2018/11/03

シヌグ堂遺跡の位相

 宮城島のシヌグ堂遺跡は、海辺の岩礁をトレースしている。トーテムの化身態である。

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 「礫床住居跡」とされているのは、スデル場のオカガニ表現だ。

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 55号と56号は、起点になるカニ表現。腹部と鋏である。

 この腹部と鋏は、をなり、えけり、ではなく、兄弟姉妹婚の禁止以降の半族の構成を示している。しかし、それぞれは出自を異にしているわけではなさそうだ。

 出自の違い、あるいは「をなり神」は、チョウセンサザとヤコウガイの対比で示されている。特にその蓋である。そしてヤコウガイの蓋はチョウセンサザエの蓋の一割に満たない。

 異なる人々を迎えれ、半族を形成する。それが初期母系社会の構成ではないだろうか。


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2018/10/30

安良川(アラゴー)遺跡の遺構 2

 安良川(アラゴー)遺跡の「ウニ集中部」は、宿貝のスデル場だ。そこには、女性9人、男性2人の貝が置かれている。たった97個の貝でも雄弁だ。

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 集団は、コシダカサザエをなりグループとシロインコをなりグループに分かれる。構造はおそらくアンチの上貝塚と同じだ。

 一体のシラナミは宿貝だ。一体のオニヒザラと多数のウニの棘も同じ意味を持つとみなしておく。

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 面白いことに、ムラサキオカヤドカリの段階でも、カニは忘れられていない。ヤドカリ段階は、カニを包含している。「胞衣」は奄美では、ヤドカリで思考されているのは分かっているから、カニ、ヤドカリどちらで考えられているかは保留する。 

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 貝類から推測する時間は、3世代から4世代になる。

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2018/10/29

下田原貝塚の位相

  下田原貝塚は全面の発掘ではないので、情報は限られる。

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(『下田原貝塚・大泊浜貝塚』)

 垣間見えるところから、思考を推理してみる。

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 第1地区に伸びる溝(計測された範囲で36m)は、キシノウエトカゲ・トーテムの胴部だ。その先にある貝塚は、頭部ではないだろうか。

 その下方、第2地区の炉跡は卵である。

 こうしてみたとき、下田原貝塚でも人数をシミュレーションすることができる。

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 ただし、ぼくたちの想定では、この段階で死はまだ発見されていないので、「還る」は、トーテム自身に戻る(あるいは、トーテムセンターに還る)ものと考えられていた、ということになる。

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2018/10/28

安良川(アラゴー)遺跡の遺構

 奄美大島笠利半島の安良川遺跡は、ムラサキオカヤドカリ段階にある。

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(『安良川遺跡』)

 この遺構のスデル場であるムラサキオカヤドカリ・トーテムを描いてみる。

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 土器や貝の分布が示すように、上図①~③は、空白になっているから、スデル場の一部であると考えられる。

 右上端の「ウニ土坑」は宿貝を示している。おそらく③を含めてだ。
 そこでは、32人の女性と2人の男性が貝とおびただしいウニの棘で表現されている。

 ②と「ミミガイ土坑」は腹部を示す。北端のピットは尾肢の表現かもしれない。

 ①は左の鋏だ。左右のピットが何を表しているのか定かではない。鋏の両端だろうか。

 そして、ヤコウガイのピットは右の鋏に当たる。この近くには、ムラサキオカヤドカリのピットもある。個体数は分からないが、「詰まった状態」と報告されている。

 チョウセンサザエの殻にヤドカリが入ったままで湯がかれたと考えられるピット。ヤドカリは湯がかれれば赤くなる。トーテム自身に火をかけることで示されているのは、右の鋏が太陽であることだ。左は女性性が強いから、右ということなのだと思う。

 安良川では、ヤコウガイは殻より蓋が多く検出されている。腹部ではなく、蓋が「太陽」を示すことがここにも記されている。


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2018/10/27

長浜金久第二遺跡の遺構

 長浜金久第二遺跡の遺構から、コモンヤドカリを浮かび上がらせてみる。

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 遺構はそれぞれヤドカリの部位に対応している。

 土坑B:尾脚
 住居跡:左鋏
 土坑A:右鋏
 炉跡:宿貝

 ヤドカリの頭部は、この画面で上部を向いているから、尾を曲がらせていることになる。

 宿貝は、「炉跡」として判断されている。コモンヤドカリ段階では、ここが太陽を生むのだ。
 

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2018/10/25

アンチの上貝塚の位相 15

 カリエラ四分制のようなケースを考えても、同様の貝塚構成にはなりえる。

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 しかし、心理的にはあまりピンと来ないと言うべきだろうか。

 アンチの上貝塚人たちは、兄弟姉妹関係を軸としながら、あの世へ還る際には、別のをなりグループの異性と共にいることを選んでいる。それは兄弟姉妹に対して夫婦という関係の強まりを反映したものかもしれない。

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2018/10/24

アンチの上貝塚の位相 14

 アンチの上の集団のあり方について、シンプルな可能性をシミュレーションしてみる。

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 この集団を貝に象徴させると、チョウセンサザエをなりグループとサラサバテイラをなりグループに分かれる。それぞれは二つの集団にさらに分かれている。

 チョウセンサザエ5集団は、サラサバテイラ4集団と婚姻関係にあり、チョウセンサザエ6集団は、サラサバテイラ7集団と婚姻関係にある。

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 「あの世へ還る」場の小貝塚の構成について、たとえば5は、チョウセンサザエをなり5の女性と、サラサバテイラ4の男性で構成される。主動因になっているのは、5の男性と4の女性との婚姻である。ただ、それだけでは、子供の動きや男女に員数のアンバランスが説明されない。

 「あの世に還る」場は、婚姻の有無にかかわらず、男性は婚姻対象の女性集団の場に入れられている、というのは説明のひとつになる。

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2018/10/23

アンチの上貝塚の位相 13

 アンチの上貝塚のゴホウラ・イモガイ集積を見る。スデル場の「宿貝」に相当する。

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 9つの貝のうち、2~7は女性。8,9は男性。2~4,6のゴホウラは、「頂部破損」が共通しているので、年齢階梯として同位相にある。5は、「外唇部破損」とあるが頂部も破損している。「外唇部破損」は「体層部有孔」と同位相で、しかし出自のちがいを示すものかもしれない。

 1は、「頂部破損」がなく、2~6に対して若い。7のアツソデガイは、女子を示す。短い方のアンボンクロザメは、7と同位相にある。長い方のアンボンクロザメは成人男性と考えられるが、2~6の位相にあるのか、1と同位相なのかは分からない。

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 この集積は、次のように置かれていたと報告されている(『瀬底島・アンチの上貝塚』)。貝同士の重なりが分かるように図解してみる。

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 スデル場だから、具体的な人ではないと考えられるが、あるいは「あの世に還った」人物の再生としてスデル場に置かれたのかもしれない。考えられる関係の可能性をメモしておく。

・7~9は兄弟妹。
・9に被さっている6は、9の母。
・8に被さる4は、8の母。
・6と重なる5は、姉妹。

 下から順に、年齢階梯あるいは霊力の増加を示すように見えるが、中位に当たる1が上位にあるのを見ると、年齢階梯どおりに積み上げているのではない。1~3は、後のスデル儀礼の際に付加された可能性は考えられる。

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2018/10/22

アンチの上貝塚の位相 12

 アンチの上貝塚Ⅱ期調査の小貝塚には、面白い特徴が見られる。

 ここでは、ヤドカリの腹部は、チョウセンサザエ等のサザエ科か、サラサバテイラ等のニシキウズ科が化身態と考えられている。

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 そこには規則性があり、円形の小貝塚5、6は、女性がサザエ科、男性がニシキウズ科になる。一方、細長形の小貝塚4,7は男性がサザエ科、女性がニシキウズ科になる。なぜか、小貝塚5、6は男性が多く「あの世へ還り」、小貝塚4、7では、女性が多く還っているが、これは意図ではなく結果だと捉える。

 小貝塚5と6の対は婚姻相手を指す。小貝塚4と7も同様。同じ科の男女同士のなかに、「をなり-えけり」関係が組み込まれている。


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2018/10/21

アンチの上貝塚の位相 11

 アンチの上貝塚について、修正を加えて再整理する。複雑なことに変わりないが、構造化と人数の推定を試みる。

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 各場の内容と推定人数をあげる。

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 この貝塚かわ分かる足跡は、2178人いて、765人があの世へ還り、816人がこの世に現れている。しかしこれは大きすぎる数だ。

「あの世へ還る」場は四つ設けられている。これは、相互に婚姻をする四つの「をなり集団」だと考えられる。

 単純に一集団を50人とすれば、50×4×10=2000となり、10世代を経たことが示される(45人の場合、12世代)。ひとつの世代を30年とした場合、アンチの上貝塚は、300~360年間、営まれたことになる。この間、何度メタモルフォーゼ儀礼が行われたか分からないが、貝塚を移動せずに同じ場で行ったことは分かる。

 特異なのは、「この世にいる」場の人数が、女性1072人、男性1055人と、女性の方が多いことだ。その後、女性348人と男性417人が「あの世に還る」。代わって「この世に現れる」のは、女性364人と男性542人。加減すると、女性1088人、男性1090人となって、やや男性人数が回復したように見える。

 ただし、「この世に現れる」には成人化も含まれるから、それを考慮すると、人数減の可能性もある。また、男性が多すぎるのも気になる。この男性数のぶれは、あるいは貝の贈与のために礁斜面に出かけることによる「あの世に還る」頻度の問題なのかもしれない。

 構造化すれば、次のようになる。

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 「この世にいる場」を起点とした「スデル」「還る」「現れる」が、二重化しているのは、「をなり」ゾーンと「えけり」ゾーンを分けるためだ。ヤドカリ・トーテムは男女の結合を表すから、母系社会にとっては危機だった。兄妹始祖神話が語るように、島人は性交の間接化でこれを切り抜けるが、このことを表現したのが、アンチの上である。

 貝の構成をみると、彼らがヤドカリをどう捉えていたかが分かる。ヤドカリのうち、宿貝と腹部が女性であり、頭部と腹部が男性になる。少なくとも初期はそう考えられる。そして、貝なので女性中心にしか見えないが、カニも忘れられていない。カニ(と胞衣)も同等の比重で構成のなかに入れられている。

 「この世に現れる」場では、「スデル」場に比べて、宿貝と腹部の比重が、やや高まるが、カニの構成はなくならない。彼らはメタモルフォーゼを決して急いでいないのだ。


 

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2018/09/26

具志川島5B層の集骨

 いまなら風葬と呼ぶ5B層の集骨。

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 これは苧麻トーテム段階で、あの世が発生した初期であることを示している。これらの骨も苧麻あるいは苧麻の化身態を表すはずだが、うまく視線をチューニングできなくて、まだ見えてこない。もしかしたら、長骨が茎を、下顎骨が葉を表現した苧麻植物そのものなのかもしれない。骨は壁際に乱雑に置かれていると報告されているが、そうなのではない。まず、個体別に置かれていないのは、この段階では、集団の「わたしたち」は一体だからである。

 乱雑に置かれているわけではないのを、よく示すポイントがある。

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 ヤセイモとおぼしいとされている貝製品には、目を惹きつけられる。

Yaseimo

 これはハジチの右手首の五つ星、つまり、霊魂としての「蝶」とよく似ているのだ。

Haziti

 ここに貝製品に添わせるように置かれた骨の部位を参照させる。

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 いちばん近いのは、女性右手の尺骨なのだ。ハジチで蝶が描かれるのは、右手尺骨頭部に他ならない。この骨製品は、女性の尺骨を意識してそばに置かれているのである。

 この骨と貝製品は、苧麻段階でハジチが発生したというぼくたちの考えを補強して余りある。

 貝製品のそばの他の骨をみれば、尺骨は女性骨で、橈骨は男性骨なのかもしれない。また、膝頭(チンシ)の骨も霊魂の部位とみなされたと思える。

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2018/09/23

古我地原貝塚の遺構

 苧麻トーテム段階にある古我地原貝塚の遺構。

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(『古我地原貝塚』)

 目は粗いが、4つの場を想定しておく。

 黄:スデルわたしたち
 緑:この世にいるわたしたち
 赤:あの世に帰るわたしたち
 青:この世に現れるわたしたち

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 メタモルフォーゼの場は、西端にある第7号遺構だと考えられる。

 そして、この遺構の形態は、この貝塚でほとんどを占めるキバウミニナの口と触覚ではないだろうか。

 cf.「キバウミニナの口」(MAD CREEPER)

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 また、「この世にいるわたしたち」を示すのは、遺構4~7号を包むように検出されているピット群だと思える。この穴は、泥地に刺さるヒルギの根あるいは育ち始めた芽ではないだろうか。

 古我地原貝塚は、土器の大半が奄美系であることでも知られる。奄美から渡ったヒルギトーテムの島人が作った貝塚なのかもしれない。


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2018/09/22

喜界島崩リ遺跡の遺構2

 崩リ遺跡には次の段階の遺構も残されている。それは、「竪穴状遺構」と同じ場所にある。

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 「土坑」と呼ばれる遺構は、「竪穴状遺構」の近くに、小さめに展開されている。「竪穴状遺構」が干瀬だとすれば、これは干瀬にできる水溜まりのような窪みで、ヤトゥと呼ばれている場だと思える。

 生命があふれる場をはじめ干瀬に見出す。サンゴ礁の発達は、次に、干瀬の窪みを見出させることになった。潮が引けば、ここには残された魚や貝がいることになる。そこに生命の源泉を見たのだ。

 しかし、「土坑」ばかりではない。同時期には、もうひとつ「溝状遺構」と呼ばれるものも検出されている。

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 これは、バリ、クチなどと呼ばれる、干瀬の割れ目で、縁溝を指すと思える。クチは、寄り物の寄ってくる重要な場だ。クチをつたって生命はやってくる。ヤトゥと同時に、島人はそこに生命の源泉を見出した。

 サンゴ礁トーテムは、場そのものがトーテムとなっているが、それは「あの世」=「トーテム」を意味している。そして、この世は、あの世の写しであることが遺構に示されている。これは後段になれば、あの世はこの世そっくりと変形されて言われることになる。

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2018/09/21

喜界島崩リ遺跡の遺構1

 喜界島、手久津久の崩リ遺跡の遺構。まず、「竪穴状遺構」と呼ばれているものについて。

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 これは、宮古島アラフ遺跡と同じサンゴ礁トーテムの段階にあると考えられる。

 この遺構の分布が示すのは、遺跡すぐ近くにある、イノーなく迫った干瀬だ。

 地図は現在の干瀬であり、削られた面もあって、どの個所に対応しているのかを判断するのは難しい。が、このどこかなのだ。

 その意味は、色で区分してみた。

 黄:スデルわたしたち
 緑:この世にいるわたしたち
 赤:あの世に帰るわたしたち
 青:この世に現れるわたしたち

 貝は遺構からは検出されず、代わりに動物遺体が出ている。起点と考えられるSH15でいえば、ウツボ科、アオブダイ属、ブダイ科、クジラ類、である。

 また、アラフ遺跡と同じく、「スデルわたしたち」は二か所、近接して構築されている。

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2018/09/20

宮古島アラフ遺跡の遺構3

 アラフ遺跡から出土した貝斧は、それぞれの貝と部位が調べられている。

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(「沖縄考古学ニュース - 沖縄県立博物館・美術館」2009)

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 ヒレジャコの右殻放射肋。

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 オオジャコあるいはヒレナシジャコの右殻後背縁部(ちょうつがい部)

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 オオジャコあるいはヒレナシジャコの放射肋部。

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 オオジャコあるいはヒレナシジャコの左殻後背縁部(ちょうつがい部)
(『アラフ遺跡調査研究Ⅱ』)

 土器をつくることなく、石器も希少にしか出ないとしたら、宮古の島人は、別のものにトーテム表現を求めたことになる。それは、貝斧だ。しかも、土器でも石器でもないとしたら、貝斧は男女両方に伴われたことになる。そうだとしたら、貝斧には男女の性が当てられているはずだ。

 ここで貝斧の多くを占める蝶番部を使ったものが女性。アラフ遺跡でセットで出ることになった放射肋を使ったものが男性と見なせる。シャコガイのふたつの殻をつなぐ蝶番部を持つのは女性。男性は女性の一部だから、放射肋部が男性だ。

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 A:蝶番部
 B:放射肋部
 (山極海嗣「宮古・八重山諸島先史時代における文化形成の解明 : 遺跡属性と生態資源利用の地域間比較を通した文化形成の考察」)

 そこで、1と3は男性。2と4は女性ということになる。シャコガイがその他の二枚貝の殻と同じ意味を持つとしたら、左殻を使った4が、右殻を使った2に対して年長ということにもなる。並んで揃えられた2~4のシャコガイはオオジャコあるいはヒレナシジャコとされている。これが同一の種類であれば、2~4は兄弟姉妹関係であるのかもしれない。

 この4つの貝斧が示すのは、同一母の兄弟姉妹と、近親の男性(たとえば従兄)だとしてみる。添えられた枝サンゴは、3と4の子に当たるかもしれない。

 これは、直接的には兄弟姉妹とその子であるとともに、兄弟姉妹婚禁止前に苧麻人からサンゴ礁人へメタモルフォーゼした始祖であるという意味を持つのではないだろうか。


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