2017/05/26

「おなり神」と「ゑけり神」

 こうしてぼくたちは兄弟姉妹婚のことを考えざるをえないところまできた。伊波普猷は、その痕跡を探しながら書いている。

国頭村安田で、一年おきに替り番に、「おなり神」を拝み、また「ゑけり神」を拝むと称して、部落中の女性または男性を互に拝しあう儀式があるが、これなども多分例の女神と男神とを拝むという形式の変化した、新しい行事に違いない。というのは、南島の俗、「をなりみ神」と「ゑけりみ神」とを代表させるのは、いずれも女性であって、男性ではないからだ。

 ここは伊波の言うのとはちがい、一年おきに「おなり神」と「ゑけり神」を拝みあうのは、母系社会のなかで行われたふるいものだと考えられる。しかも、母系社会の初期ではないだろうか。

 「「をなりみ神」と「ゑけりみ神」とを代表させるのは、いずれも女性であって、男性ではない」のは、たぶんの祝女の登場を重なっている。男性は実際の女性姉妹である「をなりみ神」を尊んだのに対して、女性は共同幻想を対の対象として選択したということだ。
 

『古琉球』

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2017/05/24

トーテムの系譜と島人の思考 5

 「トーテムの系譜と島人の思考 4」もすぐさま更新することになった。ジュゴンを図に加えてみる。だんだん混み合ってきた。

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 ジュゴンは、「胞衣」表象として生きている。なぜ、胞衣だったのか。島人は、死後の時間を「蝶」を通じて表象したが、それはまだ過去へと延びてゆかない。死後即未生とでもいうような相互浸透のなかに時間感覚はあった。

 その死後即未生という時間感覚を「胞衣」は象徴したのではないだろうか。

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2017/05/23

ジュゴンと蝶 2

 琉球弧の北では、島人が「蝶」と関係を持ったのは、「貝」よりも1000年も前のことだった。死体に群がる「蝶」を通じて、脱皮する動物に、島人はトーテムを見た。それからさらに数千年後に島人はアマンをトーテムとするが、死体に群がり脱皮をするという点では、両者はまったく同じ位相を持っている。

 ところが、「蝶」は「アマン」とは違い、死体に群がるということが死後との関連性を強める傾向を最初から孕んでいたのかもしれない。しかしその前に、島人は頭部への関心を強め、そこに蝶の相似形、蝶形骨を見出したとき、それを媒介に「霊魂」概念を生み出す。

 もうひとつ、すでにサンゴ礁環境が用意されているこの段階で大事な出会いを行っている。ジュゴンだ。ジュゴンとの関係はどう捉えられていたのか。

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 ジュゴンはサンゴ礁の霊(よなたま)であるという理解は最初からあったと考えてみる。サンゴ礁の魚とは胞衣の魚という意味になる。「胞衣」を介して、人間とジュゴンはつながることになる。

 ここで、島人にとって胞衣とは対なる相方だ。それは同時に兄弟にとって姉妹が対なる相方ということと同じだ。こう捉えれば、対なる相方はジュゴンまで延長される。ジュゴンも対なる相方になりうることになる。

 これが兄弟姉妹婚の段階での島人とジュゴンとの関係だ。つまり、兄弟姉妹の対関係がそのまま集団の共同幻想に同致している。この共同幻想を象徴しているのが、ジュゴンだ。

 もうひとつ、重要なことに気づく。「蝶」を媒介に見出された霊魂は、霊力内霊魂ともいうべき位相を持つ。霊魂はそれとして、霊力から分離していない。

 たとえば、徳之島では、霊魂は、トーテムを分解再構成した変形態だった。

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 さてこのあり方を「貝」トーテム以前に遡れば、ジュゴンと蝶の関係ということになる。それがすなわち蝶形骨器の持つ位相を示している。あれは、霊力内霊魂のことなのだ。

 それということは、あの奄美大島の手首内側の、蝶形骨器を模した文様にも同じことは言える。

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 この文様は、実は貝がトーテムになる以前は、大きく手の甲に描かれていたのかもしれなかった。

 ただ、このジュゴン製蝶文様と貝製蝶文様は同じ位相にあるだろうか。前者の「蝶」は、実際的にはジュゴンを殺害し、その骨で作ったということからすれば、それはジュゴンの分解再構成に当たる。特に、ジュゴンの骨を二枚重ねてつくった大型の蝶形骨器はそう見える。

 しかし、ジュゴンの霊力の根源にある骨をそのまま「蝶」にしているということでいえば、霊力の分解再構成というより、霊力の変形というのがふさわしい。ちょうど宮古島の手の甲の、「トゲヤからハサミ」への変形のように。

 ということは、蝶形骨器が、ジュゴンの骨の一枚か二枚かで作られたということには深い意味が隠されているのかもしれない。

 一枚の場合、霊力の変形だが、二枚の場合、分解再構成の意味が強まる。

 ここで刺青の起源についても考えることができる。

 琉球刺青のデザインでもっとも古層に届くのは、ある意味では指の背の「矢」「竹の葉」の文様だと言える。そこは蝶の分解再構成による蛇、だからだ。霊魂概念がうまれたとき、それは「霊力内霊魂」の形をしていたとするなら、刺青にはジュゴンが描かれていてよかった。しかし、それに該当する文様は痕跡としてもない。

 この意味は二様に考えられる。

 ひとつは、霊魂発生時に刺青は根拠を持ったが、実際に発生したのは貝トーテムの段階であること。

 もしくは、貝トーテム以前に刺青は発生してたが、ジュゴン文様は兄弟姉妹婚を象徴するので、タブー化された時点で文様から外されたという可能性もある。

 しかしもし後者だとしたら、奄美大島の手首内側の文様も消失されてしかるべきだ。あるいは「亀」と読み換えることで生きながらえさせたのかもしれない。


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2017/05/22

ジュゴンと蝶

 蝶形骨器の出現の時期は、まだ厳密な意味で他界は発生していない。死者とは共存の段階で、この世とあの世は同致している。

 このとき、島人は「蝶」に死者の化身を見ている。この契機になったのは、死体に群がる蝶だ。その蝶は、集落のそこかしこを舞う。死者の化身に見えるのはとても自然だと言える。

 この段階で、島人はジュゴンともかかわりを持った。サンゴ礁の海でジュゴンに出会った島人は、人間の相似形を見出して、これも死者の化身と感じたのではないだろうか。

 まさに、「この世における彼は、人間身を持つ我等であり、往いて他界にある自分の身はたとへば儒艮身であらうも知れぬ」(折口信夫「民族史觀における他界觀念」)というような。もっともこの世とあの世は分離していないから、サンゴ礁の海で出合い頭にそう感じたのだ。

 蝶 脱皮をする。死者の化身という一方向の時間の契機を含む。
 ジュゴン 人間の相似形。

 「蝶」は死者にとって換喩的であり、ジュゴンは人間と隠喩的な関係にある。ジュゴンは、脱皮する生き物ではないから、トーテムとは見なしにくい。ただ、この段階では、円環する時間は旺盛だから、ジュゴンは人間との相互変換形の環のなかにいたのかもしれない。

 死者との共存の段階でのトーテムは、蝶とジュゴンだった可能性があるということだ。そうだとしたら、このときの女性シャーマンは、蛇としての頭部の葛以外では、後頭部の蝶形骨器がひときわ重要な装身具であったことになる。

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 すると、奄美大島の手首内側の文様は、部分的に「亀」と呼ばれるのが気になってくる。蝶形骨器は、ジュゴンの他、亀の骨でも作られることがあった。つまり、蝶形骨器がジュゴン製の骨でできているなら、そのデザインを踏襲しているもの文様には、蝶にジュゴン(亀)が重ねられているということではないだろうか。


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2017/05/21

トーテムの系譜と島人の思考 4

 こんどは、「トーテムの系譜と島人の思考 3」の動植物の位置を少し変えてみた。驚くべきことが分かって震えてしまう。

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 この推移は刺青デザインそのものではないか。

 もうひとつ重要なことに気づかされる。

 北の琉球弧の発生時、貝はまだトーテムではない。したがって、この段階で刺青が発生していたら、いまに伝わるデザインとはまったく違っていたはずである。あるいは、奄美大島と徳之島の手首内側の「蝶」モチーフは、その段階での刺青デザインの痕跡なのかもしれない。

 上記がなければ、「貝」トーテムを待って刺青は発生している。そのデザインは現在まで伝えられた。


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2017/05/20

トーテムの系譜と島人の思考 3

 こんどは「トーテムの系譜と島人の思考 2」に考古学上の年代の知見を当てはめてみる。すると、いくつか修正が必要なのが分かる。

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 ぼくたちは「貝」との関係ばかりに目を奪われがちだが、実は「蝶」の方が古くからの付き合いなのだ。そして、「蝶」が霊力内霊魂として発生し、霊力を離脱するまで、1600年間かかっている。これはそのまま蝶形骨器が作られた期間でもある。「蝶」は実に2100年ものあいだ、未生の領域を担ってきたのだ。

 また、琉球弧の北と南の重要な違いも分かる。南では、霊魂の発生は、「貝」をトーテムとする前だが、北では、「貝」トーテムに先立っている。これが刺青デザインの差として表出されているものだ。

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2017/05/19

トーテムの系譜と島人の思考 2

 「トーテムの系譜と島人の思考」を更新する。

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 ここでぼくたちは、「蝶」について、「貝」以前の「死と再生」の象徴と見なすことになる。それは、死者との共存の段階に対応している。「貝」は死者と生者の区別の段階への移行を示すものだ。


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2017/05/18

奄美大島の手首内側の「蝶」

 奄美大島の手首内側の文様は、蝶形骨器のデザインを手本にした「蝶」だと見なしてきた。そして、「蝶」であるからには「霊魂」を現してきたものと見なしてきた。

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 しかし、少し修正が要る。これは霊魂には違いないのだが、霊魂の位相が異なる。「蝶」は、死者の化身でもあるのは初発からしてそうなのだが、はじめは再生の象徴でもありえた。それがときを経て、再生の象徴ではなく、死者の化身のみの意味を残したのだ。

 考えてみると、「蝶」は霊魂を象徴する前に、死者の化身だった。この「死者」という概念と「霊魂」という概念の空隙は、「蝶」が再生を担うと考えられたこととかかわりがあるはずである。

 そして、霊魂が霊力を離脱するとき、「蝶」はあいまいな形で再生の環からも離脱した。「蝶」を死者の化身として尊ぶ一方、気味悪く感じたり、恐れたりするのはそのためではないだろうか。

 奄美大島の手首内側の文様は、この離脱前の「蝶」だ。蝶形骨器を手本にしているなら、この「蝶」も蝶形骨器と同じ位相を持つはずである。だから、大きく手首内側に「蝶」を描いた大島の島人は、そこに再生を託したのだ。

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2017/05/17

『装飾する魂―日本の文様芸術』(鶴岡真弓)

 鶴岡真弓は「蝶」について、書いている。

 ギリシアに限らず、幼虫の活動期から、静止した蛹に変態して仮死状態を過したのち、燃えるような翅を出現させて華麗な成虫になる蝶のメタモルフォーシスに、人間が生―死―再生の神秘を見たのは何処も同じであった。アーサー・エヴァンズ卿が「ネストルの環―ミュケナイの死後の世界」(一九五二年)で強調したとおり、墓に埋められていた円盤の蝶は、死者の再生を祈願するエンブレムであったと推測されている。

 これは種子島広田遺跡の貝符を思い出させる。(参照:「広田遺跡の貝符の位相」

 どうやら、島人にとっての「蝶」は、二段階を経ている。

 霊力内霊魂とも言うべきところから、霊魂が霊力から離脱したところへの二段階だ。琉球弧では、蝶形骨器のおかげでその時間を知ることができる。現在の考古学の知見から引けば、一段階目は、約4000年前から約2400年前まで、二段階目はそれ以降だ。一段階目は、1600年もの期間を持つ。

 この間、「蝶」はこの世とあの世を往来していた。ということは、鶴岡が「何処も同じ」と書く通りだとしたら、琉球弧でも、「蝶」はかつて再生の象徴だったのだ。それがジュゴン製の蝶形骨器の意味だということになる。しかし、霊魂の象徴である「蝶」は、そこにとどまっていられない。「蝶」はあの世とこの世との往来を軛とするかのように、その環を破って外へ飛び出してしまった。

 島人はそれでも再生を捨てていない。しかし、その後、「蝶」は未生の象徴であることを止め、死者の化身としてのみ生きることになった。ひらひら舞う蝶に、島人はそのとき不安を覚えたのではないだろうか。どこまでも飛んで行って消えてしまうのではないだろうか、と。

 

『装飾する魂―日本の文様芸術』

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2017/05/16

刺青にみるトーテムと霊魂のアマルガム(徳之島と宮古島)

 徳之島の左右の尺骨頭部の文様は、「貝」と「蝶」なのだが、その特徴は「貝」の変形として「蝶」が構成されていたことだ。これは「貝と蝶」の型のなかでは、他島では見られない。しかし、この変形は、変容(メタモルフォース)というより、分解再構成で、霊魂思考的である。

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 一方、左の尺骨頭部にみられる文様には、四つの花びらを想起させるものもある。これは、「蝶」の部品から「貝」が構成されたものだと見なせる。このことは、他の部位にも見出され、指の背は、「蝶」を部品に「蛇」が構成されていると見なせる。徳之島の左手尺骨頭部の四つ葉型と指の背は、いずれも「蝶」アマルガム型なのだ。

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 このことが意味するのは、霊魂発生の初期において、霊力と霊魂が明瞭には分離していなかったことを意味する。時間の観念でいえば、霊魂が一方向に進むものとしてまだ独立していなかった。それが、「蝶部品による貝」、「蝶部品による蛇」デザインが構成された理由になる。

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 同様のことは、宮古島についても言える。ただし、ベクトルを逆にして。宮古島の場合、「貝」から「苧麻」が構成されるが、左手では「貝」が描かれているのに対して、右手では「貝」を地にして「苧麻」という図を浮かび上がらせている。そう見なせる。

 徳之島
 ・「貝」の分解再構成よる「蝶」構成
 ・「蝶」部品による「貝」構成

 宮古島
 ・「貝」の変容による「苧麻」構成

 この場合、霊力ー霊魂は、徳之島では「貝・蝶」アマルガムなのに対して、宮古島では「貝・苧麻」アマルガムである。しかし、そのアマルガムは前者が再構成にであるのに対して、後者は融合である。ここに霊魂思考が優位な前者と霊力思考が優位な後者の差異が認められる。

 このアマルガムのデザインの痕跡が認められるということは、琉球弧の刺青が「ふたつの霊魂」を表現したということだけではなく、両者が未分離の状態をも保存したことを意味する。つまり、「ふたつの霊魂」の初期形である。

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2017/05/15

サンゴ礁の時代の区分

 サンゴ礁が成立して以降の段階の年代を挿入してみる。

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 死者との共存(4500~3500年前)1000年
 霊魂の発生 (4000年前~)
 ・蝶形骨器(4000~2400年前)1600年
 あの世の発生(3500年前~)
 ・身近なあの世(3500~1000年前)2500年
 低地居住  (2500年前~)
 ・交易期(2500~1000年前)1500年
 蝶形骨器終焉(2400年前)
 グスク時代 (1000年前)

 時代の幅を列記する。

 死者との共存。1000
 身近なあの世。2500年。
 蝶形骨器。1600。
 兄弟姉妹婚。1600年以上。

 死者との共存の段階が1000年あることは忘れがちだ。「身近なあの世」の段階も2500年ある。「あの世」について、身近な「あの世」がもっとも長いのだ。

 大きくいえば、シャコ貝時代は2500年、蟹時代は1500年。

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2017/05/14

ザンは兄弟姉妹婚の象徴だっただろうか。

 たしかな手応えを持ちにくいのだが、ザン(ジュゴン)が兄弟姉妹婚の象徴だった段階があるのかもしれない。

 ジュゴン製の骨でできた蝶形骨器が終焉する約1600年前について、ぼくは母系社会の成立を想定している。これが妥当しているとしてだが、それならそれ以前に女性シャーマンの後頭部に飾られた「ジュゴンの骨」は、兄弟姉妹婚の象徴の可能性を持つことになる。

 与那国島は、胞衣はアングヌムヌと呼ばれる。これは直接的には赤ちゃんの「相手をする」という意味だが、旅人への性的歓待を含意している(参照:「ブーは一番神様に近い植物」(「与那国島のものの見方・考え方」))。胞衣には、性的な意味が含まれるのである。赤ちゃんの相手をする胞衣に性的な意味が含まれ、また、胞衣は兄弟関係の呼称で呼ばれることもあることを踏まえると、こういう類推ができる。

 赤ちゃんと胞衣の関係は、兄弟姉妹の関係と同じである。胞衣には性的な相手をするという意味が含まれるなら、兄弟と姉妹の関係にもそれが想定できる。また、ザンには「食らう」という伝承のそばにあるいは裏側に「交わる」というニュアンスがつきまとう。

 もうひとつ、古宇利島の兄弟始祖神話では、兄妹はザンの交尾を見て性交を知る。ここではザンの交尾は兄弟姉妹婚のメタファーだ。

 これらのことは、ザンが兄弟姉妹婚の段階を象徴していたことを暗示しているのではないだろうか。

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2017/05/13

蝶がジュゴンから飛び立つとき

 約4000年前、老女はジュゴンをはじめ鯨や亀の硬い骨でできた「蝶」を身に着けた。女神出現の瞬間だった。彼女が身に着けたのは「蝶」ばかりではない。「蛇」も「貝」も装着していたが、後頭部につけた「蝶」は常に意識にのぼっていた。老女の目に見えなくても骨の重みがたしかな実在を伝えるのだ。

 女神は単独で存在しているのではなかった。むしろ、女神本体を背に、その化身態として島人の前に姿を現すのである。女神本体とは他でもない、サンゴ礁のことである。女神は、その本体であるサンゴ礁を背に、その一部に包まれるように現れるのである。

 それから、約2400年ものあいだ、島人の技術者は硬い骨を穿って「蝶」を掘り続けた。一枚の骨から、あるいは二枚組にすることもあった。硬い骨にどうやって通したのだろう。「蝶」の上翅と下翅のあいだには孔を通した。そこにおそらくは麻の紐をとおして、女神が頭部に結わえることができるようにしたのだ。そればかりではない。横に通した孔の真ん中あたりから真下にも孔は穿たれた。女神の背中に長いながい垂れ飾りをつけるために。

 約1600年前、「蝶」は飛び立とうとするように、翅を大きく伸ばし、あるいは怪しく揺らめかせるまでに大型化していた。そしてその完成を見る前に、製作は中断されてしまう。1600年後、考古学者はその未完成の「蝶」を手に取ることになる。

 何があったのか。それはサンゴ礁の夢の時間のなかでの大変化だった。新しいトーテムが加わり、島人は浜辺へ住むようになる。それと歩調を合わせるように、女神の頭部からジュゴンが姿を消す。しかし、「蝶」は姿を消していない。それは現在の神女の後頭部にも別の形でしっかり存在感を発揮している。

 「蝶」はジュゴンから飛び立ったのだ。「あの世」と「この世」を行き来するという反復する時間から離脱し、ひとつの方向へと流れるように舞って行ったのだ。このとき、島人は、「貝」に続いて「蟹」をトーテムとする。「蟹」は「貝の子」。島人は、特に女性は、「私たちは貝」から、「私たちは貝の子」へと鏡像を更新した。これは同時に母系社会の出現を意味している。

 兄弟と姉妹の関係を軸に集団が組まれはじめた。それまで、兄弟姉妹は婚姻の関係を結ぶことができた。彼ら彼女らは、ジュゴンの別名である「胞衣」の分身として身体を合わせることができた。しかしタブーの扉は開かれ、身体が重なる象徴として胞衣を見ることができなくなった。胞衣とは、「もうひとりの自分」であるに過ぎなくなった。

 女神は、集団を象徴するためには「胞衣」を被ることができなくなる。その代り、女神の兄弟がもうひとつの象徴として登場してこなければならない。しかし、どの兄弟であったとしても集団を象徴することはできない。そこで島人たちは、象徴を始祖へと観念的に疎外したのである。

 蝶は、骨から浮き上がって、翅を全開しそして揺らめかせ、こんどこそはと南の空に飛び立った。あとには製作途上で放棄された「骨の蝶」が残された。「蝶」はジュゴンから飛び立つというのは、「霊力」の内部から「霊魂」の分離を意味している。そこで起きたのは兄弟姉妹婚のタブー化という大変化だった。

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2017/05/12

「沖縄の山の神について」(上原孝三) 2

 上原孝三の「山の神」議論について、もう少し考えてみる。

 先史琉球弧の世界の動物の主は次のように考えられる。

 地底、空、山(蛇) テラ山(貝) サンゴ礁(貝) 海(蛇)

 こうだとする。この段階では、シヌグは来訪神ではない。祭儀があったとすれば、スクの精霊を出現させた予祝行為そのものだった。

 ここで改めて、スクたちの性別をあげると、

 キラハニ  女性性(太陽)
 スク    女性性(干瀬の子)
 ウンジャミ 男性性(蛇)

 となる。ここで矛盾が生じる。

 シヌグ(スク) 女性性 男性が担う
 ウンジャミ   男性性 女性が担う

 これを矛盾ではなく受け取ろうとすれば、これは一種の異性装でもあったのではないだろうか。

 サンゴ礁の神話時間のなかで、世界は性を受け取る。この段階では、死者を食べる儀礼も行われていた。他者との同一化である。そして、男性と女性は明確に分離されておらず、性はグラデーションだ。そのグラデーションを踏まえつつ、性の全体性を表現する方法として、女性性の神を男性が担い、男性性の神を女性が担うようになった。

 上原は「山の神は女性に特定されないことが沖縄の「山の神」の特徴といるのではないか」と書いていた。ことは、「山の神」の性が問題なのではなく、異性装による見かけがそう思わせるということではないだろうか。

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2017/05/11

「沖縄の山の神について」(上原孝三)

 上原孝三はシヌグ祭について考察している。

 シヌグにしてもウンジャミにしても、「山から海へのルートを辿る」ことになる。その際、安田では山の神に扮するのは男性であり、比地のウンジャミでは、山の神に扮するのは女性である。

 上原は書いている。

 シヌグ・ウンジャミの両祭において山の神が現れた。シヌグでは男が、ウンジャミでは女が主に山の神となった。山の神は女性に特定されないことが沖縄の「山の神」の特徴といるのではないか。

 シンプルだが、強い喚起を受ける。

 ぼくは、シヌグもウンジャミもサンゴ礁の潮の精霊の祭りだと考えている。それはスクとウンジャミという魚として出現していた。そして、サンゴ礁と同じ意味は、身近な山も担っていた。陸地ではそれは大地の精霊として出現することになるからだ。

 サンゴ礁は女性であるから、山も基本的には女性だと考える。どちらも、サンゴ礁に、山に生命を放つ存在である、

 サンゴ礁 女性性
 山     女性性

 次に、スクも性を予想することができる。それは、小型のものから、ウンジャミ、スク、キラハニと呼ばれた。

 ウンジャミ 男性性(蛇の精霊の化身として)
 スク     女性性(サンゴ礁の子として)
 キラハニ  女性性(貝の精霊の化身として)

 男性祭儀であるシヌグの場合、山での性的な儀礼を含むので、明らかに山は女性性として捉えられている。

 シヌグには、スクが対応する。すると、男性が女性性の強い神と化して出現することになる。そしてウンジャミの場合には、女性が男性性の強い神として出現することになる。

 これは矛盾ではないのか。と、こういうところに上原の言葉は飛び込んでくるわけだ。

 ここで海や山の性の変遷とそれによる祭儀の変遷という歴史の推移を背景に置く必要はある。ここでは、その要素は除くとして、除くとしても言えるのは、上記の自然や動物はすべて固定的な性別を持っておらず、どちらあの要素が強いにしても、グラデーションのなかにあるということだ。

 仮に性の転換を想定するとしたら、もともとは男性がウンジャミを担い、女性がシヌグを担っていたのかもしれない。もともと両祭儀は、混然としたものだたから、そういう転換も起こしやすかったのかもしれない。

 

 

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