている場所からも「土偶」の位相を捉えることはできる。竹倉が紹介している土偶のなかには、その「トーテムー人」像を把握しているものもあるが、琉球弧の遺跡・貝塚から立論しているさなかなので、土偶に言及するのはもう少し準備を整えてからにしたい。

 竹倉は「植物の人体化」として土偶の形態を捉えており、ここが最も近接する個所なのだが、わたしの方はそれをさらに強めて、「トーテム-人」と見なしている。「土偶」は「トーテム-人」のなかでも、「人」に寄った「トーテム-人」像なのだ。そこで、「土偶の変遷は重点的に利用された植物資源の変遷を示している」という個所は、「土偶」の変遷はトーテムの変遷を示すというがわたしの理解になる。それは土偶に留まらず、土器の編年に対応している。

 接近しては離れる、を繰り返す本書の立論をとても面白く読んだ。

 

『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』

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2020/11/14

『蓑虫放浪』

 この本の写真を提供している田附勝は、蓑虫山人の絵をこんな風に書いている。

縄文時代というものに興味を持っていたのだけれど、幕末から明治に移り変わる激動の時代に、こんな温かな絵を残す絵師がいたのかといたく興味を持ってしまったのだ。

 これはその通りの印象だった。「幕末から明治に移り変わる激動」というと、まさにステレオタイプな人物像や時代描写がお馴染みだが、それと接しつつも、気分としてはかけ離れたのびやかで優しい生が浮かんでくる。こんな時代のくぐり方があったということにほっとする。

 「放浪」や「乞食」は定住と生産を背景に置くから出てくる言葉で、言ってみれば蓑虫山人は移動する絵師だった。その人は縄文期の遺物に惹かれ、土器を花瓶のように使ったり土偶をいつも懐に入れたりと身近に置いていた。考古遺物を披露する「神代品展覧会」まで開いている。そのうえその人があの遮光器土偶を発掘したのかもしれないともなると、「激動」の時にひょっこり現れた縄文の人という風にも見えてくる。

 実際、籠だけで庵をつくり、「天井のない変な帽子」をお気に入りで被り、蓑虫山人というあだ名で呼ばれる。絵は正確というのではなく、誇張や心象が混じり、嘘か本当か分からない言葉や噂に包まれているとなると余計にそう思えてくる。偉人というわけでもないから、これまでこんな風にその足跡が丹念に辿られることもなかった。

 蓑虫には「六十六庵」という果たせなかった博物館構想があった。

 蓑虫の構想では、縄文時代の環状集落さながらに、中心に広場を作り、それを取り囲むように、「美濃庵」「豊前庵」と、六六の地域一つひとつの庵を建て、各庵ごとに地域の特産品や珍品、自慢の逸品、名勝を描いた絵などを展示するパビリオンスタイルだったようだ。

 この構想から刺激を受けると、ぼくがやってみたいのは貝塚・遺跡博物館ということになるだろうか。列島や島々で全体像の分かっている貝塚・遺跡を3Dスキャンした再現模型をつくる。そしてそれをゴーグルをつけて観ると、先史人の見た多重なイメージが3D画像で浮かび上がる。それはひとつの土器、土偶や遺物であったもいい。先史人のこころのありようを覗き込めるようにするのだ。

 蓑虫山人から得たアイデアとして持っておこう。

 

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2020/11/10

『帝国の島』

 久しぶりに松島さんの本を読んだ。こんなハードなテーマに正面から向き合い続けていることに、まずは敬いの気持ちを表したい。

 けれどここから先、独語のようになってしまうが、いつも感じるのは松島さんの優しい気持ちに、政治的な概念を被せると概念の連なりが優勢になって、まるで違う表情になるようなちぐはぐさを感じてならない。それは島人も標準語を使っている制約なのかもしれないと思うこともある。島人には、それにふさわしい語法と論理を編み出す必要があるのではないか。という困難を思う。

 もっともそこまででなくても、感じるちぐはぐさはある。

 「自由」ということだろうか。ふつうの人が自由に振るまい表現し信仰を持てるという基本的な自由のこと。もちろん、松島さんも国家によって「自由」が著しく制約されていると感じればこそ、日本国家を批判する。そうであれば、この本は国家としての日本を批判すると同時に、帝国主義的な振る舞いを隠さない中国に対しても向けられなければ説得力を持たないのではないだろうか。この本が脱稿されたとき、「国家安全法」はまだ施行されてなくても、それは言いうることだ。

 もうひとつは、この本で詳しく触れられているわけではないが、琉球とはどこであるかということ。ぼくにとってもそれは切実だから、本土とのあいだに明確な差異を引くことができるのかという探究を続けてきた。そして、先史時代に遡れば、トーテムの段階においての違いを見出すことができた。それは時にトカラを含み、奄美から八重山まで共通している。おぼろげには本土のなかにも微差異があり、その向こうに北海道・アイヌとのあいだにも差異があることも見通しとして持っている。

 もちろん、「琉球」というとき、松島さんも奄美への視線は持っている。けれど、奄美北部での拒否感に会い、そこは自己決定権よろしく奄美の人に委ねられる格好になっている。けれどそこに問いは残る。奄美北部では「琉球」という言葉に拒否感があるが、それを解きほぐすことが琉球独立論にとって重要な課題だと思う。そこを自己決定権と投げて終わってしまえば、国家がやっているのと同じ、大は小を兼ねる、あるいは小の無視をなぞってしまう落ちになりかねない。

 奄美北部で顕在化する「琉球」アレルギーはひとつの例だが、かつて松島さんが取り組んでいた各島の自治という、小さな声を聞き落とさない姿勢からすれば、ここに琉球独立論を鍛える素材のひとつがあると思う。

 

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2020/11/09

奄美大島、その他の紋様

 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』のなかでは、触れられなかった紋様のバリエーションについて、気づくところを補足していきたい。

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 ハジチ紋様のなかでもひときわ美しいのは、奄美大島のもので、本の表紙にもこれを使った。別に挙げれば下のも、この紋様のバリエーションになる。

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 どちらも食痕と幼虫を、チョウセンサザエ(ヤコウガイ)の蓋と枝サンゴで表している。下の方が、流線的な柔らかさがある。トーテム植物であるリュウキュウウマノスズクサを思い出させる柄だ。右手の塗りつぶされた紋様は食痕そのものだと考えられる。

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 こちらの左手甲は、リュウキュウウマノスズクサの花。下に突き出たふたつのこぶは、花弁だと思う。

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2020/11/07

グジマとホーミー

 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』のなかでは「タカラガイ」としているが、「ホーミー」は「イソアワモチ」ではないかという指摘をいただいたので、考えてみたい。

 この本のなかで、「ホーミー」を「タカラガイ」としたのは、そう聞き取りしているハジチ調査もあるからだが(例.具志川島教育委員会,1987)、もうひとつ、貝塚からもタカラガイは出土してもイソアワモチは出ていないからだ。ただ、「グジマとホーミー」を「ヒザラガイとイソアワモチ」とするのは、両者ともに岩場に張り付いているのだからとても自然な見なしではある。この場合、起点になるのは「ヒザラガイ」だ。ヒザラガイだから、対は姉妹のようなイソアワモチになる、というように。

 けれど発生からいえば、「グジマとホーミー」の対紋様は、「シャコガイとタカラガイ」とするのがその形態からは自然だ。二対は植物トーテムからいえば「花と蕾」であり蝶としてみると、「翅と幼虫?」になる。

 だから、問いは、「シャコガイ」が「ヒザラガイ」呼称に置き換わったのはなぜか、ということになる。

 この置き換えが起きるのは、カニ・トーテムの段階が考えられる。カニ・トーテムではシャコガイは大人貝でカニ腹部であり、タカラガイは子供貝でカニ鋏になる。ヒザラガイも子供貝でカニの鋏だ。ここからみると、タカラガイを鋏として見る視線に合わせて、左手の紋様を同じ鋏であるグジマ(ヒザラガイ)と見なしたことになる。両方の紋様とも子供のときに入れることになり、その意味はカニの鋏だった。

 経緯からいえば、カニ・トーテムの段階で、両方の紋様は、「グジマとホーミー」呼称になったと考えられる。

 

Hajichi

 

 

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2020/10/31

『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』

 人間が、人間のみの世界の内側に閉じこもって、かなたにある人間の知性と能力をはるかに超えた外部の世界と出会っておくことがないのなら、私たちは私たちの行く末を、このまま永遠に見失ったままなのではないだろうか。逆に、こちら側からあちら側に抜けるための連絡通路を開いておけば、私たちはこちらとあちらを往還しながら、アニミズムが自然と立ち上がってくるだろう。

 ぼくもハジチの紋様を解読しながら、このことをつくづく感じた。ハジチを始めた人々は、人を人のみでは考えていない。人の向こうにトーテムである植物を、そこから生まれる蝶を、そしてトーテムからの化身態としては分身である貝とを同時に見ている。人はむしろ、それらの自然から照らされて像を結んでいる。

 文学、思想、アニメ、トレンド等のさまざまな角度からアニミズムが論じられた本書のなかで、トーテミズムとの接点はいたるところにあるが、「往って還ってくる」生死の運動もそうだ。もっともトーテミズムからいえば、これは、「還って、現れる」、もっと正確には「還って、予兆(予祝)され、現れる」ということになる。「この世」側ではなく、「トーテム(あの世)」側に主体は置かれるからだ。

 この運動を見るのには本書でも引用されている「メビウスの帯」がふさわしく、かつ、アニミズムからトーテミズムへの通路もつくりやすい。

 一回転半ねじってメビウスの帯をつくり、それを帯びの真ん中から切り抜くと、「三つ葉結び目」ができあがる。ところで、貝塚・遺跡の構造を見続けていると、「あの世に還る」「予祝する」「この世に現れる」という三つの運動が絶えず行われているのが見えてくる。この「還る」「予祝する」「現れる」という運動をひとつながりにイメージすると、立ち上がるのは「三つ葉結び目」なのだ。

 生と死以前に、トーテムと人との関係は、この「三つ葉結び目」のなかを絶えず歩む運動のなかで溶けあい確認されている。それはやがて、生と死を結ぶものとも考えられるようになる。このつながりあいの終わりは、「還る」「予祝する」「現れる」の場が分離によって表現されることになる。

 人間を人間のみの世界で考えない他との接点を持つということは、アニミズムへの回路を拓く。それは同時にトーテミズムの世界への通路でもある。

 

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2020/10/21

「ハジチは蝶の印」パネル展

 『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ』(喜山荘一)の発売を記念して、ハジチと紋様の由来となる蝶や植物、貝をビジュアルで表現したパネル展を開催しています。

 

会場:ジュンク堂書店 池袋本店4F

期日:20201020日~1130

 

 お近くの方はぜひ足をお運びください。

 山城博明(波平勇夫)さんの『琉球の記憶 針突[ハジチ]』写真展とも隣り合っているので、写真と解読をいっしょに楽しめます。蝶や植物、サンゴ礁の写真は仲程長治さんに依るもの。しびれます。

 

Panel 

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2020/10/03

ハジチの本が出るにあたって

『珊瑚礁の思考』を構想しているとき、ある伝承や習俗の理解が別の伝承や習俗の理解と脈絡をつけてつながるということが起き始めた。もうひとつ別の理解点が加われば面をなして、理解点が増えると面は次第に大きくなってゆく。もちろん、点の理解に間違いあれば、面は消えて線に戻るが、また次の点ができて新しい理解面も生まれる。こうしたことが次々と起きる感覚があった。それは今も続いているが、そうすると、あることにどのように気づいたかが分からなくなることがしばしばになっている。この本では、ハジチを蝶に結びつけて解釈しているが、それはどのような経緯だったのか。思い出してみたい。

 ハジチが霊魂に関係していることに初めて納得したのは、吉本隆明の「ファッション論」だった(『ハイ・イメージ論Ⅰ』1989)。そこで吉本は民族誌の霊魂概念を辿りながら、入墨や身体の畸型化は人間の裸身が「霊魂の衣裳」と見なされたときに成立すると考えていて、ぼくはこれをハジチに引き寄せて理解した。ハジチは「霊魂のファッション」なのだ。

 『珊瑚礁の思考』では、「あの世」と「霊魂」の先後を考えることになった。それは吉本が『共同幻想論』でも明示していないことに思えていた。確定的には言いづらかったが、他界は霊魂に先んずるという理解を採った。「この世」と「あの世」の空間分割が先にあり、両者を行き来するものとして「霊魂」が思考されると考えるのが自然に思えたからだった。

 もうひとつ、霊魂観の系譜を辿ると、「霊魂」にはふたつの系列があった。ひとつは身体的なもので語彙として「呼気」や「体温などの熱」に代表される。もうひとつは影像的なもので頻繁に出てくるのは「影」や「水に映った影像」だ。棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』に集められた民族誌例でもそれは確認できる。ぼくは生命を原形があってその変形として捉える霊力思考と知覚を通じて仕組みをつくる霊魂思考に関連づけ、霊力思考から感覚された「呼気」に対して、それとは別の霊魂思考が「影」などの映像的なものを通じて「霊魂」が思考されたとき、「呼気」ももうひとつの霊魂とみなされるようなったと捉えた。そこから、霊魂は種族の進みゆきによってひとつに統合される場合もあれば、数を増やすこともある。トロブリアンドのバロアはひとつとして語られるものであり、霊力の高い人はたくさんの霊魂を持つということは琉球弧でも言われる。また、マルセル・モースがマオリ族について述べた贈与の霊であるハウも霊魂観から接近できるのは分かった。「影」などの霊魂の発生と同時に「ふたつの霊魂」がセットされる。デュルケムが言う「霊魂とは、一般に、各個人の内に化身したトーテム原理そのもの」(『宗教生活の原初形態』)ということの内実も、ここから解きほぐすことができると思えた。

 『珊瑚礁の思考』はここまでの理解になっている。

 琉球弧のハジチで最も重視されたのは左手首の尺骨頭部の紋様だ。そこは、島々で「アマン(ム)」と呼ばれる。アマンはヤドカリのことで、琉球弧ではトーテムの伝承を残す生き物だ。右手は不明だが、ハジチが「霊魂」の発生に根拠を持ち、霊魂は初期に「ふたつの霊魂」としてセットされる。それなら、ハジチの左右の尺骨頭部は見事に「ふたつの霊魂」の発生を示しているのではないか。「呼気」というプレ霊魂は、トーテム由来と見なせるから、それなら右手が霊魂としての霊魂ということになる。左手首の紋様はトーテムであり、右手首の紋様は霊魂だ。

 ところでうかつだったけれど、『与論町誌』を見ると、1969年に行われたハジチの調査事例のなかで、左手の尺骨頭部は「アマン」で右手は「パピル」と聞き取りされているのを知り、とても驚いた。与論語のパピルは、琉球弧ではハベル、ハベラ、ハーベールーなどと呼ばれる蝶・蛾のことだ。パピルは島々で霊魂や死者の化身として語られている。やはり、霊魂はパピルであり、ハジチの右手首の紋様も蝶・蛾であるという見通しが立つ。

 そしてここ数年は考古学調査報告書を読み漁ることになった。貝塚や遺跡がトーテムを表すのに気づいたからだ。「遺構」や「製品」と呼ばれるものはトーテムやそれに近しいものを示している。それなら、ここに「霊魂」発生の痕跡を見つけることができるのではないか。そしてそうその通り、植物トーテムとサンゴ礁トーテムの段階で、トーテムだけではなく、蝶や蛹や幼虫が描かれ、作られているのが分かった。誰でも分かるサンプルでいえば、「蝶形骨器」がある。ここでは、どうやら「あの世」は「霊魂」に先立つと仮説できることも確かめられた。 

 ハジチと蝶のつながりは、思い出せばこういう順番を辿って考えていったことになる。このことは、小冊子では触れることができないので、備忘を含めて記しておく。

 

『ハジチ 蝶人へのメタモルフォーゼ―Japonesian Ryukyu Tribal Tattoo』

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2020/04/11

『縄文時代にタトゥーはあったのか』

 本書の関心は多岐にわたるので、メンタワイのタトゥーをみれば、インドネシアの自然を覗きたくなり、北海道の「中空土偶」をみれば、縄文後期の北海道のトーテムを調べに潜行したくなったり、セントローレンス島では関節部を魂の場であるという記述にぶつかると、琉球弧のそれとおぼしき痕跡のことに頭が行ったりと、考え込みたくなる誘惑を何度も抑えるのだった。

 タイトルの「縄文時代にタトゥーはあったのか」という問いに向き合えば、琉球弧の方からは、「あった」と回答することになる。20世紀末までみられた「ハジチ」の紋様は、縄文時代まで辿ってはじめてその意味を浮かびあがらせるし、ハジチをした理由についても、ローカルなものではなく人類的な必然を感じさせるのだから。

 面白いことに、ハジチを継承た琉球弧では、土偶はつくられなかった。他方、土偶を盛んにつくった本州弧ではタトゥーは継続することはなかった。幻視するほかない本州弧のタトゥーだが、それでも土偶は有力な手がかりになるのではないだろうか。

 私見になるが、土偶は、「トーテム-人(トーテムの化身態としての人)像」だ。身体の一部が欠けていたり、強いデフォルメを受けていたりすることがあるのは、よりトーテム像に寄せて身体像を思い浮かべるからだ。そこで、縄文でも終わりに近づくほど、土偶も人らしさが出てくることになる。

 土偶の模様は、そのままタトゥーの紋様とは言い切れない。けれど、琉球弧のハジチとトーテムとの関係を参照すれば、タトゥーとして見ていい紋様は解いていけるのではないかと思える。

 もし、土偶のない琉球弧でハジチが途絶えていたら、その紋様を復原することはできただろうか。そう問うと、そのハードルは極めて高いと言わなければならない。けれど、ハジチがなくてもトーテムは分かる。そして、ハジチと類似する貝や石器の「製品」もある。何より、トーテムである動植物や自然物は分かる。そして民俗。それらの複合のなかから接近していけば、ある程度の復元の可能性はある。タトゥーはタトゥーとしてだけ存在しているのではなく、トーテムや自然と分かちがたくつながっているから、人身体像にも接近していけるということだ。

 本州弧には、途絶えたタトゥーの引き換えのように、土偶が残されている。土偶の示すトーテムとそこでの世界観が分かるということが、縄文のタトゥーの図像の復元への通路だと思う。北海道へ行けば、アイヌという手がかりもある。

 「タトゥーや文様を未来に開かれたものにしていきたい」という本書のモチーフはぼくも共有するから、いずれ琉球弧の方からの応答をしたいと思う。

 

ケロッピー前田『縄文時代にタトゥーはあったのか』

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2019/12/31

蝶の人

 風の小学校のいちばん奥の教室で、彼女はみんなが来るのを待っている。理科室だったかな、実験台に座ってね。

 お披露目したくてうずうずしているんだ。なにしろ、蝶の人になったのだから。カミになったと言ってもいい。その手は間違いなく、ハジチ(Japonesian Ryukyu tribal tattoo)をしているはずだよ。

 南の果ての美事なカタブイの空を背に、生命力あふれる花や木々を彼女は見ている。見ているというより、そのなかにいるんだ。

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 「やんばるアートフェスティバル」に展示されている仲程長治の「黄金陰翳 クガニインエイ」のすごさは、簡単には言えない。

 野生の精神史でいえば、これはイザイホーを終えた久高島の女性や、顔面付き釣り手形と呼ばれる土器の出土した、茅野の御殿場遺跡「第11,12号住居跡」と「同じ」だ。もっと言えば、人があの世へ行き、またこの世に戻ってくるという時の進みを、「蝶人になる」という心身の変容で思考したこころの位相を捉えている。

 と、そんな風に、ぼくには響いた。

 

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2019/12/30

年の瀬のリュウキュウウマノスズクサ

 渡久地さんに道々を案内していただきながら、リュウキュウウマノスズクサを探す本部道中。運がよければ開花を見られるころと当てにして。

 はじめ塩川に寄る。それとおぼしき蔓草があるが、確信が持てない。 Dscn5860

 川を渡すオオハマボウの立派なこと。

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気を取り直して、アドバイスのあった嘉津宇岳へ。

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 アドバイス通り、登山広場での脇でリュウキュウウマノスズクサが見つかる。ただし、花や蕾は見当たらない。

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 樹木を覗けば貝塚でもおなじみのキセルガイ。ただ、古我地原貝塚や北原貝塚、荻堂貝塚といった植物トーテムの貝塚で重要なツヤギセルではなさそう。

 気をよくして、地元の小学生たちの一行にまぎれながら、登山道を登ってみる。

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 緑きれいなアオミオカタニシ。備瀬貝塚や浜屋原貝塚で出ている。地元の貝なんだなあと感じ入る。

 ヒカゲヘゴ、クワズイモ、ボチョウジ、見事な植物はあまたあるのに、お目当てのものには出会えない。山頂は魅力的だが、それが目的ではないからと下ることに。もういちど登山広場の脇を丁寧にたどってみて、いくつかリュウキュウウマノスズクサを見つけるが、花はつけていない。下り道も渡久地さんはゆっくり進んでくれ、脇の植物をつぶさに見ていくが、蔓草も見当たらない。なかなか出会えないという事前情報は本当なのかもしれない。

 ただ、蔓草は出会えたのだから、それでよしとしよう。

 もうひとつその地に立って見たかったのはアンチの上貝塚だ。ご多分に漏れず、ここにしても埋め戻されているわけだから、なにがあるわけでもないのだが、アンチの上は、ヤドカリ・トーテムの貝塚で全面発掘されて充分なデータが揃っている点でとても貴重なのだ。

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 瀬底大橋のたもと付近。われらがアマムにもご挨拶。報告書にある通り、北風が強い。この風と海流の強さも肌で感じたかったことのひとつだった。

 熱帯生物圏研究センターに知人を訪ねるも不在だったので、島の東南沿いを辿る道すがらだった。ここへ来ても、目は道沿いの植物に向かっている。渡久地さんが、あれはそうじゃないかなとおっしゃる。

 リュウキュウウマノスズクサ。で、ついに蕾と花に遭遇。嬉しさあまって何枚も撮った。

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 小さな花と知っていたが、本当に小さい。大きな葉に隠れているので、注意していないと気づかないだろう。それでもこのいでたち。気づいたら、もう眼を離せない小さな太陽だ。

 よく「林縁」に生えているとあるが、見つけたのは海岸沿いの道でしかも海岸側の植生のなかにあった。12月27日。開花はこれからが多く見られるのだと思う。次はこれを植物トーテムとした奄美大島で見てみたい。渡久地さん、本当にありがとうございました。

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2019/12/24

貝読ひと段落

 ここ2年は、琉球弧の考古学資料を漁り、貝読に費やしてきた。遺物の貝はトーテムと人の足跡を語るから、その解読を行ってきたということだ。

 今年はその手応えをもとに、半年余りかけて「トーテムとメタモルフォーゼ」のおしゃべりを展開することになった。少数だけれど、聞きたい人に伝えるために、これまでの目安の確度を高めるべく追い詰めたわけだが、それがいい負荷になって、手応えを強めることができた。9月には水俣のみなさんに、水俣(九州西部)の縄文中期から後期にかけてのトーテムをお伝えすることもできたのも嬉しい。

 「トーテムとメタモルフォーゼ」のおしゃべりを終えたあと、師走に入って勢いで本土のトーテムを見てみると、同じ視点を使えば読み取れるのに改めて驚いている。本土のことも手がけるつもりはないけれど、ことは琉球弧に限らない、むしろ人類的だという確信は深まった。

 来年は、先史人に視線を同化したときに見えてくるものをお披露目するところへ向かう。見えてきたチャーミングな世界を分かち合えますように。

 

 

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2019/11/24

「トーテムとメタモルフォーゼ」第7回:ハジチ 霊魂のファッション

 「トーテムとメタモルフォーゼ」の第7回、最終回は「ハジチ(Japonesian Ryukyu Tribal Tattoo)」がテーマ(野生会議99「トーテムとメタモルフォーゼ」)。

 お披露目できるのは、まず、各島の紋様の意味をトーテムから明示すること。ハジチは植物トーテムの段階で発生しているから、それはトーテム植物と、その植物に密接にかかわる蝶を明らかにすることでもある。この探究の過程でもうひとつのことに気づいた。それは、各島のハジチ・デザインは位相を持つということだ。植物トーテムのどの段階でその島のハジチが発生したのか、そのデザインが語る。これは、ハジチのデザイン定着の位相と言っても同じだが、簡単には紋様を変えないとすれば、発生の記憶を宿していると見なしてもいい。

 そして、そこで発生した祭儀を仮説する。ハジチの発生は、霊魂の発生段階に起きるが、その前に、「あの世」が発生していた。「霊魂」を考え出した人々は、「この世」と分離した「あの世」とをつなぐことを重視したのだ。

 時間があれば、その先、霊魂の定着したサンゴ礁トーテムにも入っていきたい。そこで、ハジチだけではなく、人々が身に着けたものについても言及できる。

 取り上げるのは、考古学で「蝶形骨器」と「獣形貝製品」と呼ばれているものだ。「蝶形骨器」は「蝶」だということが明らかにされているが、当日は蝶の種類もお伝えする。「獣形貝製品」についても、同じことをしたい。

 ハジチの向こうにどんな自然や世界を見ていたのか。ハジチとともにどんな祭儀が生み出されたのか。ハジチ以外に、どんな装いをしたのか。ハジチは単独で存在していたのではないから、それらの世界の広がりのなかにハジチを浮かび上がらせることになる。      

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 最終回は総集編的でもあるが、これまでの回を聞いてなくても、充分に楽しめると思うので、お時間の許す方は、大岡山までおいでくださると嬉しい。

 

【場所】タンディガタンディ(東京都大田区北千束1-52-6-2F./ 大岡山駅から徒歩2分)

【日時】第7回:11月30日(土)15:00~(今回はいつもよりはやい15時スタートです)

【参加費】1000円、懇親会:1000円

 

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2019/10/14

「トーテムとメタモルフォーゼ」第6回:ヘビとトカゲと生の反復

 昔は死ななかったという話者に、ニコライ・ネフスキーは「どういう様子で当時若返ったものか」と尋ねる。話者はそれに、「蛇の様に皮を脱いだものだ」(『月と不死』)と答えるのだが、不死は、言う通りヘビ・トーテムの段階にまで遡る。

 次回の「トーテムとメタモルフォーゼ」は、ヘビ・トーテムから始める。トーテムも遡ればさかのぼるほどデータは減るので分からないことも多いが、やってみると意外と引き出せることがあるのに気づく。とくにシャコガイ以降、女性になったトーテムの性がどう考えられていたのか。それは予想通りではあるけれど、そのありようの対称性は美しくすらある。性のあり方について、目指すべきはヘビ段階とすら思えてくる。

 そのうえ今回は、このヘビ・トーテムがどこまで遡れるかを見ていくことになる。港川人や白保竿根田原遺跡など、旧石器と言われる時代の遺跡も扱う。

 これまでヘビがトカゲになるのはなぜなのか、よく分からなかった。心の底からとは言えないまでも、ある一定の理解はお伝えできそうだ。トカゲは、ヘビと同じく「死」を認識しない「不死」の段階にある。それなら、ヘビとの違いは何なのか。

 トカゲの後半には「卵」が重要になる。「卵」にはどういう視線が注がれていたのか。トカゲはなぜシャコガイ・トーテムへとメタモルフォーゼしなければならなかったのか。ここまで来て、ヘビからシャコガイまでの流れがひとつながりに見えてくる。それは「卵」の位相の変化と言ってもいい。

 10月26日16時、大岡山でやります。

 つながるゼミナール④ 「トーテムとメタモルフォーゼ(サンゴ礁の夢の時間)」喜山荘一
 第6回のご案内「ヘビとトカゲと生の反復」

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