2016/08/31

『アースダイバー』(中沢新一)

 遅ればせながら中沢新一の『アースダイバー』を読み、問題意識が重なっているのに驚いた。ただ、中沢はここで「岬」に注目して力点を置いている。ぼくはといえば、その前段階で遠隔化する前の他界を見つけたいと思っているところがずれてはいる。

 でも一箇所、遠隔化される以前の他界の場所にも気づくことができた。なんと円山町だ。

道玄坂の裏側の谷には、別のかたちをした死の領域への出入り口が、つくられてあった。うねうねと道玄坂を登っていくと、頂上近くに「荒木山」という小高い丘があらわれた。いまの円山町あたりである。この荒木山の背後は急な坂道になっていて、深い谷の底に続いていく。そこに「神泉」という泉がわいていた。

 おそらく「神泉」は境界部であり、荒木山は「あの世」だったのだ。この谷の全域はかつて火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が、多数住んでいたという。

 中沢の関心からいえば、

沖積地の台地が海に突き出していた岬で、たくさんの古墳がつくられ、古墳のあった場所には後にお寺などが建てられたり、広大な墓地ができたりしてる。

 そこから聞こえてくる「大地の歌」。

 時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊力性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。

 「岬」は、遠隔化された他界との境界部になる。このとき、場所によっては境界部は移動したのだと思う。

 首都のほぼ西北の方角にある代々木の御料地が、明治天皇の御霊を祀る国家的な神社の立てられるべき場所として選ばれた背景には、あきらかに、そこを東京と国家を護るべき、守護霊のおさまり場所にしようという、象徴的な思考が働いていた。

 「けっきょく、文明開化などによっても、深層で動いている日本人の思考は、すこしも変わらなかったわけである」。

 この明治神宮のポジションは、死者との共存や身近な「あの世」にも通じているのだろう。

 「東京タワーは、縄文時代以来の死霊の王国のあった、その場所に建てられたのである」。「東京タワーは死者の王国であるニライカナイにずぶずぶと足をつっこんで、そこから霞みたつ東京の空に向かうのだ」。

 つまり、東京タワーは、鉄塔の下を「御嶽」とし、てっぺんをニライカナイとした他界へとエレベーターを走らせている。

いまの芝公園のあたりには、こんもりとした丘が海面から立ち上がり、その丘の裏側は大きな入り江になっていて、奥深くまで海が入り込んでいるのである。
 その丘の上に、人々は死者を埋葬する場所をつくった。自分たちの食べた貝の殻をていねいに「埋葬」する貝塚も、その近くにはできていた。少し時代が経つと、同じ場所には古墳がつくられた。縄文の人たちが知らなかった、権力者というものが出現するようになったからである。

 この古墳は、海の彼方の他界への境界部をなしたのだと思う。

 備忘メモ。神官とも山伏ともつかない格好をした修行者を、優婆塞(うばそく)、角筈(つのはず)とも呼んだ。シャーマンの杖。

 

『アースダイバー』


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2016/08/30

境界神・杖・矛(飯田武郷)

 飯田武郷の言を丁寧に追ってみる。

 イザナギが桃の実を投げて雷神を退散させる。その時にイナザミに投げる杖が、岐神(フナトノカミ)でもとの名は、クナトノサヘノカミ。「これからこっちには、雷神も来られらないだろう」(「黄泉国、別伝(一書の七)」『日本書紀』)。

 千引きの岩を挟んで投げる杖は岐神。「ここから先に来てはいけない」。(「火神の誕生・黄泉国・禊ぎ・別伝(一書の四)」『日本書紀』)。

 この杖は、イザナギの取り持った「矛」でもある。上古はみな矛を杖について道をば行きしなり。

 イザナギが禊のときにまず投げた杖が、「禍のここに近づくなという意味」のツキタツフナドノカミ(『古事記』)。

 岐神も杖を御体として霊威を幸給う神。

 大国主が国譲りの際に天神の使者の神に、幅広い矛を献上する。私はこの矛を用いてことをなしたので、この矛を用いて納めれば必ずやことがうまく運ぶでしょう、と言う。(「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫(本文)」『日本書紀』)。

 また別の場面では、自分の代わりに仕える者として。道路の神である岐神(クナドノカミ)を推薦する。(「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫、別伝(一書の二)」『日本書紀』

誰しも別々の事に心得めれども、委しからざるなり。

 ここで、飯田の辿っているイメージの連鎖を整理してみる。


Photo_2


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2016/08/29

『出雲国風土記』の佐太大神

 『出雲国風土記』の佐太大神誕生の話し。

 加賀の神埼。ここに岩窟がある。高さ十丈ほど、周り五百二歩ほど。東と西と北に貫通している。いわゆる佐太大神の産まれた所だ。ちょうど産まれようとするときに、弓矢がなくなった。そのとき御母である神魂命(かむむすひのみこと)の御子の枳佐加比売命(きさかひめのみこと)が、祈願なさったことには、「わたしの御子が、麻須羅神の御子でいらっしゃるならば、なくなった弓矢よ出て来なさい」と祈願された。すると、角の弓矢が水のまにまに流れ出た。そのとき弓を手に取っておっしゃったことには、「これは、あの弓矢ではない」とおっしゃって投げ捨てられた。また金の弓矢が流れ出てきた。そこでそれを待ち受けてお取りになり、「暗い岩屋だこと」とおっしゃって、金の弓矢で岩壁を射通された。すなわち御母神、支佐加比売女(きさかひめのみこと)の社がここに鎮座していらっしゃる。今の人はこの岩窟あたりを通るときには、必ず大声を反響させて行く。もしこっそり行ったりすると、神が現われて突風がおこり、行く舟は必ず転覆してしまう。

 このくだりについて、谷川健一は書いている。

 この洞窟には母神であるキサガイ姫をまつったとあるから、これを母子信仰とみることはできるが、その夫のマスラ神を太陽神と考えると、キサガイ姫はそれに仕える日の妻であったことになる。とすれば加賀の潜戸は太陽の子が誕生する「太陽の洞窟」にほかならなかった。(「シャコ貝幻想」)

 キサガイ姫は「太陽の化身」である「赤貝」の神だ。夫であるマスラ神は、風を起こす蛇の神だ。「金の弓矢」はその化身の姿であり、産まれる佐太大神は、蛇と太陽の化身の赤貝の子である。太陽の子であるだけではなく、蛇と太陽の子なのだ。

 面白いのは、加賀の潜戸は、実際に太陽を通すことだ。

 加賀の潜戸をおとずれて、そこでわかったことは、洞窟が東西に向いているという事実であった。洞窟の西の入り口に舟を寄せてみると、穴の東の入り口がぽっかり開いている。そのさきに的島とよばれる小島が見える。その的島にも同じように東西に貫く洞窟があって、つまり、加賀の潜戸と的島の二つの洞窟は東西線上に一直線に並んで、もし的島の東から太陽光線が射し込むとすれば、その光線は的島の洞窟を貫き、さらに加賀の潜戸の洞窟もつらぬくということが分かった。
   二つの洞窟の方向は、真東ではなくやや北の方にずれている。 したがって、それは夏至の太陽がのぼる方向に向いている。 夏至の太陽は的島の東に姿を現し、的島の洞窟と加賀の潜戸を一直線に射しつらぬく。 そのときに、それは黄金の弓矢にたとえられたのであり、太陽の洞窟から、佐太の大神は生まれ出たのであった。と記している。 古代人にとっては、洞窟は母の胎内であり、洞窟の入り口は、門・鳥居ともいうべきもので、太陽の光がさすということは、日の御子誕生のための聖婚の行為であった。(谷川健一『出雲びとの風土感覚』)

 太陽は洞窟の穴を通って昇る。それは同時にキザカイ姫が金の弓矢で洞窟を射通すように、貝が口を開けることと同じだ。ここで、佐太大神の誕生は、太陽の誕生と重ねられていることになる。

 佐太神社では、竜蛇が神社の浜に波の間から姿を現わすと信じられてきた。また、この神社の神紋は扇だという。ここにも、蛇と貝の結合が見られる。


『出雲国風土記』


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2016/08/28

『島尾敏雄』(比嘉加津夫)

 ぼくにとって島尾敏雄といえば、夢見もの、戦記もの、『死の棘』、吉本隆明との交流、そしてヤポネシア、琉球弧だが、多岐にわたるもののつまみ食いのように読んできたことに思い至る。こんど、比嘉加津夫の『島尾敏雄』を読み、はじめてこの作家の生涯をたどることができた。

 読み終えて、島尾さんはよく闘い抜いたのだなという思いが寄せてくる。何にかといえば、自己の資質と言うしかない。

 そういうことなのかなと思えたのは、比嘉がこう書いているところだ。「島尾敏雄は意識が見る地獄と真正面から対峙していた」。

 だからといって島尾敏雄はそのこと自体を決して地獄だ、地獄だというふうには書かない。特に『魚雷艇学生』ではそうである。というより、むしろ逆の意識を持っている。この意識は一体どこから来ているのか。通読しておもうに、この意識は主人公が現実世界でおきていく事柄を正面からひき受けなければならないと純粋なまでにおもいこんでいるところからきているだろう。少年の意識そのものと言ってほどにも純粋にそうおもいこんでいる。

 もしかしたら島尾が生涯、堅持したのはこの資質だったのかもしれない。 

 奄美に果たした島尾さんの寄与は巨大なものだと思う。それはまだ充分、言葉になっていない。島尾さんがいなければ、この島々はいまよりも不可視の地帯だったのではないだろうか。「琉球弧」「ヤポネシア」の言葉も奄美から着想された。いまではあまり顧みられなくなっているかもしれないけれど、愛着を持つ所以だ。
 

『島尾敏雄』


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2016/08/27

「蒲葵の葉世」の段階

 吉野裕子は、蒲葵が進行されたのは「その幹が蛇や男根相似のためである」と解してた。蛇とシャコ貝の関係を見てきたぼくたちは、蒲葵を「蛇とシャコ貝」の複合とみることができる。

 沖縄では世のはじまりを蒲葵の葉世(クバヌハユー)という。衣服がなく男女ともクバの葉でつくった蓑を腰にまとっていた。近世まであった七襞袴(ナナヒジャカカン)は、襞の極めて多い朝の裳であるが、これはクバの腰巻の遺制という。今でも生児の名づけのとき、老女がこの袴を頭にのせて出る風習がある。住居にもクバが用いられ、イザイホウの祭りにも、女性がこもる仮屋はこれで茸くという。(柳田國男『海南小記』)

 蒲葵の葉で作った腰巻は、少なくともシャコ貝をトーテムとした時代まで遡れるのではないだろうか。言い換えれば、「蒲葵の葉世」は、蛇とシャコ貝の時代の謂いだ。そうすると、「蒲葵の葉世」は、「アマン世」より古いということになる。
 

『日本人の死生観―蛇信仰の視座から』


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2016/08/26

『日本書紀』の境界神

 『日本書紀』のフナトの神の記述について挙げてみる。

1.「黄泉国、別伝(一書の七)」

雷神はみな身を起して、そのあとを追いかけて来た。逃げる途中、道のほとりに大きな桃の樹があったので、イザナギノ尊はその樹蔭に身を隠し、桃の実を取っては雷神に投げつけたから、雷神はこれを避けて逃げた。これが、桃によって鬼を避けることのもとである。その時、イザナギノ尊はその杖を投げて、
「これからこっちには、雷神も来られないだろう。」
 こう言った。これを岐神(フナトノカミ)と言う。これは、もとの名を、久名戸祖神(フナトノサヘノカミ)と言う。

 元の名は、フナトノサエノ神で、「境界」と「遮断」が二重化されている。


2.「「黄泉国・禊ぎ、別伝(一書の四)」

「いとしい我が妻よ、そういうことを言うのなら、私は一日千五百人ずつ生ませよう。」
 こう言った。
 そこでまた言うには、
「ここから先に来てはいけない。」
 こう言って、手にした杖を投げた。これを岐神(フナトノカミ)と言う。(中略)また、その褌(はかま)を投げた。これを開齧神(アキグヒノカミ)と言う。

 ここでも「境界」。また、下着を投げて生まれる「開齧神」も、同じ意味を持つと思えるが、ここには「攻撃」の要素も加わる。


3.「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫(本文)、別伝(一書の一)」

 そこでいよいよ、下界に降るという時になって、先払いの役をつとめた神が戻って来て言うには、
「天上の道が八衢に分れたところに、一人の神がおります。その鼻の長さは指七本分、背の高さは七尺あまり、口の切れ目が照り輝き、その眼は八咫鏡(やたのかがみ)ほどにも大きく、赤々と光るのがまるで赤い酸漿(ほおずき)のようでございます。」
 こう述べた。
 そこでお供の神をやって、何者なのかを尋ねさせた。ところがこの神の眼光が恐ろしくて、八十万に及ぶ多勢の神々の誰もが、あえて尋ねることができなかった。そこで、特にアメノウズメに命令して言うには、
「お前は物怖じせぬ神であるから、お前が行って訊いてみよ。」
 こう命じた。
 そこでアメノウズメは、その胸乳を露に見せ、裳の紐を臍の下まで押し下げ、嘲笑いながら向かい合って立った。
 これに対して、衢にいた神が尋ねるには、
「アメノウズメよ、どうして私に向かってそんな恰好をするのです?」
 こう訊いたので、答えて、
「アマテラス大神の御子が、これからお出かけになるという道の途中に、こうして立ちはだかっているのは何者なのです? 言いなさい。」
 こう言った。
 衢にいた神がそれに答えるには、
「アマテラス大神の御子が、ただ今からお出かけになると聞きましたので、ここまでお迎えに参上してお待ちしているところです。私は猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)です。」
 そこでアメノウズメがまた尋ねて、
「お前が私よりも先に行きますか、それともお前よりも先に行きましょうか?」
 こう訊いたところ、答えて、
「私が先に立って、道案内をつとめましょう。
 こう言った。

 サルタヒコは名が明かされるまでは、「衢の神」で「境界」の意味を担う。名を明かした後は、「案内」の機能を発揮している。「岐(フナト)」と「祖(サヘ)」と「衢(チマタ)」。

 吉田敦彦はこう書いている。

道にたちはだかって通すまいとしてする、つまり天孫の降臨を妨害する者として出現しているように見えるわけですが、アメノウズメのしぐさがあって猿田彦が口を開いて、それまで邪魔しようとしていた猿田彦がそこから道案内役になった、ということではないんです。猿田彦はすでに岐神として天からの使者の案内をつとめた神ですから、天孫の支配に服する準備ができあがった。そのために、自分が大きな貢献をした国土にいよいよ天孫をお迎えするとき、まっ先に道案内をしようとして顕われた。こういうことではないかと思います。(「謎の、サルタヒコ」)

 吉田は、サルタヒコの本体を「杖」と考えているので、こうした文脈になる。しかし、アメノウズメが「その胸乳を露に見せ、裳の紐を臍の下まで押し下げ」たところで、サルタヒコはアメノウズメの本体を悟り、「案内」に転じたという理解もできるし、その方が妥当に思える。


4.「高天原の使たち・国譲り・高千穂峯・鹿葦津姫(本文)」

その上、かつて国を平定した時に突いていた幅広い矛を、二柱の神に与えて言うには、 「私はこの矛を用いて、ついに事を為しました。天孫も、この矛を用いて国をお治めになれば、必ずや事がうまく運びますでしょう。今は私は、百に足らぬ八十の、曲りくねった道を訪ねて、黄泉国に身を隠すことにいたしましょう。

 大国主の「矛」献上。「突いていた幅広い矛」という箇所から、「杖」と「矛」の同一性がうかがえる。

 そこで、国生みの記述につながる。

5.、「二神の婚姻・国生み、別伝(一書の一)」

ここに二柱はの神は、天上の浮橋に立って、戈(ほこ)を下してその地を求めた。そして蒼海原を掻き回して、その戈を引き上げたところ、戈の先からしたたり落ちた潮が、固まって島となった。これに名づけておのころ島という。

 この「矛」も同一だと見なせるなら、それは淡路島の島人の思考を暗示してはいないだろうか。


『現代語訳 日本書紀』

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2016/08/25

『祝祭性と狂気』(渡辺哲夫)

 精神病理学者としての真摯な自問自答に対して、こちらに引き寄せた読み取りをするのは気が引けるが、自分たちのこととして切実なので許してもらうことにする。

 とても関心を引くのはカンカカリャの根間ツルのカンダーリの過程だ。彼女は、カンダーリのなかで、骨も内蔵もぜんぶ入れ替えられてしまう。

「どうして、こんなことをしているのか」と聞くと、神さまが、
「あんたは生身な人間だから、あんたが今後、神様が出たり入ったり出来るように、神の使いが出来るように、あんたを創り替えている」と言う。

 この過程は、シベリアのシャーマンやオーストラリアの呪医が、「候補者は半神的存在または祖先による手術が施され、内臓と骨とは別物にとりかえられる」(エリアーデ『シャーマニズム』)のとそっくりである。おそらく位相として同じことを指しているのだ。

 ぼくの考えでは、これは霊魂が発生する前、万物が流動的なエネルギーともいうべき「霊力」で満たされていると考えられたところで生まれた思考だ。そこでは、病気は「呪物」が身体に入ることと見なされるので、シャーマンはマッサージを行ない、呪物を取り除くのが治療行為になる。そこではシャーマンになるとは、むしろ呪物で身体を満たすことで霊力の技術者になるから、成巫の過程では、肉と骨を入れ替える身体改造が行なわれることになるのだ。

 宮古島のカンカカリャのカンダーリは、その段階の記憶を保存していることになる。面白いのは、この身体改造がスデルと結びつけられていることだ。

 生まれ変わる。巣出変わる、というのはこれだよ。あんたは、こうして生きていて、一人の人間に生まれ変わるんだよ。

 これはつまり、カンカカリャのカンダーリの過程で言われるスデルが、「霊魂」発生前の「霊力」の時代の「不死」の段階に届くことを示唆するものだ。

 このことは渡辺にも的確に捉えられている。

「巣出変わり」は単なる「再生」ではない。まさしく「蛇」の脱皮にみられるように、「スディ変わり」はより大きく、より強力になること、そしてより高い能力を身につけることなのである。
 問題はやはりカンカカリャと「蛇」の関係なのだ。「不死」と直覚される何かなのである。「この世とあの世の通り道」としか表現できない、「この世とあの世の境目に腰を据えて生きてゆく」とでも言うしかない何かが物語られている。
 解かるように、「巣出変わる」能力を身につけたカンカカリャは人間よりも蛇に近い存在なのである。誤解はされまいが、これは現代人の日常感覚次元ではなく生命論的次元で言いうることである。

 「カンカカリャは人間よりも蛇に近い存在」という直観は的を射ていると思える。これは島人が蛇をトーテムとしたこと、あるいは蛇の精霊の化身態として人間を理解していた思考の段階に届くものだ。しかも、蛇と貝の精霊の子ではなく、蛇単体として想起されていることがもともとの思考の古さを物語っている。

 これは漲水御嶽の由来譚にも示されている。本土の三輪山伝説に似た琉球弧の浜下りの由来譚の「人蛇婚説話」では、女を身ごもらせる蛇は死に、女は浜辺で蛇の子を流産する。それが蛇に象徴されるトーテミズムとの決別であり、決別の証として以来、女性は浜辺で身を清めることになった。

 しかし、漲水では「大蛇は光を放って昇天、三人の子は御嶽に入って宮古の守護神になった」と、蛇は死に絶えるわけではない。むしろ、昇天しあるいは蛇の子が高神(御嶽の神)となってすらいて、高神の由来がある意味では、蛇の精霊の化身態であることがよく保存されている。ヨーゼフ・クライナーが聞き取りしたように、ふつう高神はその表象性を消していくのだが、漲水では、宮古では、精霊の面影を残すほうへ思考は動いたのだ。

 それは現代の詩人によっても、「ティンヌパウよ!太陽加那志神様のまなざしにいだかれて、浮きあがり、美しく照り映える七色のわが神体、巫民誰ひとりにもその本体を知られぬまま(伊良波盛男)」と書かれるように、ひとり神女だけに残されたものではない。

 著者が宮古島に惹かれているように言えば、ぼくたちはここで宮古島の特異さに触れている。しかし特異ということは異質ということではない。琉球弧では、神女たちが「世乞い」や「世果報」という言葉で生死が未分だった「世」を引き寄せる努力を続けてきたが、それでも精霊としての蛇とのかかわりは消去されていることが多いのに、その面影を残しているところに宮古島の霊力思考の強度が現われている。この個性は宮古島ならではのものかもしれない。

 付け加えれば、「竜神、蛇神、「ティンヌパウ」、すなわち祖霊神と「まじわる」、「スディ水」と化した女たち」と、しばしば神女と神とのまじわりということも特徴として挙げられる。しかし、これは神が出現し、神女が神を対幻想の対象とすることで生まれる思考、つまり精霊との決別ののちに生まれたものであり、段階としては新しい。


『祝祭性と狂気―故郷なき郷愁のゆくえ』


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2016/08/24

琉球弧への時間距離 2

 主島からも空路で行ける。航空機のみでたどり着ける島。

■主島からの航空圏

 島名   
-------------------------
・喜界島(奄) 奄美航空圏
・徳之島(奄) 奄美航空圏
・沖永良部島(奄) 奄美航空圏
・粟国島(沖) 那覇航空圏
・久米島(沖) 那覇航空圏
・与論島(奄) 那覇航空圏
・与那国島(八) 那覇航空圏
・多良間島 (宮) 宮古航空圏
・波照間島 (八) 石垣航空圏

 次は、主島から橋でつながっている島。行きやすいけれど、本来的には離島ではなくなった島。宮古島はほぼ一個につながってしまっている。

■陸路で行ける島

島名      計 α 所属
-----------------------------
1.来間島   195 (宮)
2.伊良部島  195 (宮)
3.奥武島   210 (沖)
4.池間島   210 (宮)
5.下地島   210 (宮)
6.奥武島   230 (沖)
7.慶留間島  235 (沖)
8.平安座島  241 (沖)
9.浜比嘉島  244 (沖)
10.伊計島   257 (沖)
11.宮城島   257 (沖)
12.瀬底島   262 (沖)
13.屋我地島  265 (沖)
14.宮城島   266 (沖)
15.古宇利島  277 (沖)
16.野甫島    361 (沖)

 鹿児島あるいは主島から航路で1時間以上の島。いわゆる離れ島らしい島。

■航路1時間以上の島

島名      計 α 所属
-----------------------------
1.野甫島    361 (沖)
2.渡名喜島  290 (沖)
3.伊平屋島  345 (沖)
4.与路島   357 (奄)
5.口之島   535 (ト)
6.中之島   590 (ト)
7.諏訪之瀬島 655 (ト)
8.平島     710 (ト)
9.悪石島   770 (ト)
10.小宝島   850 (ト)
11.宝島    890 (ト)

 陸路が1時間以上かかる島。飛行機のあとにはるばる道をたどる島。

■陸路が1時間以上かかる島
島名      計 α 所属
-----------------------------
1.野甫島    361 (沖)
2.伊平屋島  345 (沖)
3.与路島   357 (奄)
4.平安座島  241 (沖)
5.浜比嘉島  244 (沖)
6.伊計島   257 (沖)
7.宮城島   257 (沖)
8.津堅島   259 (沖)
9.加計呂麻島 277 (奄)
10.請島    297 (奄)
11.伊是名島  320 (沖)

 離島らしさが残っているのは、こういう島たちかもしれない。

■橋がかかっておらず、航路か陸路で1時間以上かかる島
------------------------------------------------
1.伊平屋島  345 (沖)
2.与路島   357 (奄)
3.津堅島   259 (沖)
4.加計呂麻島 277 (奄)
5.請島    297 (奄)
6.伊是名島  320 (沖)
7.渡名喜島  290 (沖)
8.口之島   535 (ト)
9.中之島   590 (ト)
10.諏訪之瀬島 655 (ト)
11.平島    710 (ト)
12.悪石島   770 (ト)
13.小宝島   850 (ト)
14.宝島    890 (ト)

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2016/08/23

琉球弧への時間距離 1

 試みに琉球弧の各島への東京からの時間距離を測ってみた。空路がある場合、航路でも高速フェリーがある場合はそれを優先し、最速経路を優先している。ただし、待ち時間は含んでいないので、実際には直接着ける主島以外は、これ以上かかる。また、島によっては定期便がなくさらにかかる場合は(+α)で示している。

 これをみると、奄美、沖縄、宮古、石垣については、どちらが遠いということが言えないくらい時間距離は変わらなくなっている。かつての琉球弧らしく「遠い」のはトカラだけだ。待ち時間は考慮していないが、多良間島も心理的には近い島なのだ。

島名      計 α 所属
-------------------------------
1.奄美大島  155 (奄)
2.沖縄本島  170 (沖)
3.宮古島   170 (宮)
4.石垣島   175 (八)
5.喜界島   183 (奄)
6.徳之島   190 (奄)
7.多良間島  190 (宮)
8.水納島   190 +α (宮)
9.沖永良部島 195 (奄)
10.来間島   195 (宮)
11.伊良部島  195 (宮)
12.粟国島   200 (沖)
13.久米島   200 (沖)
14.波照間島  200 (八)
15.由布島   205 (八)
16.内離島   205 +α (八)
17.与論島   210 (奄)
18.奥武島   210 (沖)
19.大神島   210 (宮)
20.池間島   210 (宮)
21.下地島   210 (宮)
22.竹富島   215 (八)
23.渡嘉敷島  220 (沖)
24.前島    220 +α (沖)
25.奥武島   230 (沖)
26.小浜島   230 (八)
27.黒島    230 (八)
28.嘉弥真島 230 +α (八)
29.座間味島  235 (沖)
30.阿嘉島   235 (沖)
31.慶留間島  235 (沖)
32.新城上地島 235 +α (八)
33.新城下地島 235 +α (八)
34.久高島   240 (沖)
35.西表島   240 (八)
36.平安座島  241 (沖)
37.浜比嘉島  244 (沖)
38.鳩間島   245 (八)
39.オーハ島  250 (沖)
40.伊計島   257 (沖)
41.宮城島   257 (沖)
42.津堅島   259 (沖)
43.瀬底島   262 (沖)
44.屋我地島  265 (沖)
45.与那国島  265 (八)
46.宮城島   266 (沖)
47.加計呂麻島 277 (奄)
48.古宇利島  277 (沖)
49.水納島   277 (沖)
50.渡名喜島  290 (沖)
51.伊江島   292 (沖)
52.請島    297 (奄)
53.伊是名島  320 (沖)
54.伊平屋島  345 (沖)
55.与路島   357 (奄)
56.野甫島    361 (沖)
57.口之島   535 (ト)
58.中之島   590 (ト)
59.諏訪之瀬島 655 (ト)
60.平島    710 (ト)
61.悪石島   770 (ト)
62.小宝島   850 (ト)
63.宝島    890 (ト)


 これを時間圏別の整理してみる。このとき、那覇空港や奄美空港などから空路で乗り継ぎできる島を那覇航空圏、奄美航空圏のように表現している。

 「3時間+α」圏は、主島から空路がある、橋でつながっている、近いという条件の島が多い。多良間島が上位にくるのも、宮古島からの空路のおかげだ。

 「4時間+α」圏は、橋でつながっている島も多いものの、主島の空港からの陸路に時間がかかる島が多い。伊計島はその典型だし、航路も使う加計呂麻島もこの圏に入る。

 「5時間超」圏は、空路のあとに航路が1時間以上かかる島が多い。トカラはすべてここに入る。また、加計呂麻島の離島になる請島、与路島と伊平屋島、伊是名島は遠い島なのだとわかる。伊平屋島、伊是名島は、与論島から見える島なので意外な印象だ。


島名      計 α 所属 航空圏
------------------------------------------
1.奄美大島  155 (奄)
2.沖縄本島  170 (沖)
3.宮古島   170 (宮) 那覇航空圏
4.石垣島   175 (八) 那覇航空圏

■3時間+α圏
5.喜界島   183 (奄) 奄美航空圏
6.徳之島   190 (奄) 奄美航空圏
7.多良間島  190 (宮) 宮古航空圏
8.水納島   190 +α (宮)
9.沖永良部島 195 (奄) 奄美航空圏
10.来間島   195 (宮)
11.伊良部島  195 (宮)
12.粟国島   200 (沖) 那覇航空圏
13.久米島   200 (沖) 那覇航空圏
14.波照間島  200 (八) 石垣航空圏
15.由布島   205 (八)
16.内離島   205 +α (八)
17.与論島   210 (奄) 那覇航空圏
18.奥武島   210 (沖)
19.大神島   210 (宮)
20.池間島   210 (宮)
21.下地島   210 (宮)
22.竹富島   215 (八)
23.渡嘉敷島  220 (沖)
24.前島    220 +α (沖)
25.奥武島   230 (沖)
26.小浜島   230 (八)
27.黒島    230 (八)
28.嘉弥真島 230 +α (八)
29.座間味島  235 (沖)
30.阿嘉島   235 (沖)
31.慶留間島  235 (沖)
32.新城上地島 235 +α (八)
33.新城下地島 235 +α (八)

■4時間+α圏
34.久高島   240 (沖)
35.西表島   240 (八)
36.平安座島  241 (沖)
37.浜比嘉島  244 (沖)
38.鳩間島   245 (八)
39.オーハ島  250 (沖)
40.伊計島   257 (沖)
41.宮城島   257 (沖)
42.津堅島   259 (沖)
43.瀬底島   262 (沖)
44.屋我地島  265 (沖)
45.与那国島  265 (八) 那覇航空圏
46.宮城島   266 (沖)
47.加計呂麻島 277 (奄)
48.古宇利島  277 (沖)
49.水納島   277 (沖)
50.渡名喜島  290 (沖)
51.伊江島   292 (沖)

■5時間超圏
52.請島    297 (奄)
53.伊是名島  320 (沖)
54.伊平屋島  345 (沖)
55.与路島   357 (奄)
56.野甫島    361 (沖)
57.口之島   535 (ト)
58.中之島   590 (ト)
59.諏訪之瀬島 655 (ト)
60.平島    710 (ト)
61.悪石島   770 (ト)
62.小宝島   850 (ト)
63.宝島    890 (ト)

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2016/08/22

『縄文聖地巡礼』(坂本龍一、中沢新一)

 和歌山県の神島には、「田辺の龍神山から龍神が渡ってくると信じられている」。

 島名からしてそのものだが、神が寄るとされていることにも、縄文のあの世の島だったことを明かしている。

 敦賀半島の最北端にある「あいの神の森」もそうだ。「田の神とも漁の神とも言われている」。

この現実世界のなかに小さな穴が無数に開いていて、他界と通じていて、生きている人間は、向こうへ行ったり戻ってきたりを繰り返している。そういう世界だと、死者を村のなかに葬ることをします。ところが縄文後期になると、(中略)死者の世界を村の外へ出して分離しはじめてる。そうすると、不均質だった生者の世界は均質空間になり、死者の世界も観念的になって記号化されていく(中沢新一)。

 琉球弧の場合、生と死の移行と分離の段階での葬地の位置の変化は見いだしにくい。そこは、徐々に遠ざかるイメージとして思い浮かべればいいだろうか。

 その時代に土製仮面が出てきます。仮面の機能を考えると、生きている人間が仮面をつけて顔を隠すことで、他界の存在になるわけですね。そして仮面をつけた存在が他界から出現してくるというお祭りをする。現世と他界を分離しておいて、そのあいだをつなぐ存在があることを表現するようになっていく(中沢新一)。

 仮面の登場を、ぼくたちは霊魂の成立と捉えていて、生と死の分離とに段階の差を設けて考えている。しかし、環状列石が複数の集落を等号する「御嶽」の機能を持つとしたら、環状列石は生と死の分離の象徴として捉えてよいのかもしれない。
 

『縄文聖地巡礼』


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2016/08/21

『日本書紀通釈』(巻之五p.231~p.236、飯田武郷)

 飯田武郷が、1899(明治32)年に仕上げた『日本書紀通釈』での「杖」と「矛」の記述を追ってみる。

 『日本書紀』で、桃の木を見つけてその実を投げて雷たちをおいやる。そこで、杖を投げ捨てて、「ここからは雷は来れない」といい、これを「岐神(フナトノカミ)」と言う。
 また、千引の岩を介した「コトドワタシの後で、イザナギが杖を投げて「ここから先へは来てはいけない」というのは、千引の岩が坂道を塞いだのと同じことを言っている。

 さらにイザナギは禊の際に、

そこでまず手にした杖を投げ捨てたが、この杖から生まれた神の名は、禍のここに近づくなという意味の衝立船戸神(ツキタツフナドノカミ)。

 これも同じである。

 で、桃の木のところで飯田は、この杖はイザナギが取り持っていた矛であると指摘している。「上古は矛を杖に衝きて道をば行きしなり」と。岐神は杖を御体として霊威を発揮する神である。

 大国主が「広矛」を献上している。この矛をついて国を平定したから、これを使えば必ずうまくいくだろう、と。また大国主(オホアムナチノ神)が、国譲りの際、「道路の神である岐神(クナドノカミ)を自分の代わりに仕える者として勧める。そこでクナドの神は、フツヌシノ神、タカミムスビノ神の案内をして各地を巡り歩き、命令に従わない者は殺し、帰順する者には褒美をやってj平定した。

 飯田はここで、これらは「誰しも別々のことに心得るだろうけれど、そうではない」という内容のことを書いている。

 吉田敦彦は「世界の神話とサルタヒコ」のなかで、

 そうすると、本体がもともと杖であるフナトの神と、この矛とは-矛もオホクニヌシが杖のようについたというのですから、実は同じものではないか。こういうことを『日本書紀通釈』という非常に権威のある『日本書紀』の注釈書を書きました飯田武郷という人なども言っているわけです。

 と書いているが、吉田の立論自体は、まるまる飯田の論旨を追っていることが分かる。詳細な推論をしているのは、吉田ではなく飯田の方なのだ。

 衢の神、塞(サヘ)ノ神。フナトの神というのは、「物を衝きたてて、ここから先には来るなという意味で、それに「岐」の字を当てているのは、岐路にあって守る意味から来ている。この神が嚮導するのは深い理由があることも飯田は説明している。

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2016/08/20

「世界の神話とサルタヒコ」(吉田敦彦) 2

 吉田敦彦の「世界の神話とサルタヒコ」。

 イザナギが、雷たちを退散させた後、杖を投げつけて、「ここから先へは来れない」として、「これを岐神(フナトノカミ)と言う」(『日本書紀』神代第五段第九番目の一書)。また、イザナギは大きな岩で黄泉平坂を塞いだあと、イザナミに「ここから先へ来てはいけない」と言って投げた杖も「岐神(フナトノカミ)と言う」としている。

 『古事記』では、黄泉国から帰ったイザナギが禊をする際、持ち物を次々に投げ捨てるが、最初になげたのが杖で、それは「衝立船戸神(フキタツフナトノカミ)」と言う。

 そのフナトの神は、『日本書紀』では、大国主が国譲りの際、「これが私に代わって従う」と言って差し出されている。高天原の使者の神が葦原の中つ国を平定して回る、その道案内をしたとされている。

 ところで、大国主は国譲りの際、広矛を献上する。これは国を平定していったときに杖(つ)いた広矛だったと言う。「わたしはこの矛で功をなしてきた。天孫も、この矛を使って国を治めれば、必ず無事に進むでしょう」と言って献上したと言われる。だから、「杖」と「矛」とは同じものではないか。

 ですから、この矛は、明らかにイザナキとイザナミが高天原から下界に降りてくるに当たって、まず下界に降ろされることで二神のために先導者の役をしているわけです。それからまた、この矛でもって海をかき混ぜて、そこにオノゴロ島を作ったという行為は、しばしば性行為とアナロジカルではないかという解釈が、いろいろな人によってされてきているわけで、つまり、この矛は、巨大な陽根を表すいみも持っていたと考えられるわけです。そして、オホクニヌシが国作りに使った巨大な矛の広矛も、私は、実は同じ意味を持っていたのではないかと思います。

 ここでぼくたちが付け加えられるのは、オノゴロ島を作った矛は、男性器だけではなく、女性器も表わしていたということだ。

 吉田は、サヘの神の本体が「杖」としているが、蛇と太陽の子の零落した姿が、「神の使い」としてのサヘの神であり、それが「人間の使い」になったときに「杖」と化すのだと思う。
 

『隠された神 サルタヒコ』

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2016/08/19

ムナカタ族の三人の女神

 「アヅミの神道」(中沢新一)から。

 アヅミは、多くの南方系海洋民と同じように、「3」という神聖な数字をもとに、世界を分類し、思考している。(中略)
 ムナカタ族の場合、海神は三人の女神(宗像三女神)となってあらわれ、海上はるか彼方の沖津宮、中ほどの中津宮、海岸部の辺津宮が、それぞれの御在所とされている。よくよく海人は三元論が好きである。

 ぼくたちは、「海上はるか彼方の沖津宮」を遠隔化された他界、「中ほどの中津宮」をかつての他界、「海岸部の辺津宮」を境界部と捉えてきた。ここから言えば、三元論の発生は、他界の発生に淵源させることができる。「この世」と「あの世」とその境界部だ。

 また、この三点は、支配するときのポイントとされたことも分かる。

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2016/08/18

『古事記』のサルタヒコ

 『古事記』のサルタヒコのくだり。

 そこでヒコホノニニギノ命が下界に降り立とうとする時に、彼方の、天上の道が八衢に分かれているところにあって、上のほうは高天原を照らし、下の方は葦原中国を照らしている神があった。そこでアマテラス大御神、タカギノ神の言葉として、アメノウズメ命に言うには、
「お前はかよわい女ではあるが、お前に向かう者に対しては、微塵も恐れぬだけの勇気を持つ神だ。そこでお前は一人して訪ねてゆき、我が御子の天降るべき道を、何者が塞いでいるのか、尋ねてみよ。」
 このように命じた。

 そこでアメノウズメノ命が行って尋ねると、答えるには、
「私は国神で、名前は猿田毘古神(サルタビコノカミ)と申します。ここに出ているのは他意はございません。天神の御子が、これより下界にお降りになると聞きましたので、道案内をつとめましょうとこう存じて、お迎えに参じたところでございます。」
 このように言った。

 (中略)そこで、アメノウズメノ命に言うには、
「この道案内の役をつとめたサルタビコノ大神は、お前がその何者なのかを明らかにして連れてきた神であるから、お前がその本国の伊勢の国へ送りとどけてやらなければならない。またその神の名はお前の家に伝えて、お前が代わって仕え祭ることにしない。」
 こう命じた。

 そこでサルタビコノ神の名を、ウズメノ命が名乗ったのが起こりとなって、猿女の君などが男神の名を嗣ぐようになった。女を猿女君と呼ぶことのもとは、これである。
 このサルタビコノ神が、のちに阿坂である阿邪訶にいた時に、たまたま魚を捕っていて、比良夫貝にその手を挟まれて、海に溺れた。彼が溺れて水の底に沈んだ時の名を、底に届く意味の底度久御魂(ソコドクミタマ)と言い、水の底から泡がぶくぶくと立ちのぼった時の名を、都夫多都御魂(ツブタツミタマ)と言い、泡のぱっと割れた時の名を、阿和佐久御魂(アワサクミタマ)と言う。

 一方、アメノウズメノ命は、サルタビコノ神を伊勢の国に送って着くと、海に住む魚という魚を、鰭の広いのも鰭の狭いのもすっかり集めて、こう尋ねた。
「お前たちは、天神の御子にお仕えしますか?」
 その時、魚どもはいっせいに答えた。
「みなみな、お仕えいたしましょう。」
 ところが海鼠だけは、返事をしなかった。そこでアメノウズメノ命が海鼠に言うには、
「この口は、答のできない口なんですか?」
 こう言って、紐のついた小刀でその口を割いてしまった。それゆえ、今でも海鼠の口は割けている。
 このように、ウズメノ命が魚どもに誓わせたことがあるので、代々、のちの志摩である島の国から、海でとれた初物を朝廷に献上する時に、その初物を、子孫の猿女の君などに下されるのである。

 サルタヒコは、「境界」と「道案内」の機能を発揮する。また、貝に挟まれるのは母体に帰るようにも見える。アメノウズメがサルタヒコが「何者なのかを明らかに」したのは、出会いの瞬間、同族であることを分かりあったということではないだろうか。

 「志摩である島の国から、海でとれた初物を朝廷に献上する」のは、その場所がサルタ族の「あの世」だったことを示すように見える。


『現代語訳 古事記』

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2016/08/17

『ウズメとサルタヒコの神話学』(鎌田東二)

 著者の鎌田東二の意図と違うが、縄文の心として復元してみたいものを挙げてみる。

Photo_4

 かつての「あの世」とその境界部がはっきり分かるのは、伊勢の興玉神社だ。猿田彦大神が降臨する場所として「神石」がかつての「あの世」であることを示している。また、これは伊勢志摩に存在するかつての「あの世」の多数のなかのひとつだ。

 加賀の潜戸の「的島」が候補として挙げられる。的島に対する信仰を調べてみることになる。

 「青島」は神社があることや地勢からしてかつての「あの世」だろう。発掘しなければならないのは、対岸にあるだろう境界部だ。

 

鎌田東二 『ウズメとサルタヒコの神話学』


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